第2話 2024年 春来たるを信じて

笑うお婆さん

20240305


* 5月下旬帰国の航空券を購入した(と言うのかな)、

昨年秋の一時帰国便に比べると1、5倍の値段なのだけれどそれでも、

春からの値段の高さの湖の中の、5月にたった二日だけが何故か

ぽっかり咲いたハスの花のように安くて、

その理由から帰国の日が決定されてしまった。


もちろん購入は最近のことではない、一月末だったかしらん。

そして、その後2月と3月はのんびり過ごそうと思って、

まるで人生初めてと言っても良い退屈な日々を味わおうと思ったのである。

こう書くと、意外なことが起こったかのような空気になるけれど

一番意外なのは、計画通りに退屈な日々となったことである。


予定が無くするべきことが無く人との交流も無く

したがって暇があり、しかし散歩も出かけもしない、在宅服を纏って

寒くもあるので猫のように暖房にへばりついて、

時々必要なことをする以外、時間が

無駄に、惜しみなく流れるままに過ごしている。日光無しの日々。

顕著になったのは、当然、前頭葉活動の低下、脚もヒョロヒョロしている。


* もう何年もセラピーに通うことが許可されているのだけれど、

効果としては会話練習みたいなものではあるけれど、

セコハン店と墓地には近いし、と一時帰国後も予約をもらっていた。

2月23日金曜日10時である。

さて当日、前日にはちょっと怪しくなっていたのが、

つまり週の水曜日までははっきり区別できるが、木金土となると、

曜日の区別が怪しくなるということが繰り返されてきていて、

明日は予約ありと前日には思っていたはずだが、朝になると

「明日が予約だ」という頭が出来あがっていた。

アラームもかけていなかったので就寝時にはもう間違っていたのだ。


すでに9時前だった、気づいたのが。なんとか頭を修正して電話して

謝り倒して翌週の予約に替えてもらった。


そう言えば

いくつか笑う、というか失笑すべきことはあった。

そうか、それを拾うための退屈経験だったかも。

例え少なくても、稀少価値が出てくる。


* もう数年前に、歯医者がプラスチックの透明な歯型を作ってくれた。

上顎のためのもので、多分睡眠時の歯ぎしり対策だったかと思う。

(ここ数年かかって顔の骨組みが動いているらしく、上の前歯二枚が内側にお互いに引っ込んで止まない。下の二本はある時突出してきて1ミリも高く飛び出してきた、その飛び出し部分はいつの間にか折れて消えて、他と高さが揃った。それで終わりかと思っていたら、今度は下顎がまた沈み始めたので、結局その下前歯は他より1ミリ短くなってしまった。これは只のお喋りです)


