超短怪談(ちょうみじかいだん)

シミュラークル

ちょうみじかいだん

<1談目>

『白い粉』

1

 (白い粉がまた……付いてる……)

 お母さんの肩から腕にかけて、またあの白い粉が付いている。

 「粉」と呼んでいるけれども、サラサラ、ポロポロとはしていない。そう言うよりは、モヤモヤとしている。でも、「もや」と例えるにしては、はっきりとした存在感がある。振り払ってすぐ消えてくれるような生半可なモノじゃない。ちゃんと、手でゴシゴシ擦ってどけないと、下には落ちてくれない。

 お母さんの身体に付いたその「白い粉」に、ぼくは目が釘付けになりながら、急いでお母さんの元へ近付いて行った。

 「ん?何してるの?」

 ぼくは必死にをどける。

 「白い粉が——白い粉が、付いてるんだ」

 「な、何を言ってるの?」

 「白い粉が……これが付いてると……」

 ぼくは言葉を切った。

 その先を口に出すのが怖くて。

 「ん、パン粉か何か付いてる?」

 (死ぬんだ)

 「あ、さっきハンバーグをこねてた時——あの時、ボウルに入れた拍子に付いちゃったのね、たぶん」

 (それを、その粉を、放っておくと)

 「払ってくれてありがとね」

 (死ぬんだ)

 「でもここで、はたいたら床に落ちちゃうでしょ。今度からは、ゴミ箱の前でお願いね」

 「う、うん……」

 ぼくはそっと下を見た。——何もない。

 あの粉は、地面に落ちると跡形もなく消えてしまう。ホコリみたく溜まることはない。

 「今日の夕飯は、ハンバーグだから。もうすぐ焼き上がるよ。そしたらみんなの分、テーブルに並べてくれる?」

 「は、はい……」

 夕飯の調理の束の間、ソファに座ってテレビを見ていたお母さん。その肩から腕にかけて付いていた白い粉は、今はもう付いていない。振り払った自分の手を見ても、(よかった付いてない……)大丈夫だった。

 そっと胸を撫で下ろす。

 この奇妙な現象に襲われるようになったのはいつからだろうか。思い出そうとしても明確な時点が分からない。よく覚えていない。気付くと、この「身体に『白い粉』が付いていると死ぬ」という直感が意識に芽生えていた。

 そして自分でも不思議なのだが、これが、「単なる幻覚と思い込みの産物だ」と疑ったことは一度としてないのだ。それくらいに確信している。「あの白い粉が付いていると死ぬ」と。

 正確に言えば、付着してすぐに死ぬことはない(粉は突拍子もなく、気付くと付着している)。ぼくの中では、その白い粉が、人間の身体にと死ぬと思っている。どれくらいの期間、付着し続けると死に至るかは分からない。

 内実、その事が未だ分かっていないのは、しかし当然のことだ。白い粉を放って置いて本当に死ぬのかどうか、当然確かめる訳にはいかないからだ。要は、これまでぼくは、その白い粉による犠牲者を出していない。自分でも家族でも、付いていれば即座に除くので、その甲斐あって、死の不幸をまのがれているのだと思っている。

 これはきっと、ぼくだけに見える”予兆”なんだと思う。事態を未然に防ぐために大切な”予兆”——それを見抜く能力。

 そんな力を、ぼくは眼力として搭載してしまったわけだから、家の外へは怖くて出掛けられなくなった。もし、道行く人が、学校のクラスメイトが、と考えると怖い上に、もしも同時に大勢の人間に大量の白い粉が付いているなんて事態になれば、ぼくには対処のしようがない。そんな事になれば、とうとう、長時間付着し続けた白い粉による”結果”が表れてしまいそうで、どうにも怖い。だから学校へ行く以外は、ほとんど外出しなくなった。幸い、ぼくは眼鏡を掛けていなければ視力が低いので、恐らく他人に付着しているであろう白い粉は見なくて済む。

