第3話 平民街①


「今朝食べたほうれん草のキッシュ、とってもおいしかったね。僕、こんなにおいしい食べ物がこの世にはあったんだ……って毎日思うよ」


 ユアンお兄様の笑顔が眩しくて、私は思わずじんわりと目尻に涙をためた。


 ここにきた頃はこんな優しい表情できなかったのに。本当によかったわね……。



 ユアンがきてから、兄妹の親睦を深めるために始まった朝食後の庭園散歩は、いつのまにか恒例となっていた。


 他愛もない話から悩み事までお互いに共有しているうちに、私たちも一定の信頼関係を築いてこれたらしく、ユアンも今ではすっかりリラックスした雰囲気だ。


 ゲームではユアンとシャーリーンはいい関係を築けてなかった描写があったけど……こんなかわいい少年を構わずにいられるわけがない。


「僕も美味しいものが食べられて幸せだけど……なにより、お母様が元気になってよかったね」


 そう。

 ユアンが来てすぐの頃、ここの食生活や調理方法がひどすぎることに気づいた私は──────恥をしのんで、むちゃくちゃ、駄々をこねた。


 野菜をメニューに取り入れてくれないとベランダから飛び降りるとか、このバカみたいに贅沢で無駄な食事の量を豊かさの象徴と思いつづけるなら飛び降りるとか、あんな調理法やこんな調理法を試してくれないと飛び降りるとか……とにかく、屋敷中を巻き込んで大騒ぎした。


 前世を思い出すまでは普通の女の子だったシャーリーンが、突然理屈や知識を披露して栄養バランスや貧富について説きだしたところで気味が悪いし、駄々をこねるのが現状、最も合理的な選択だった……と思うのだ、仕方ない。


 まあ、今思い出しても顔から火が出そうだけど…………。



 そして、屋敷中が私の癇癪に降参して料理関連については私の言うがままになって以来、うれしいことが次々と起きた。


 まず、セリーヌお母様の体調がみるみるうちに快方に向かい、「私がいないあいだに調子に乗ってる貴族令嬢を叩きのめす」と舞踏会のお誘いを片っ端から受けるほどになった。


 普段無口でそっけないアランお父様は、そんなセリーヌを見て目をうるませて喜んでいた。


 ……たくましい女がタイプだったらしい。


 そして、調理法や味付けのバラエティが増え、グリーナワ家では肉や魚はもちろん野菜も、忌み嫌うものからモリモリ食べたいものに変わった。



 そうなると、「あのお家は下々の象徴である野菜なんか食べてるんですって」とヒソヒソ言われないように、両親も本気を出し始めた。


 あっちこっちでいかに野菜食が素晴らしいかを広めてまわり、最近は貴族全体にちょっとしたブームが来ているらしい。



 貴族の中には病を抱えてる人もかなり多かったようだけど、最近はグリーナワ家が野菜食を教えてくれてから何故か体調が良くなったという感謝の手紙が届くこともあるそうだ。


 おそらく、肥満や栄養失調による体調不良だったのだろう。



 ただ、上手な調理法はまだあまり知られておらず、嬉しがって食べているのは我が家くらいらしい……。

 どうにかレシピを広められればいいんだけど。


「はーあ。それにしても、いつになったらお母様は平民街に行くのを許してくださるのかしら」


 私が不満そうに口にすると、ユアンが苦笑いをする。


 記憶を取り戻して以来、貴族はともかく平民がこの国でどう過ごしているのかも知りたいと思った私は、平民街にいきたいと──────また、駄々をこねた。


 食事改善の件で駄々をこねることに味をしめていた私は、同じ方法でやれば簡単に許可がおりるだろうと思ったのだが、短期間で同じ手法を使いすぎたのか今回はゲンコツが落ちてくるほど怒られたのだった。


「みんなシャーリーンを心配してくれてるんだよ」

「それはわかりますが……あっ! ねえお兄様、私と一緒に平民街へ行ってくださいませんか?」

「……僕と?」


 困惑しているお兄様に、私はニヤリと笑って答えた。


「私にいい案があります!」




 ◇◇◇




 この世界には、魔法がある。


 そして、前世で言うところの科学技術のたぐいがほとんど発展していない。


 けれど魔法を使える者も人口の上位数パーセントしかなく、そのすべてが貴族から輩出される。

 魔法は血で引き継がれるため貴族家門は脈々と続き、選民思想によって王と貴族は平民の上に君臨しているという状況だ。


「これが平民街……思っていたより活気があるわ」

「グリーナワ公爵領は、国内でも比較的豊かなことで有名だからね。僕がいたところは大通りでももっとひどかったよ」



 ある晩、危険だ汚いだなんだと言ってまったく平民街に近づかせてくれない両親に、私はついにお兄様をダシにして迫った。


「平民街と一辺倒にいいますが、ユアンお兄様という尊い人間はそんな平民街で育ったのですよ! 平民街を貶める発言はユアンお兄様を貶めることと同様です!」


 ここで怯んだ両親に、しめしめと心の中で笑みを浮かべた私は続けた。


「そういえば……お兄様はいずれ領地を治める身ですね。幼いうちから領地を支える民の暮らしを見てまわるのは、重要なのではないですか? お兄様が平民街を視察するのに、一人ではまだご不安でしょう。私がついていきますよ」


 そんなこんなで、常に護衛と行動すること、メインの大通りしか絶対に行かないこと、お兄様と二人質素な姿で平民に身をやつすことを条件にして、私たちは平民街へ行くことを許されたのだった。



 さて、平民街を見ていて気づいたことは、おそらくこのゲームの世界観は中世ヨーロッパから現代日本まで色々な要素をツギハギ的に混ぜて設計されているということだ。


 建物や文化レベル、慣習などで中世ヨーロッパに近いものが散見される一方、近親婚やすさまじい年の差婚は横行していないし、近世までなかったはずのジャガイモなんかは既に存在している。


 それにお店の前には中世ヨーロッパにあるまじき立派な看板があったり、見覚えのあるようなものも……そう、例えばあそこのお店なんかは


「ゲンダッギーブライドヂギン……」


 看板に書かれた文字を読みあげて、私はしばし立ち止まった。


「お兄様、このお店は間違いなく美味しいですわ」

「どうしてわかるの?」

「うーん…………勘です。行きましょう」


 私はユアンお兄様の返事を待たずに、吸い込まれるように店の扉に手をかけた。

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