第14話

広い草原を東西に向かって分断する大きな街道が敷かれている。その街道は土を固めただけの簡素な作りのものだが、東に進めば帝国領へ西へと進めば王国領へと続いており、二つの大国を繋ぐ重要な意味を持った街道だった。そこを行き来するのは旅人や商人で、街道の道端ではときどき移動商が露店を出しては水や食料、掘り出し物なんかを売りに出しており、都心部で買うより安かったり珍しいものが多く見つかったりとそれなりの人気を博している。そんな物珍しいものを取り扱う移動商の中でもとびきり珍しいものを商品に取り扱う露店が出されていたのは、夏終わり澄み渡る青空と涼し気な風が心地よい日のことだった。

旅人の少女が一人、大きな街道を使って西の王国領へと向かって歩いていた。少女はまだ若く、十代半ばといったところだろう。背の真ん中あたりまで伸ばした銀色の髪には艶があり、瞳はまるで宝石のように蒼く輝いている。少女は自分の肩に背丈以上の大きさのある短槍を乗せており、短槍の先には旅の荷物をまとめた袋がぶら下げられていた。

一見平らに見えるが歩くと凸凹を感じる土の道を踏みしめながら歩いていると、少女の耳に喧騒のような音が聞こえてきた。まるでお祭りがあるかのような熱気を帯びた興奮した声が聞こえてくるのだ。その声に混ざって時折、木と木がぶつかり合う甲高い音が響き渡ってくる。少女が歩みを進める度に、その声と音はより大きくそしてより鮮明に聞こえるようになっていく。そして、さらにしばらく歩みを進めると、その声と音の出どころであろう集団のすぐ近くまで来ていた。

男が十数人ほどだろうか。大きな円を描くように立って、一心に円の中にある何かを見つめ、歓声や怒号をあげている。背丈の小さな少女は器用に男たちの隙間を縫って、男たちが囲っている円の中が良く見えるところまで来ると思わず「あっ」と声を上げた。そこにいたのは一人の男と黒髪のサキュバスだった。そのサキュバスはまだ幼い姿をしており、二つ三つ下の妹のように見えた。

男とそのサキュバスは、両者ともに模擬戦闘用に作られた木製の短槍を手にしており、二人は近づいては互いの短槍を弾き合っていた。男は傭兵か何かの職につくものらしく盛り上がった筋肉から放たれる短槍の一振りは、大地を割らんばかりの勢いだったが、サキュバスの方はそんな小さな体のどこから力がでてきているのか正面から男の攻撃を受け止めていた。

よく見ると、サキュバスには鎖付きの首輪が付けられており、一人の男がその鎖を手に巻き付けて握っている。その横には透明な硝子で作られたツボが置かれており、中は銀貨でいっぱいになっていた。この商人が飼っているサキュバスに見事打ち勝ったら坪の中身の銀貨を全て貰うことができるという寸法だ。おそらく挑戦料は銀貨一か二枚。価値にして大衆食堂の一食分といったところだ。

(見事な商売だな)

少女は心の中で呟いた。

この手の商売はたまに見かけることがある。一番大規模なのは国営の闘技場だろう。

本来はもっと屈強そうな見た目をした男の戦闘奴隷を使って挑戦者を募るのだが、この商人は代わりにサキュバスそれも幼い見た目の個体を使っているのだ。

サキュバスというのは見た目に反して人間を凌駕する身体能力を持っている魔物だ。余程の手練れでない限り、一対一の魔法なしの勝負でサキュバスに勝てる者はいない。さらに商人は観客たちに飽きさせぬよう時折鎖を引っ張り、サキュバスの行動を妨げていた。その商人はその手のプロなのだろう。鎖を引くタイミングが鮮やかで、毎回ギリギリの勝負でサキュバスを勝たせる技を持っており、あとちょっとでツボの銀貨が手に入るという欲求に駆られて、挑戦を名乗り出る者が後を絶たない。少女はそんな商人とサキュバスの関係を興味深そうに見ていると、男の呻き声と共に大きな歓声が上がった。どうやらサキュバスの突いた模擬短槍の先が男の喉元を突いたようだ。いくら刃が付いていない短槍とはいえ、喉を突かれた痛みはよほどのものだろう。男は地面に横ばいになって蹲り、仲間がやってきて肩を持たれて退場していった。

「さぁさぁ!!次のお相手は誰か?挑戦料はたったの銀貨2枚、勝てば銀貨468枚が当たるよ!!」

だが商人の掛け声にすぐに応じる者は現れない。少女は見逃していたが、サキュバスが放った突きの一閃は武術に疎いものでもわかる程、研ぎ澄まされた卓越したものだった。皆、自らの身の程を弁えて挑戦しようとしない。それを商人は感じ取ったのはサキュバスを睨みつけると、彼女はビクリと肩を震わせて、懇願するように周りを見渡した。

