03
私は幼少期に祖父から身体的な暴力を受けていた。そのため、葬儀の際に私はここぞとばかりに暴力をふるいかえした。つまり、棺の中の顔を何度も何度も撮ったのだ。
今回はどうだろう。
やはり、カメラが無ければ祖母と実家をひと目見て、さっさと帰っていたと思う。祖父が死んだときも、葬儀の時も、当事者性を感じられず、なぜ自分がここにいるのかがわからなかった。ただ、カメラを持ってさえいれば、その口実を自分に対して、つくることができる気がしたのだった。
「こんなときにバシャバシャ写真撮るなんて、どうかしてるよ」
と、母に言われた。
確か、あのときもこの言葉を聞いた気がする。でも、あのときに言われた直後に湧き上がった感情と、今回の感情はどこか違うようだった。
「おじいちゃんのときみたいに、また作品にでもするつもり? 死にかけの顔撮って、なんかの賞獲ってたよね。そのときの賞金で葬儀代でも払ってくれたらよかったのにね」
「いまは、そんなんじゃない」
「あの時からなんも変わってないよね。どうせ食えてないんだろうから、さっさとカメラ辞めたらいいのにね」
「そっちも変わってないだろ」
「私は変わった。おばあちゃん家に帰るようになったもん」
母は、介護もしてるしねー、と言って、祖母の頬に触れた。祖母の心拍数は落ち着いている。
私と同様に、母も祖父母の家で育った。つまり、私と母は同じ家を自分自身の実家と認識しているということになる。
母は、私が子供のころに、祖父母の家を出て行ってしまった。その後、どこに行ったのかもわからないままになっていた。しかし、私が祖父母の家を出た後に、いつの間にか再び出入りするようになったらしい。
私の立場からすると、この人は育児放棄した母なのだ。それがなぜいま、こうして普通に話しているのかが不思議で仕方がない。
「おれは、ちゃんと今と向き合ってる。だからカメラ構えてんだよ」
「意味わかんない」
私は母を一瞥した。
「……なんでもっと早く、実家に帰ってこなかったんだよ」
「だからいまここにいるでしょ。ここ数年、ずっと介護してたんだから」
「そうじゃなくて、もっともっと早くだよ」
「もっと?」
「そうだよ」
「ああ……」
私は再びカメラを構えた。ファインダーを覗き込むと、老いた祖母と、老いた母の姿が見えた。薄いシミの入った腕が、歯の抜けきった口元へと伸びている。
ああ、この人たちはいったい誰なのだろう?
「なんか、話してあげてよ」
私はまるで他人に言うように放った。それを自覚しながら、口の中が乾いていることに気づいた。
「毎日毎日、話しにきてるんだから、おばあちゃんも聞き飽きてるでしょうよ」
私は生唾を飲み込んで、
「……聞き飽きてるって、なんだよ。今も話を聞いてるかもしれないだろ」
「もう意識もないよ。ここ最近、ずっと見てきたからわかる。あんたにはわかんないだろうけど」
なぜだろう。すごく頭にきた。
言葉そのものへの怒りではなくて、もっと何か別の次元だと思う。そうだ、母は今どんな自意識でここにいることができるのだろう。
過去に、私をきちんと育てることはしなかったくせに、祖母の介護はきちんとしているらしい。
なんなんだ、これは? この感情はなんなんだ? いったい何がこみ上げてきているのだ?
嫉妬か? まさか。
あのさ、と私が言いかけたとき、コンコンと部屋のドアを叩く音がした。
「そろそろおしっこ取り替えましょうかね」
忙しそうに看護師が部屋に入ってきて、私たちの返事を待つより先に作業を始めた。
「あ、いったん出ていたほうがいいですか?」
「はい、すぐ終わりますので」
看護師は、私のカメラをちらちらと見ながら言い放った。私はカメラだけを下に向けた。
「わかりました。よろしくお願いします」
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