第5話 家庭教師


「私たちが住まうイマリカ大陸には、三つの国が存在します。我らがラートッハ王国、南東のグアラ王国と、その北に位置するアーシラ王国ですね」


 ユアンお兄様が領地に関して勉強するため……という名目で平民街へ行ったあと、ユアンお兄様は本格的に家庭教師を呼んでの勉強を開始した。


 政治情勢や各国との関わり、地政学や領地運営についてなど、お兄様はこれから次期公爵家当主として、やることが山積みなのだ。



 そして、そんなユアンお兄様の学びの場に、私はさらっと同席することを実現した。


 この世界では、女性がこういったことを学ぶ機会は本来与えられない。


 けれどユアンお兄様が「初めての人と会うのがまだ信用できず怖いので、シャーリーンが一緒の方が集中できます」と言ってくれたおかげで、私にもチャンスが訪れたのだった。



 さて、家庭教師によれば、私が住むラートッハ王国は大陸の南西部に位置している。


 領土の東側、隣国であるグアラとの国境にはノイシュタインとよばれる深い森があり陸路交通は困難なものの、海路での交易や人の往来は盛んだそうだ。


 ラートッハに関して興味深いのは、魔法使いについて。

 基本的に貴族の血脈にしか生まれないという話は聞いたことがあったけれど、なんと大陸の中でもラートッハ王国でしか魔法使いが輩出された実績はないそうだ。


 魔法使いたちが魔力を込めた魔法石と、それを動力源として利用して作られる魔道具は大陸中の人にとって生活の要となっていて、おかげで国は豊かさを謳歌しているとか。 


 ラートッハは、大陸の他の二カ国であるグアラ王国、アーシラ王国と三者で過去に不戦条約を結んでいるため、もう百五十年もの間、大陸は平和が維持されている。


 不戦協定っていうのは互いに侵略を目的とした戦争はしないという内容で、我らがラートッハ王国では自衛の範囲を超える戦力をもたないことを誓っているため、国軍や王室騎士団、貴族の私兵団さえも存在しない。


 そのため貴族の子女が通うサルシム学院でもなければ──────つまり平民は、剣術などに触れる機会さえないんだとか。


 一方、不思議なことに、他の二か国にはちゃんとした国軍や騎士団が存在するらしい。


 どうしてかと聞くと家庭教師は「他国と我が国は違う国ですから」とわけのわからない回答をしてきたけど、条約になんらかの不平等があるのは明白だった。



 国ではないけど特筆すべきなのは、大陸のど真ん中にあるロンギア湖と、大陸の北西部、ラートッハの真北に存在する通称「壁の向こう」と呼ばれる封じられた地だ。


 ロンギア湖は全ての国と接するように大陸の真ん中に位置しているけれど、なぜか何人たりとも近づくことはできないことで知られている。


 湖からは北側の海に向かって川が伸びていて、それによって「壁の向こう」は東隣にあるアーシラ王国と分断されているので、「壁の向こう」と国土を接しているのはラートッハ王国だけだ。



 ちなみにその川、普通に川辺まで近づくことさえできないらしい。


 だから水を汲んで飲んだり、洗濯に使ったりすることはもちろん、湖の中に入ろうとするなどもってのほかで、全てがなんらかの力で阻まれてしまうそうだ。


 大きな湖の真ん中には小さな島があるけれど、湖に近寄ることができないため実際に島に行けたものもおらず、何があるかはわからない。


 この世のものと思えないほど美しい人が住んでいるとか、気難しい人ばかりが住んでいるとかいう地元の言い伝えみたいなものもあるらしいけど、実際に姿を見たものはいないとか。



 そして通称「壁の向こう」と呼ばれる封じられた地。


 ラートッハ王国の北部にあるこちらも、まるで透明な壁があるかのように、海からにしろ陸からにしろ川からにしろ、入ろうとしても入れない。


 というのも、この土地は怨念が飛び交い、汚臭にまみれ、万が一にも近づいてしまうと肌が腐り落ちてしまうので、各国の王族が協力してこの土地から民を守っている……からだそうだ。



 ここに関係してくるのが、イマリカ大陸の人間は誰もが知っていなければならない「輝かしい歴史」の話だ。



 平和で戦などなかった大陸に、およそ百五十年前、他国を残虐な方法で次々に侵略する巨大な帝国があらわれた。

 その帝国は、非常に冷酷な強い魔女が統べていて、帝国民さえも魔女を恐れるほどだった。


 当時、大陸には魔物がいて、彼らは人や村、作物を襲い民を苦しめる、この世で最も醜く恐ろしい生き物だった。


 帝国の魔女はそんな魔物たちを使役し、くわえて魔物ほど強く恐ろしい力を持った魔獣と呼ばれる動物たちの軍隊までも生み出した。


 そうして魔女は魔獣と魔物を従え、暴虐のかぎりを尽くして大陸を血で染めた。



 そこで各国は結束し、恐ろしい帝国や魔獣、魔物に抗った。


 多くの国が滅びを迎えたが、最後まで残ったラートッハ王国・グアラ王国・アーシラ王国の王族が、強い絆を結んで自ら先陣を切って帝国と戦いぬき、ついには悪しきものたちを滅亡させた。