ある時から透明マウスピースが、案の定行方不明になった。

折りに触れあちこち、ついでに探してはいた。10日ほど前、

黒い大判帳面がいっぱいになり、美しい中判帳面を使い始めて、

何となく心気一新、

マウスピースでも使おうということにどうしてかなってしまった。

次の日、浴室の透明プラスチックの薬箱を、まあありうるかもと思って、

むしろ何気なく、いつもより深く覗いてみた。

そこに小さな動物のようにそれが保護色みたいに鈍く光っていた。

昨日の今日という早業だったので大喜び、

神さんと「いやさか」と祝ったのであった。最近のビッグトピック。


* この小さな地域に

インド人、トルコ人、アジア人、ドイツ人、ウクライナ人のレストランがあるのは、元々、海には遠いのに海の塩の保養地であるせいらしい。

月に1度ぐらいカレーあるいは寿司を食べることになる。

ついふらふらと入っていってしまう。先日はサーモンの刺身を頼んだら

値段の割に素晴らしすぎて、タガが外れたらしく

ふと思いついたことを、

わざわざベトナム人(らしい)お兄ちゃんに言ってしまった。


「この刺身だけど」「あ、どうでした?」

「美味しかった、すごくね。で、気づいたのだけど、今更だけど、刺身って調理が簡単よね、ただ切るだけだから」

「・・そ、そうですけど、やはりその他、すること」

「わかってるわよ、でも切れば済むじゃない?」

「は、はい、えー お勘定は」


この有名な食べ物の調理の簡単さが、おもしろくてたまらなかったのである。

同時にこの場面が、自分でもたまらなく可笑しかった。この婆さんは

何をいうかと思えば、と呆れられたことだろう。確かだ。

笑いながら店を出た、幸い誰もいなかった。


* 先週金曜日は、エラーの後延期してもらった、10時のセラピー予約に

間に合うように家を出て、坂道を息を切らしながら

橋へと登ってきたとき、老人が一人、散歩中のようだった。


突然、ここが日本であるかのように感じられた、

彼の様子が、ちゃんちゃんこを着た冬のおじいちゃんという膨らみ方を

していたのだ。

急に懐かしさを感じて、まさか、と思ったほどその形に感銘を受けたらしく、

振り返ってその服装を確認、流石にちゃんちゃんこではなかった。

頭の中に冬のおじいちゃん形という概念が残っていた、その時、

突然わかったことには、

おじいちゃんだなんて客観視しているこの「自分もおばあちゃんじゃん」


ということであった。ちゃんと背中に腕を回して楽な歩き方をしている。

小さく含み笑いが出た。

足元にはクロッカスと水仙、木瓜の花もあった。

それを見ながらもなおも笑いながら歩いた。傍に車列はあった。


おもしろ楽しかった。自分でこうして遊んでいれば世話はない。

とは言え、その楽しい時間の後、バスがストライキだと判明、なかなか大変な

目に遭うとも知らずに。



* 最近は、言わばサボっている、

瞑想にしても祈りにしても、できるだけ自分に強制するようなものでないように。

しなかったら罪悪感を抱くようなものでなく、かつ、

知らずに人にも自分にも苦や病を存在せしめないように。


自分が同情心を感じるようにと、あまりに他人の苦を重たく念じることは、

ひよっとして悪い影響を与えるかもしれないと。

なので、

ちょっと片手で拝み、よろしくと頼み、

やよろずの「神々」にも どもどもと挨拶するほどに。


何しろ苦や痛みが、空無の体なのに存在するはずも無く。

一方で、完全なる法則としての「真空のエネルギー」(今日の仮称)

あるいは

その具現体である実相体に対する時は、「真正の」と、

この我々の意識界とは区別して呼びかけ、呼び出しをする。


その無限大・無限小のエネルギーを、この場に(善悪混在)いる自分が

感じようと意図した時、

妙なことにイスラム教徒がするような、

両手を捧げ持ち、頭や顔をその手で撫でる、という動作がしたくなってあれ?と

失笑した。いやあ、手にもらって、在るものは愛でしたね。


ヌールに「どうしてコーランを詠まないの?」と言われたことがあったっけ、

彼女にとっては息をするくらい当たり前のことなのだ。その狂信は時に、いつも問題を引き起こす。イスラム教徒全てでは全くない。

好きなことを信じればいいが、それら全体の構造を思考しないと。


無駄に苦悩しないように、命の終わりを無駄に怖がらないように!

それは偏光メガネの影響なので

そうじゃないのかもよ〜 全生命!!

喜びは実在する、苦悩は空無である。

実は今でもそうだけど、この生が終わればあとは極楽、そうであることを信仰する、あたしは、一人でも。


昔、笑うセールスマンという漫画?があった、読んだことなかったけど。それを思い出したので。




ヤッホー大好き大谷夫妻、あ、違う

20240316


3月15日 金曜日になってしまった。

やっと、ここ十日間の体験の外観を 掴み構造を発見した。


せめてここまでの思考の成果を記述しておこう、そうしないと、、(藻屑と消える)


あたしの意図的な仕事の一つは、物理学(但しいつも注釈するように、幻像界での物理学(もちろん真理も入っているが捉えきれない部分がある)のことだけど)を根底に、


生命と死と意識と思考と感情と捉われと運命と悪意と善意と殺傷と助け合いの

自由でもあり不自由不条理でもあり、幸不幸の支配もあり

無知と向上心と欲と後悔と罪悪感と憧れと愛と寂しさと不足不満と恨みと憎悪と知性と教育と洗脳と、、こういう現象の

(こんなに書き並べるつもりではなかった、毛頭、切りがない)