すると突然、人ごみの円の中から少女の声が放たれた。

「私がする!!」

そう言って右手を掲げる少女の手にはキラキラと輝く二枚の銀貨が握られていた。


少女はサキュバスと向かい合った。そのサキュバスは黒髪で、黒髪であることはサキュバスにとって魔力が少なく成熟しきっていない子供であることを示している。だが瞳に輝くにはサキュバスの始祖リリスを彷彿とさせるルビーのような鮮やかな紅色をしていた。

少女もサキュバスも同じ模擬短槍を手にして、勝負開始の合図を貰ってもしばらく見つめ合っていた。商人の手にはいつでもサキュバスの行動を妨害できるように鎖がきつく握り締められている。

最初に動き出したのは少女の方からだった。先ほど、サキュバスがしたのと同じように、ゆっくりと右足を前に出したのちに間髪入れず、後ろに置いてきた左足に全身の力を込めて地面を蹴って加速する。そして、首元という急所目掛けて一閃を突いた。電撃のような業は短槍が空気を切り裂く音すらも置き去りにして、木製の短槍の先がサキュバスの首元に向かう。

途端、サキュバスの顔色が変わった。彼女は、はじけ返せないと本能で悟ると、腰を落として体を下げながら、僅かに首を左へと逸らした。すると右ほおに焼けつくような鋭い痛みが走り、遅れて血が迸りその血をさらに後からきた短槍から来る風圧が吹き飛ばした。

顔色が変わったのはサキュバスだけではない。商人もだった。いまの一撃を見て、少女が只者ではないと察した彼は、考える間もなく鎖から手を放していた。つまりサキュバスに全力で戦えと言っているのだ。

サキュバスは自分の首にかかる重圧が突然軽くなったのは感じて、その真意を正確に読み取った。全力で戦うのはいつぶりだろうか。サキュバスの体に恐怖と興奮が混じった震えが走る。

サキュバスは少女が次の攻撃を放つ前に、自身の短槍を短く持ち、少女の腹部目がけて横一文字に振るった。

少女はサキュバスの筋肉の動きを読み取って、後ろへと飛び跳ねた。次の瞬間、先ほどまで自分が立って場所を、サキュバスが振るった短槍の先が過ぎ去っていくのが目に入った。

少女の額に嫌な汗が滲み出ていた。彼女もまたサキュバスの力を侮っていた。しかし、彼女の目に浮かぶのは恐怖ではなく希望だった。まるで新しい玩具を見つけたかのような子供の笑みが彼女の顔に浮かんでいる。

「サキュバスとして生まれたのが勿体ないね」

少女の言葉にサキュバスは何も答えず、二人はまた睨み合いながら互いの間合いを図っていた。時折、少女は攻撃する素振りをしてサキュバスを誘うのだが、いずれも冷静に受け流されてしまう。

だが突如として状況が動き出した。

サキュバスは少女に向かって駆け出すと、彼女の足元目掛けて短槍を突き出した。

少女はそれを冷静に見極めて、飛び跳ねて避けようとしたが、それよりも一瞬早くサキュバスが突いた短槍は少女の足元すぐ近くの地面に突き刺さった。少女があっけに取られていると、サキュバスは棒高跳びの棒のように短槍を使って自分の体を持ち上げて宙に浮かび上がった。

だが、空中で身動きがとられないというのは誰もが知る事実だ。少女は自身の頭上に居るサキュバスに向かって、短槍を突き出した。

しかし、その短槍がサキュバスに当たることは無かった。サキュバスは翼を羽ばたかせて、身を丸め込むと短槍を抱き込むようにして器用に避けて見せた。そして、地面に突き刺さった短槍を引き抜くと、空中から自身の体を回転させて、少女の背後に鋭い一撃を振るった。

頭上からの背後への攻撃という完全に不意を突かれた少女は、ろくな防御を取れず背中に振るわれた短槍をもろにくらってしまい、大きく吹き飛ばされた。すぐに立ち上がりはしたものの、骨に響くような痛みが背中を走っている。もし短槍の先に本物の刃が付いていたら、もう二度と立ち上がることは無かっただろう。

サキュバスは負傷した少女にトドメを刺すべく、空中を滑空しながら短槍を構える。空中からの攻撃に人間が慣れていない分、サキュバスにとっては有利なる。改めて少女はこのサキュバスの強さを認識した。

サキュバスとして本気を出した相手に勝ち目が無いと思われていた少女だったが、彼女は卑怯ともいえる手を打った。

少女は地面に短槍を突きさすと、勢いよく振り上げて向かってくるサキュバスに向かって土をまき散らしたのだ。サキュバスの視界が一瞬で真っ黒になり、狼狽える間もなく次の瞬間腹部に強烈な一撃が叩きこまれて、地面に向かって滑るように落ちた。

