第2話 兄


 ユアン・グリーナワはゲームのヒロインの一個上の先輩だ。


 光に透ける金髪にブルーグリーンの瞳の美少年で、実質国で王家に次ぐ権力をもつとされるグリーナワ公爵家の次期当主。

 当然ながら学院でもご令嬢たちからそれはもう大人気……という設定だった。



 しかし、そんな彼も実は悲しい影を抱えている。


 この世界では基本的に、貴族は貴族としか結婚してはいけないし、交わってもいけないとされている。


 貴族は基本的に階級意識と選民思想が強いから、そんな戒めがなくとも交わりはそこまで起こらないことだったんだけど、グリーナワ公爵家現当主の兄に当たる男────お父さまの兄だから叔父さんかな────が、それをやってのけた。


 そして叔父さんは公爵家での継承権を一方的に放棄して家出したんだけど、生まれたユアンが物心ついた頃に不運の事故で亡くなったらしい。


 悲しみに暮れるまだ幼いユアンは、当然共にのこされた母への依存を強めていった。

 しかし母親は困窮し、ユアンがいると「こぶつき」で新しい夫も探せないという理由から、私のお父様を脅すことにしたのだ。


 ────兄が卑しい身分の女と駆け落ちしたという有力公爵家の不祥事をバラされたくなければ、子供を引き取って口止め量も払え。



 そういう経緯で、お父様はユアンを保護して養子に迎えることになるのだ。



 そんなユアンは唯一信頼できるはずの母親に裏切られたトラウマから、女性全体への不信感を持つようになってしまう。


 けれど清らかな笑顔で欲しい言葉をかけてくれる優しいヒロインに段々と心を溶かされてついには恋に落ちる……んだったかな?



 ちなみにこのシナリオでの私の役目は、「気に食わない」という理由でヒロインをいじめ抜き、彼女と幸せになりたがっている兄を散々痛めつけて諦めようとさせ、最後はユアンの怒りを買って火あぶりにされることだった。



「……ユアンお兄様! 先日は挨拶もできずに大変申し訳ございませんでした!」


 入室してきたユアンの前で、先手必勝とばかりにジャンピング土下座をかます。

 使用人やユアンが衝撃で口をあんぐり開けているのを感じながら、私は続けた。


「私が倒れた理由はお兄様が思っているようなことではありません。実はかねてよりずっと兄がほしいと思っていたので、念願叶って、盆と正月が一緒にきて興奮が限界突破したといいますか……この表現って伝わります?」

「ええと……その、本当に申し訳……」

「ユアンお兄様! あなたがきてくれて私は嬉しいです。私のことはシャーリーンとお呼びください。敬語もいりませんよ。生涯支え合う兄妹になりましょうね」


 母に裏切られた子供だなんて。


 心の傷はきっと深いし、オドオドしているのも「捨てられるような自分」への肯定感が失われてしまっているからだ。


 だけど他の人から注がれる無償の愛をしれば、少しは自分や世界に希望を持てるようになるかしら。


「私は頼りになる妹ですから、これから思う存分甘えてくださっていいんですよ」


 得意げに言って胸を張ると、使用人たちの生温い「微笑ましいね〜」といいような目線を浴びることになって私は思わず顔をしかめた。




 ◇◇◇




「あらユアン、食欲がないの? 我が家のシェフは一流なのだけど」

「あ、いえ、そんなことは……ないのですが」



 私が意識を取り戻したことで、メンバーの増えた家族での初めての晩餐を迎えた。


 気難しい顔をして口数の少ない父のアランは、この国の宰相をつとめている。

 魔力も国で二番目に強いと世間では言われており、実質王家に次ぐ権力をもつといわれるグリーナワ公爵家の当主だ。


 真逆の性格で明るく人好きのする母のセリーヌは、美貌とファッションセンス、そしてコミュ力によって社交界で圧倒的な存在感を放つ存在だったらしい。


 だった……というのは、もう長いこと体調を崩しがちになっていて、あまり社交界にも出られなくなっているからだ。



 私がしみじみと転生先での新たな家族を観察していると、ユアンお兄様が恥ずかしそうに言葉を紡いだ。


「あの……僕は平民として長く育ったので、こんなに肉を食べたことがないんです。だから……」

「遠慮しないでいいのよ。好きなものだけたくさん食べてもいいんだから」


 母のセリーヌとユアンのやり取りを聞きながらふと食卓を眺めた私は、衝撃の事実に気づいた。



 ──────や、野菜がまったくない! そして食べ物多すぎない?!



 前世の記憶がないままここで九年も過ごしていたからか、今まではこれが当然だと思っていたけれど、今は違う。


 貴族は、野菜は土のものだから平民の食べ物として忌み嫌っており、肉や魚ばかりを好んで食べる。


 また、その肉や魚料理にはむせるほど大量のスパイスが使われて素材の味を台無しにしているし、なによりもったいないのは実際食べる何倍もの量がサーブされ、貴族がちょっぴりつついた残飯は捨ててしまっているということだ。


「あ……あ……なんてこと!」

「どうしたのシャーリーン?」


 残飯になる前の食材を使って、これまでの九年でどれだけの飢えた人々に明日の希望を見せられただろうか。


 食べきれない量を出されてちょっとつつくのが嗜みとされてる貴族文化をこれ以上のさばらせてはいけない。



 突然ワナワナとふるえだした私に、セリーヌお母様が訝しげな顔をする。

 そんなセリーヌの青白い顔を見て、私は思わず心の中で突っ込んだ。


 ──────あなたの体調不良って栄養失調からきてるんじゃないの?!

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