 ぼくは家の中でだけ眼鏡を掛けて、ぼくの力の守備範囲を、我が家と家族に限定することで、精神的な負担を最小に留めている。

 「ハンバーグ出来たわよー。持ってってー」

 「はーい」

 ぼくは台所に向かって、ハンバーグの皿の乗った盆を両手で持ち、リビングのテーブルへと運んだ。

 そして、盆を置き、皿をそれぞれのテーブルマットに置こうとした瞬間。今度は、ぼくの手の甲に付いた白い粉に気付いた。しかも両手に。

 「ぎゃっ、いやっ!」

 ぼくは慌てて両の手の甲を、すりすりと擦り合わせた。落ちた粉が—消えるはずだが—ハンバーグにかからないように計らいながら、必死になって振り落とした。

 「なに?!どうしたの?!」

 ぼくの悲鳴を聞いて、お母さんも慌てて台所から飛び出して来た。

 「何?虫?」

 ぼくの動作が、手に付いた虫を払うように見えたらしい。お母さんは幾分落ち着いて(ぼくが虫嫌いだということを知っているから)、

 「蚊に刺された?やーね、また入り込んで来ちゃったのかしら。いったい蚊の奴はどこから侵入するんだか……」

 ぼくの動転を蚊のせいにして、お母さんは網戸の方へ行ってしまった。

 しゃにむに擦り合わせていた手の甲を見ると、もう白い粉は無くなっていた。しかし代わりに、摩擦熱ですっかり紅くなってしまっていた。

 「はぁ、こんな神経質になってたら、せっかく払っても寿命が縮んじゃうよ」

 死に結びついた白い粉への強迫観念に疲れ、ぼくは独りごちた。

 「でも死ぬの怖いし、仕方ないか……」



2

 (確か、昔もこんなことがあったような……)

 精神病院の帰り。今日診断を受けて、聞かされた病気の名は”強迫神経症”だった。

 いつ発症したのか、その正確な時点は覚えていない。とにかく、気付くと僕は、あらゆるものを”整頓”したくなっていた。それも強迫的なまでに。

 瞬きの回数、食事の際の噛み方でも、左右差がなく綺麗に対称回じゃないと気が済まないのだ。

 会社のデスク周りも、全てが頭の中で描いている配置にピタリと収まらなければ気が済まない。キーボードや書類のファイル、ペットボトルも、角ばった物は全部、机の辺と平行じゃないと気が済まない。

 ——等々、そんな有様で、社会人になってからの多忙さとも合わさって、僕の精神的疲労は倍加し、挙句、この前、頭がショートした。

 「強迫観念……。そう、そういえば、昔も一時期……」

 あれは小学生の頃だったか。「白い粉」がどうとか。

 「しろいこな…白い粉…」

 この怪しげなワードが妙に記憶に残っていて、その意味もすんなりと思い出された。

 「そうだ。『白い粉が付くと死ぬ』んだ。だから僕は、それを見つけ次第、血相変えて振り払って……」

 子供らしい幻想、妄想のたぐい。僕はそんな錯覚めいたものに怯えていたのか。——と言っても、今の自分と本質は変わらないじゃないか。必死に、強迫的に振り払って……。よく言えば、「抜かりがない」ってことなのかもしれないけど。

 「でも、そうだ、家族に付いていたやつしか見えなかったような。いや、違う、僕は家の中だけちゃんと眼鏡を掛けて、を見えるようにしていたんだ。『守備範囲』がどうとか云って」

 今考えると矛盾だらけの話だ。

 家の外の人に、皆が皆、もしも同じように白い粉が付いていたとしたら、次々にバッタバッタと死んでしまうではないか。家族は守ると云う正義感はあるが、赤の他人からは目を背ける……。今の僕でもそうするだろうか。