つまり人間の意識と感覚と考察と願いと不満と不安の考察、

つまりこの意識界の考察(人類の旧来の学問分野の成果の上に、神学的形而上学的哲学的空想的妄想的部分の、プラス心理学的な解明追求も含めた)

つかみどころのない意識界の、超私的気まま的研究に

自分としては勤しんでいるつもりなのである。



季節の桜桃の白い花盛りになったせいか、

基本的には気分は強くなり、高揚し、やる気が湧いてきて、

たとえば顕著なのが、太極拳棒術を完璧化しようと時間と金銭を費やし始め、

ついでに家事にも力を入れ、同時に引越し準備も数歩進めることもできてきた。


一度座ると立ち上がるのもなかなか、かと言って長くは立っていられない

老人ではあるが、喜んで頑張っている状態なのだ。


同時に相かわらず、(人のよくやる散歩、庭仕事、手仕事、趣味、おしゃべり、おしゃれ、ショッピング、テレビ、音楽鑑賞、旅行はしないが)

誰もいない家の中で、密かに、というか、時には声を張り上げて

自分で自分に笑いをとっている。


*最近最も笑ったのは、

昨秋の一時帰国の時、末っ子のKGに時々、こう言われた瞬間を思い出した時だ。

あたしが2、3言話すと、遮られた。

「どうしたん、いきなりドイツ語で」

あたしはまずはその日本語の意味がわからなくて、なんと返そうかと、考える。「xxxxx」言いかけていた続きを話そうとする、

なんだか不自由だ、いちいち日本語から変換している、

あ、ドイツ語を話している!とやっと気づくのだが、

そこまでいくばくか時が流れている。

それは数時間KGと話さなかった後の状況だったろう。

夫のJBに対する習慣化した関係感が支配してしまったのだ。


そこまでの自分のボケッとした顔を想像すると、笑わずにはいられなかった。

3回くらいやってしまったと思う。

今となっては、面白可笑しくてしばらく楽しい時間となった。


*少し青空になりそうだったので月曜日(0311)、スーパーに出かけた。ナーエ川の支流に沿って歩きながら懐かしい唱歌「春の小川」や「富士山」を小声で歌った。

歌詞が素敵だ。

帰って、やっと荷物を片付けた後、いつの間にか眠ってしまった。

目覚めて、部屋を出ると、玄関のドアがかなり開いたままであった。

ありゃーしっかり閉めていなかったんだ!