すぐに立ち上がったサキュバスは向かってくる少女目がけて、短槍を投げつけた。少女はそれをすんでのところで体を捩じらせて避けると、後ろから代わりに犠牲者となった男の悲痛な叫び声が聞こえてきた。

短槍を失った相手に成す術はもうないだろう。サキュバスを間合いに入れた少女は彼女の頭上目掛けて短槍を振り下ろした。短槍はサキュバスに当たるには当たった。しかし、サキュバスは短槍が当たる直前に少女の懐に飛び込んできたのだ。少女の懐の内で短槍に直撃としたとしても、それは大した脅威ではない。そして、懐に飛び込んだサキュバスは少女の体を掴んで膝蹴りを彼女の腹部に叩きこんだ。

少女は小さくあえぐと、手から短槍が離れた。サキュバスは少女から離れた短槍を素早く手にとると、少女の体を蹴飛ばして短槍を振るうのにちょうどよい距離彼女を突き放した。そして、トドメと言わんばかりに短槍を少女の頭目がけて振り下ろした。

しかし、短槍が無くとも戦う力が衰えないのはサキュバスだけでなく少女もまたそうだった。振り下ろされた短槍の真ん中目掛けて、少女の蹴りが飛び出した。硬い木で出来た短槍は少女の蹴りを受けて、真っ二つにへし折れた。折られた短槍の先が空中を激しく回転しながら飛んでいく。

サキュバスはへし折れた短槍をまるでこん棒のように使いながら少女に振るう。彼女は次々と五月雨の如く放たれる斬撃にむかって、腕をそして小さな体を巧みに動かし全ていなしていく。

ついにその時はやってきた。少女の頭上から何かが降ってきた。

それは先ほど、少女が蹴り折って吹き飛ばした短槍の先だった。

少女は短槍の先を掴み取ると間髪入れずサキュバスの右頬に叩きこんだ。

頭部への一撃を諸に喰らったサキュバスの脳は激しく揺れて、意識は真っ暗闇の中へと消えていくのにそう時間は掛からなかった。サキュバスの体は糸が切れた操り人形のように少女に抱き着くように崩れ落ちた。

闘いが終わり、少女が息をついた瞬間に歓声が彼女を包み込んだ。そして不満げな顔をした商人がツボを少女に明け渡す頃にサキュバスは目を覚ました。彼女はその光景を見て自身の敗北を悟ったのだろう。自分の体の痛みなど差し置いて、青ざめた顔をしながら商人を見上げていたのだった。

間髪入れず、商人の蹴りがサキュバスの横腹に食い込んだ。彼女は地面を数回転ほど転がって苦しそうにあえいだ。

少女はサキュバスと商人の間に割って入ると彼を睨みつけた。

「嬢ちゃん、なんのつもりだ?こいつはオレの奴隷だ。俺の好きなように扱って何が悪い?」

「何も悪くないさ。ただ私はこいつが欲しくなったんだ。どうだ?このツボの銀貨とこのサキュバスを交換してくれないか?」

少女は内心ため息をついた。これほどの銀貨があれば、しばらくは食うに困らない。せっかく勝ったというのは情けで手放すには惜しい金額だった。しかし、少女にとってはこのサキュバスがツボいっぱいの銀貨なんかよりも、ずっと価値のある存在に思えたのだ。

商人はしばらく黙り込んでいた。このサキュバスは銀貨700枚で買ったのだ。そして、客を呼び込むための材料として銀貨300枚を予めツボに入れ、さらに銀貨50枚を使って囃し立てる役のサクラを数人雇っていた。それならばサキュバスを今ここで売ってしまう方が幾分か損失は減る。

商人からサキュバスを繋ぐ鎖を受け取った少女は早々に人ごみの中を抜けて、何事も無かったかのように王国へと続く道を歩き始めた。二人の後ろでは、ついさっき損失を被ったばかりの商人が張りのある声で、集まっている人々に商品の宣伝をして商売している姿があるのだった。

「あ、あの。ありがとう」

しばらく無言で歩いているとサキュバスが少女に話しかけた。少女は彼女の方を振り向くと、どういたしまして、と言ってはにかんだ。サキュバスにはもう首輪も鎖が付いていなかった。少女が人ごみを抜けてすぐに茂みに向かって両方とも捨ててしまったからだ。

「言って無かったね。私の名はアルドール。気軽にアルと呼んで良いよ。そういえば名前はあるの?」

少女がサキュバスに尋ねると、サキュバスは黙って首を横に振った。すると少女は笑って言った。

―――そうだね。あなたの名はクライゼン。これからはクライゼンと名乗るの。

アルドールはクライゼンを抱きしめた。その温かみは今までクライゼンが感じたどの春よりも暖かいものだった。

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