 三か国の王族たちは、悪しきものたち魔女や魔獣や魔物の亡骸を「壁の向こう」と呼ばれている封じられた地へ封印し、この悲劇を教訓として不戦協定を締結した。


 尊き各国の王族は、魔物にも邪悪な魔女にもおびやかされない永遠の平和を、大陸にもたらしたのである。



 ──────というのが、誰もが知る大陸史の内容だ。



 そんなわけで、封じられた地は危険だから近づいてはいけないし、近づけないらしい。



 とはいうものの。

 私が思うに、この歴史には、いくつかの不可解な点がある。


 第一に、なぜ現在、魔法使いがラートッハにしかいないのかについての合理的な説明がない。


 ラートッハは天に愛された国だからとかいう話があるけれど、過去には悪の帝国とやらにも魔女がいたのであれば、どうにも納得度が低いように思う。


 第二に、悪の帝国が現れるまで大陸は平和で戦などなかったというけれど、ゲームでは攻略キャラの一人がかつて戦乱時代に滅ぼされた大国の末裔だったというストーリーがあった。


 そのシナリオによれば、この大陸には今三つの国があるけれど、昔はもっと多くの国があって、飲み込み飲み込まれの侵略戦争を行い、多くの国を淘汰していたはずなのだ。



 ……まあ、もしかしたら歴史書の原典を辿れば何か詳しいことがわかるかもしれないし、何らかのタイミングで調べてみないといけないわね。



「それで、各国の王様たちは悪しきものたち魔女や魔獣や魔物をどうやって封印したんですか?」


 ゲームのエンドによっては、封印されたはずの悪しきものたちが復活して国は亡びをむかえる。


 封印方法を知っておかないと、ヒロインの選択肢によってシナリオ通りに進んでしまった場合は大変なことになりそうだし……と気になった私は、家庭教師に尋ねた。


「……貴い方々だからこそ、我々には想像もつかないことをやってのけたのですよ」

「いえ、そうではなく、魔法を使ったのか、どんな呪文でとかそういうことです」

「……シャーリーン様。これは各国の王族が力を合わせることで、奇跡が起こったという話であって」

「封印方法についてでなくてもかまいません。しかし話を聞く限り、そこには結界魔法がはられていると思います。これほどの土地面積を覆う魔法を、死してなお発動させ続けることができる魔法使いが過去には存在したのでしょうか? もし先生のおっしゃるように各国が力を合わせたからそれが可能になったとした場合、各国の王族も魔法使いだったことになりますが、歴史上魔法使いはラートッハにしかいなかったと先生はおっしゃいましたよね? もし仮にこれが一時的な結界だったとすれば、効果のきれた結界を誰かがかけ直しているということですか? 一体誰が、どうやって?」


 私が思いつくままに並べた怒涛の質問に、口元を引き攣らせてプルプルと震えながら、やっとのことで家庭教師は言った。


「ユアン様の授業の邪魔になります。今日はもう帰りなさい、シャーリーン・グリーナワ」




 ◇◇◇




「僕、あの家庭教師があまり好きじゃない」


 授業後、私の部屋までやってきたユアンお兄様が眉を下げながら胸の内を打ち明けた。


「まあ、そうですか? どうしてでしょう」

「シャーリーンにひどいこと言うから……」

「気にしないでくださいね。私も気にしてないので」

「だけど女の人に厳しすぎるよ」


 思わず苦笑いした後、ユアンお兄様が心を痛めている表情をみて、私は精一杯元気そうに見せるよう努めた。



 たしかにあの家庭教師、たまに気に入らないんだけど、知識は多いし思想も偏ってないし、ユアンお兄様の次期当主としての勉強には適任だと思うのだ。


 それに女性軽視は彼がどうとかではなく、この世界の常識だからある程度は今のところ……仕方ないと捉えるしかないのよね。



 ふうと小さくため息をついた私は、ユアンお兄様が特に気にしているであろう先生の発言を思い出した。


「歴史が示す教訓は、いくつかあります。第一に、大陸を魔獣や魔物から救った各国の王族がいかに尊ぶべき血脈であるかと言うこと。そして、強い魔女はこの世を血に染める忌むべき存在であること。それから女に権力を持たせてはいけないということ……」


 私がじとっとした目で黙って聞いていると、家庭教師は女の存在に今初めて気づいたかのように私から目をそらし、オホンとひとつ咳払いをした。


「まあ、女が力を持って、いい結果を得られたことは歴史上一度もありませんので」

「あの。シャーリーンは本当に優秀で、先日の領地視察研修の時にもたくさんのことに気づいていました。甘味料のこともですし……」



 少し前のこと、私はこの世界における甘味料はまだハチミツしかないということを知った。


 だからお兄様が授業の一環で領地を視察するとなったとき、お砂糖の原料となる作物を絶対に見つけようと随行を申し出たのだ。



 そして領地民との関わりの中で、思惑通りサトウキビがあることがわかってからは早かった。


 砂糖を精製し、お父様たちのバックアップを得て砂糖を使った食品を王室に献上した後からは注文が止まらず、新たな栽培地も増やして、瞬く間にすさまじい額を稼ぐようになったわけなのだけど。


「シャーリーンは、領地にもいい結果をもたらしてくれる人です。だから……帝国の魔女がどうであれ、女性全体を貶めることをおっしゃらないでください」


 ユアンって、本当に心がきれいで素晴らしい男の子よね。


 ゲームでは女性を信じられず恐れて心を閉ざしているキャラだったのに、今やこうして女性側に立って私を守ろうとしてくれてるなんて……。


 私がしみじみとして涙ぐんでいると、家庭教師が冷たい目線を私に向けて言った。


「たしかにお嬢様は優秀です。帝国の魔女も同様に、きっと非常に優秀ではあったのですよ。そして力を持った。だからこそ恐ろしい惨劇が起こったのです」

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