しかし、こんなにたくさん開いている、、外には発泡スチロールと銀紙が

無茶苦茶散らかっている、誰だ、こんなところに、、、

あ、セルマだ。この散らかし方は人間ではない。と階段を駆け上がる。

人間ではない足跡が、あちこち残っていた。二階がキッチンだ。

そこにも姿はなく、特に変わったところはない、と思ったが、

やはり、あった。まさに不燃物をすてる袋に差してあった2つのものがない、

肉の匂いを嗅いで外に運び出し、食べようとしたのだろう。

やられた~~


翌日、外に出ようとドアを開けると、もうそこに、セルマの長い鼻面が

差し込まれていた。あたしは本気半分で、セルマに文句を言った。

それでもそうして話しかける機会となったのが面白かった、

が、セルマがぼさっとしているはずだ、

あたしは日本語だった、彼女にわかるはずもない。


*その前の土曜日(0309)には冬のズボンと靴を、いつもの古着屋で買った。

お墓参りのついでに、お墓友達のエレンが彼女の白いピカピカの

ベンツで乗せて行ってくれた。

靴は2足、ズボン3本も買っちゃった、とかなりたっぷりした気分だった。

しかし、家に帰ると、2本しかない、狐につままれたような気分になった。

結局現実の通りだったのだが。思い込みの由来は不明である。

あたしはまさに独り言で、自分に語った。

「どうしてこうなるのよ、一体、アホとちゃう」


*0312、夜に眺めていたYouTubeで、量子物理学の式の説明を

かなり詳しく見ることができた。萎縮した老脳の常として、

一向に記憶に定着しない記号がどうしたわけか、語り手の影響か、

かなり近しくなったような気がした。特別な喜びの笑い顔になった。

やっぱりこれだ、これが少しでもわかるのが面白い。 


*次は笑い上戸ならぬ、泣く話だけど。

「アンチカオス」という和訳中の本で、たまたま自裁したボルツマンの

最期の話になった(時間の方向性を含んだ未解決課題に絶望した数人の学者も

後に続いた)。ちょうど高橋夫人の、

脳外科医だった夫が、また脳出血を起こしたという知らせがあった。

JBとほとんど同日にこの世を去ったあたしの学友の・夫クリスも、

同じく外科医でアルツハイマーを発症した。

よく笑いよく泣く者となったあたし、しばらく人の子の悲しみに浸っていた。

するとしばらく浮かぶ様子もなかった五七語が湧いてきた。

「いくたりか夢断たれたるおのこらの形浮かびぬ 我が子人の子」


*なおも3月11日のこと。

千葉県で直に経験させられたあの日、多くの人が理不尽に亡くなった。

世界中に対し、その平安を希求しようと思った。

すると

「自然界は実験場だ、いかにして極楽を生きることが可能か、いかにしてすでに与えてある真理を見つけるか、その行為を目的とした実験場。

パーフェクトな社会、パーフェクトな人間へ至るのだ」と考えが浮かんだ。

新規な考えではないが、自分の中から顔を出したのは初めての考えだった。

しかしどうも難しそうではある。成果が偏っていて悪影響となっているし、

この考えは好きではない、酷すぎる。


3月12日

改めて、全生命の幸せを願うという熱望があたしの中に湧いた。

しかしこれは他の生命を食べ、

存在し続ける欲に駆られる、という生命存在の基本条件との全矛盾である。

その熱望はあり得ない。論理的に無理。


そうであるのなら、生命として存在したくない、私の熱望は

この様式での全生命存在をむしろ否定する。無論我々の罪でも落ち度でもない。


改めて、

この存在様式が酷すぎてあり得ない、受容不可能だ、ということは、

実は存在してない。(そこまで言う?)

一つの証明は:知能を発展させそれを使って、どうしても殺人、地球生命破滅を

させる方向への進化あり、つまりこれが

与えられた方向性である、

自滅(=存在してない)の目的に向かっている。シニカル


このようなものであるとして、生命の生滅の軌跡が考えさせるもの 

一方で自然生滅システムの方式があまりにパーフェクトなこともあって:


「素粒子の理由なき生滅行動、と同じである可能性もあるのかな?」

ということは

根本性(ミクロ)が大規模(マクロ)においても現れている。

ただ、大規模システムでは

最近の知見実験によると情報のみが存在している、とかだけど

どんな内容の情報??? この混乱の原因となる「情報システム』か?

それ以前に、

素粒子の根源・性質としての生滅性と、情報との関連が全くもって想像し難い。

ここが次の、より深い問題・・・


*時間を自由に遡っているあたし、3月7日のこと、

ここでもふっと湧いてきた言質がある。

つまりそれまで微塵も考えなかった内容が。


いわゆる旧約聖書の物語において、創造主が造ったのは人類ではなく実は、

意識である(脳神経細胞網がとりわけ高密集した状態)。

楽園であろうが、混沌であろうが。見方次第である。


もう一発、

死すべきものとしての生命体、と見えるが、実はこの方式で

生命の永続性を表している、原型は久遠の生命体である。

子孫を残し死んで行くと見えるが、そのやり方は命の永遠の存続でもある。


*こんな風に脳を騙して、自己満足的に考え生きることも悪くはないかなあ~ 

ここ、今が楽園だと簡単に感じている。


ピグマリオン効果、あるいはローゼンタール効果、

そんな人間心理があるらしい。

褒められると人間心理はBloomer花咲く人を作る。

喜んで学び練習し、むしろ天才になってゆく。こう考える人もいれば、

ちょっと想像もつかないがサタニズムなんてものもあるようだ、

しかもひょっとすると大規模に(そんな主張がある!)