 子供時代の自分の心中と照らし合わせてみる。

 「うん、確かに難しい話だ。道行く人全員に”死の粉”が付いていたとしたら、とても払えない。仕方ない、か」

 眼鏡ではなくコンタクトに鞍替えした今の目を僕はパチパチさせた。

 僕はそんな昔に思いを巡らせながら、そして駅のホームへと続く階段を上った。

 もう10分もしないで帰りの電車が来る。それに備えて既に結構な数の乗客たちが整然と並んでいた。

 「こりゃ満員電車だ。もう座れないな」と思いつつ、僕は自販機で缶コーヒーを買った。何となく丸みを帯びた入れ物のドリンクを買ってみた。

 ホットのコーヒーで手を温めながら、少しの望みを抱いて、ホームの端っこ目指して歩き始めた。

 (少しでも空いてるトコへ……)

 すると、ふとした思いつきが頭に浮かんだ。

 「もしかするとあの粉は、”死神マーカー”みたいなものだったのかもなぁ」

 人の死を司る死神が、死の管理や調節をするために、わかりやすい目印として”白い粉”を付けておく。そして、その量や程度で、死ぬべき人を決める。子供の頃の僕は、その死神特有のマーキングを何故か見ることができて……。

 (ふんっ、社会人になってもそんならちのない妄想を)

 病的なところといい、本質の変わらない自分を笑った。

 (まぁでも、その死神が付けた白い粉はきっと、付いていたところでほとんどの場合、致死量には達しないんだろうな。爪や皮膚の”あか”と同じように、気付かぬ内に剥がれ落ちて、また気付くと無くなった分が埋め合わされて。そんな新陳代謝みたいなサイクルがあって。たぶん僕は、「神経質」で「強迫的」で、よく言えば「抜け目がない」から、少量でも白い粉が見えたら「マズイ!」と感じて急いで払う。そんな状態だったんだろう。本当は死神としても大した”量”じゃなかったろうに)

 僕らしい、か。

 妄想でも現実でも己の本質が一貫していることに気付いて、良いのやら悪いのやらという気持ちになる。

 歩きながらコーヒーを飲み干して、そして僕はホームの端に辿り着いた。

 ええと、ここは、これから乗る列車の最後尾の方だ。

 

 『列車が参ります。黄色い線の内側まで……』


 いつものアナウンスが流れ始めたので、僕は、乗車口の列に並んだ。列と言っても、ここは運良く、前に1人しかいなかった。

 (ラッキー)

 スーツ姿のサラリーマン。僕と同じだ。

 くたびれた真っ黒のスーツ。

 会社に疲れて、風呂に入るのもめんどくさがっているようなボサボサの髪。

 (さすがにちょっと汚いなぁ)

 肩を落として、疲労を隠しきれていない様子もまた、僕と同じだ。


 プーーーーー


 警笛が鳴って、遠くから線路に沿ってくねって走ってくる電車の姿が見えた。

 どんどんこちらに近づくにつれ、いかに猛スピードかがわかる。

 ホームまで、あと2秒、1秒——。

 ——と、僕の視界から何かが消えた。

 黒い何か。さっきまではあった何か。


 ドン!


 とてつもなく大きい音。電車のクラクションの比じゃない程の大きさの、形容し難い、無機質とも違う、これは無慈悲でグロテスクな……。

 音と光景、理解とが、一瞬にして起こる。

 先ほど目の前にいた黒のスーツのサラリーマンが、ホームから飛び降りたのだ。

 自殺!

 暗然とした2文字が頭をぎる。

 黄色い点字ブロックの上に男の持っていた手提げ鞄が落ちている。

 「あぁ、あぁ……」

 僕は尻餅をついた。

 歯がガタガタと震え出す。

 激しい恐怖に脳内が、凄まじい速度で支配されてゆく。

 ——しかしその片隅で、

 「あぁぁぁ……」

 うずく感情が、ひとつ。

 「何で、まさか……」

 僕は後悔している。

 「くそ……あぁ……」

 男の肩に付いていたあれを——あの白い粉を、だと勘違いしていなければ。

 振り払って救えたかもしれないのに。





おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

超短怪談(ちょうみじかいだん) シミュラークル @58jwsi59

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