02
ページをめくると、日に日に字に力が失われていく様子が読み取れた。今日は食事ができたか、今日は排便ができたか、今日は誰が会いに来てくれたか、ということが主な内容だった。後半は何を書いているのか、時間をかけても判読することができない。くるしい、という記号的な心象だけが確かに伝わる。
日記に書かれているのは祖母が信仰している宗教の仲間らの名前がほとんどなのだろう。集会行事のことばかりが書かれていた。こうした日記を通して、私の知らない祖母の日常の断片に触れている思いがした。私はそれがひどく心地よかった。
思えば、なんでもない他人の、なんでもない日常に触れることがたまらなく好きだった。
古いラブホテルの日記帳に書かれた頭の悪そうな落書き、理科室の木机に丁寧に彫られたお調子者の「見参!」の息遣い、キリ番にも届かないような極端にアクセス数の低いブログ、江戸時代の庶民の長屋生活を描いた歴史本。
これらはすべて私の欲望を満たしてくれた。それでは、いま手元にあるアーカイブはどうだろう。それは興味とともに恐怖の対象でもあった。
日記のページをめくる、ひたすらめくりすすめる。
たくさんの感謝と謝罪と見知らぬ他者の名前が連なったその日記には、むろん私の名前はなかった。
ページをめくる手を止めて、再びカメラを手に取った。
再び、祖母の顔、手元、カバン、靴、帽子、点滴。
目に入るものすべてに対して、カメラのシャッター音を放った。しかし、どれも捕らえられた気がしなかった。
常日頃、なんでもない人々のなんでもない日常に用がある、と考えて周囲にもそう言っていたのに、結局こんな非日常を撮ることになったのは卑怯だなと思う。しかし、撮るという理由がないと、ここにいることの口実を私は見いだせなかったのだ。
私は、やや複雑な家庭環境の中で、四歳から十四歳まで十年間、祖父母の古い家で祖父と祖母と一緒に暮らした。
その後、私は上京し、同世代よりも少し早い経済的自立を果たした。果たしたというよりも、そうせざるを得なかった。経済的に、精神的に私を育てられる人は身内にいなかったのだ。本質的に頼れるのは自分の精神力だけだったのだ。家を一度出てからは、実家にあまり帰らなくなった。
しかし、いま、私はその精神力さえままならない。
数年前から、今まで簡単にできていたことが徐々にできなくなっていった。人前で話すこと。朝早く起きること。素直でいること。車の運転。自分の人生を運転しているという感覚。悲しいや楽しい、という感情。
どうにかなるまえに、東京を離れて、祖母のいる実家に帰ろうとも思った。そんな折に、祖母の危篤を聞きつけて、この病院にやってきたのだった。
*
ピピピと機械音が高鳴り、祖母の心拍や脈拍が急激に上昇した。祖母の大きく息を吸ったような動作の後、「なにやってんの」という声が鳴った。
俯いていた私に対して、ぼんやりと行燈を照らすような声だった。
まさか、目が覚めたか。
祖母を一瞥するが、目は閉じたままで、どこか苦しそうな状態だった。
病室の入り口に人影が浮かんでいる。しばらく目を凝らしていると、それが私の母だとわかった。
「なんでここにいんの」
母はのっそりとこちらに歩みながら言った。
「おかしいか」
私はそう言って、両手でカメラを強く握りしめた。
母との再会は、数年前の祖父の葬儀ぶりだった。母は祖父の葬儀でこれでもかというくらい号泣していた。他方で、私は全く泣かなかった。私はそのときも何か理由を探すようにしてカメラを構えていた。そんな私に周囲は動揺していたが、強く咎められることはなかった。それをいいことに、私は妙な高揚感を抱いてシャッターを切っていた。
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