やめてほしい。


*ところで、少しやる気になって

帰国準備や棒術稽古などしようとするあたしの指に

絶えず傷が生じている。

包丁を研いだばかりに2回、同じ場所を切り付けてしまい、

それが治ると違う指が、いつの間にか腫れて青痣になっている、不思議だ。

仕事ができないことはないけれど、、、

それ以外に2、3の不如意も起こってきて、これもはてなマークの仲間である。

はてなを神さんに見せよう、一緒にやりましょうね!

こちら頭が働きませんよってに。



*とまで書いて翌日 0315金曜日

不如意の一であった懸案:あたしのメールに対し、ヘルビーより電話あり、

紆余曲折あって延期になっていたバイエルン訪問が

ついに最も良い方法で解決した。やっほー!


不如意の二であった懸案(これはあたしの詰めの甘さが遠因で出来したもの):

あたしの電話&メール訴えに対し、クレーマー夫人より電話あり、

さらにその数分前、トイレで妙案をいただき、ただでさえ感激していた

(だって、簡単に思いつきそうなものだったのに一人で凝り固まって詰んでいたらしく!)あたしだったので、この流れのスムーズさに、

またもや「春の小川はサラサラ行くよ」と捧げたのであった。

即予約をもらった。ヤッホ、ヤッホー!


全てがうまくいきそうな確信と喜びが湧いてきた。

あたしの心臓よ、大丈夫か!? 喜びに耐えられる?




小さな花丸印たくさん見つけた

20240327


70年前の小学校では、赤鉛筆の花丸印がもらえた、今は知らないけど、

自分のノートにそれを見る幸運に出会うと、1日が輝いたっけ。


3月18日月曜日

先月参加した地域の素人音楽会がちょっと楽しかったので、つい、

口から出まかせに、自己紹介で

「私は残念ながら帰国しますけど、これは夢ですけど、もし居候させてくれるという方がいらっしゃるなら、このオカリナ連れて時々ドイツに舞い戻ってきて皆さんとこうして合奏したいですわ」と述べた。


すると豈図らんや、

スザンネが電話してきて、部屋が一つあるから困っているならどうぞ使ってと言う。

彼女はその会へは初めての参加者、アラカンのように見えた。

「あれは冗談で言ったのですが!」「あれはただの夢なのですが!」

と説明しても、ガンとして引かない。

これはまた奇怪な成り行きだ、まあ日本の話でもしに行くか、と思ったのである。


住所がモーツァルト通り、周囲にはシューベルトやベートーヴェンもある。

開口一番「誤解させてごめんなさい」とあたしは言うのだが、

スザンネは

「あれを聞いて私たちすぐに話し合い、よし!とばかり、室内をセッティングして、ほらこんなに快適な部屋になったから!」と。なるほど、

感じの良いしつらえであった。

彼女は大学を出て人形劇場で働いた、こども福祉の領域だ。

パートナーのマルティンはもう八十歳を過ぎた音楽家、

路上で演奏する時期もあったとか、でも貧乏では全くなく。

二人とも結構ヒッピー的かと思われた。


二人の妥当でない熱意、あたしにここで暮らしてほしいという固い決心!

これはなんだ??

理解を超えているけど、またもや天使を遣わされたな、と思えて

きのう3月25日に、メールのやり取りの結果、

ドイツを去る前数日間、寝させてもらえる、ということになった。

常軌を逸した事態ではあるが、彼らの人柄、室内の秩序と趣味に

異常は見当たらないのだけどねー 神さん お任せしますよ!


その他の花丸印

*各種の解約届に奔走させられていたが、

デジタルと人間との両方で試していた電話会社は、結局人間を通した方が

勝ちとなった。相手の優しさが身に沁みた!

*日本で転入するのに戸籍謄本が必要となり、これまでは海外から

取り寄せるのは不可能というほどだったのが、3月1日から

代理人でOKという改正がなされた。助かった!

*温泉治療にヘルビーの近くに列車で行く、という話になって

切符を買っていたのだが、彼が新たに仕事を頼まれたため

(それが大口だったため)二度目の延期となった。

渋々切符返還に行くと、なんとほとんど全額返してくれた。

儲けたみたい!

*「テーマ:春の思い出」でFM鎌倉で放送されるという原稿募集があり、

なんだかピタリと条件が揃ったのでペラペラと書き送ったら、

本当に放送されることになった。あたしの目論見:

実は鎌倉に住んでいる旧友の捜索であったのだ。

うむうむ、ひょっとすると? ただドイツでは聞くことは叶わないが!


*ここから少し怪しくなるけど、

病も不幸もこの空無の存在の現象に過ぎない、核心とは全く関係ないはず。

あたしの去年秋以来の新たな持病となった骨盤底筋老化が、

悪化した感じがしてますます重いものを持てなくなった。

その割には長い棒を振り回すのだけどね。手術に近づいた。

そこで考えた、意識をこう騙す:これがあるので、重たいものを持たない、

ので脊椎の椎間板変形の痛みや悪化の危険を

少なくするじゃない?とにっこりする。

*最近のあたしのSNS視聴時間、かなり増えているけど(暇すぎて)、

時に出逢いもある。(日によっては退屈で眠ってしまうこともあるけど)

誰かが呟いた、我に他責の念なし と。いいんじゃない〜 

今やありませんアタクシ。

自責の念も大いにあったけど、お陰様でした。と頷いていたら、


とあるDVの知悉家が、あなたはそれでいいでしょうが、

子供は被害を受けてます、と叫んでいるのに続いて出逢った。


これには参った。確かだ。あたしは本来強い、馬耳東風でやっつけたのだけれど。

いや、確かに、

そのためにあたしはこうして帰国するのだ。導かれるように末っ子の

そばに居を構えるのだ。そこで、摂理にお任せして、不可知の限界まで

進みあくまでもその先を求めて修行僧として残りを生きるのだ。

そしてJBよ、あなたの子だ、ちゃんと世話をなさい! 

わかってる、僕らは同じ使命を負っている、そう彼は言ってるようだ。


さらに、いくつか面白そうなトピック:神道 タロット 整体治癒


*ここで突然、科学界におけるあたしと概念の出会いをまとめさせて頂きます

とりあえず。

反宇宙なるものがありうる。そうすると宇宙の拡張の意味が変わる。

あるいは宇宙の年齢は2倍であるかも。そうするとダークマターは無くてもいい。

地球の中心に大きな鉄の?球体がある。

カミオカンデで素粒子が崩壊する時、やはり微光が生じるのが証明される。


*さらに、互いに関連しなさそうでしそうな突然のアイデア群


3月16日木曜日

不可知の生滅システム(=神さん)は、自らの存在のなかに

エネルギー凝縮部分(=物質)とイデアor情報(=魂)を作った(ーここが実相体)


実相界(我々の量子物理学には実相VS幻像という認識が全くない)

については

我々の思い描く極楽のようなものであろうが、情報がないので不明。

ただ論理的に完全無欠で真善美が成就された場であろうと、、。


光(素粒子orひもレベルでのプラスマイナス衝突・消滅時に生まれる)は

永遠に直進する、実相体という物質に

ぶつかると初めて反射する。物質がなければ宇宙は闇だ。


物質つまり実相界 に光が当たり、その周囲に、影の世界が当然、出現する、

が光の反射があるので闇ではない。

似ているが劣化した影と意識が生じ、その意識は幻像界を妄想する。

つまり我々は自らの妄想した幻像界にのみ居る、空無の体と

フェイク魂でしかない??

これはこう考えるのも、とりあえずがっかりものの想念ではあり、

残念だけれど。。。。


さらにさらに

我々幻像人類に基本的に重要視される愛と性、その意味は、

遺伝子の多様性が目的。

永遠の不変の存在なら、多様性が増えない、

こうした形での無限性と永遠性が必要なのは、

実相界のフェイクであるせいだろう。実相界では完璧無限永遠であるので

この意味での多様性も必要ない。


3月22日水曜日

短歌、また一つできた:短歌というよりご詠歌

「山の端ゆやよひ七時の光輪の虹色刺すも空無の我へ」


ドイツの冬においては、非常に貴重な太陽、これに相当する

実在(イデア)はあるだろう。

我々の意識に映るのはその完璧より幾%か減少して滲み来る 朧ろのもの、

その欠落部分を我々はネガティブやエラーや不幸として体験する?


それにしても命の造作の妙は、凄まじい、その妙を感じる。そう

我々のいる幻像界も、バッチリ神さんの体内の場である、安心していい。


3月24日金曜日

本日の課題は、我々幻像体には実相物質界が見えないのは、何故か?

見るとは光を受け取ることである。我々が見る対象とは、

自らが光を発するか、当てられた光を反射するか、してくる。


実相体に当たる真正の始原の光、

一つにはそれは全反射して透明となり我々の視覚機能には認識不可能となる。

あるいはこれはニュートリノ部分かもしれない。飛んでいるのは光だけではない。だが反射しないで通過する、だから見えない。

二つには色は実相界でもあるはずなので、吸収・補色・反射作用が起こり、

住人たちは認識していることだろう、素晴らしいオリジナルの色を。

我々にも色は認識可能となる。

実相界からの反射光は影の世界へも進行して滲み出す、そこで

我々にも感得されるので、一応色付きの実相まがいが浮かび上がる。


ちょっと待て、。「始原存在」とは、あまりに無限なる

有るか無きかの化身のような創発・神体(エネルギー体)かと

推測されるわけだけど、

実相界だって完璧性のままであるか無きかであろう。

超微細な振動において有るか無きか、状態であるかもしれない。俗に

我々のいう「揺らぎ」つまりエネルギー?


3月26日火曜日

なぜこの幻像界があるか、やはり実験場である。自称我々神の子が、

力の限りを発揮して・能力の限りを使って・愚かさという艱難を超え・神の真理システムの叡智へ・無償の慈愛へたどり着く様を具現しようと言うのが目的か。

我々が少々誇張して対応してしまっているのだろう、この現在。

救いは、「苦悩は空無でありラッキーは真正であること」




殺生と老化を如何に天井生活に取り入れるか

20240407


復活祭の頃となり、辺り中に樹々の新芽が かすみの如く空気を染め始めた。

色をつけた卵に似て、愛らしいチューリップとヒヤシンスの切り花を買ってみた。


春分を過ぎて、

あたしの窓辺とプリズムにありがたくも朝日が当たるようになった。

もちろんそれは無数の虹をキッチンにばら撒く、

チューリップにもその虹が当たるようにしてあげた、どう思っているだろう。


とは言え、4月になり建物全体が暖房を切られてしまった。実は薄ら寒い。


まあ、何はともあれ、こんな天上生活にもかかわらず、老婆の身は

不安と心配にまとわりつかれている、のが笑える、と書きたいが

笑えそうではない。

そうか、おそらく、急に分かったのだが、

これは暇があるせいか? 荷造りと生活とのやりくりの難しさが長引いて、イライラするのだろう。一人で小旅行できるかと思っていたが、それも心理的に無理だ、

怖い。

湯治旅行は見事にも、3回目の延期になったし。(今回は温泉場改装!)


それでも恵みはあるのです、ちゃんと見つけました。

というか見つけられましたよ。(このられるは受け身の意味です。可能ではありません)

その記録:

*3月27日、半年ぶりにタクシーを呼んでかかりつけ医に行こうとした。

霧の立ち込めた早朝で薄暗かった。

運転手が「今日はお元気ですか」と珍しい挨拶をしたので、まさか例の夫の

「お抱え運転手?」と疑って 顔を窺うがどうも彼ではないようだった。


6日後に、駅へ向かって歩いていると、ちょうどやってきたタクシーから

そのイラン人の彼がニコニコして降りて来た。

何度も会っているのにゆっくり顔を見ることもなかったので、

話しながらこんな顔だった?と思う自分がおかしい。

彼のルーマニア人の妻も同業で、亡夫の病院がよいのため、

二人にはお世話になったものだ。先日のタクシーはやはり彼だった。

ざっと事情を話して別れた。

思えばJBと二人でここに初めて降り立った時、まさにその場所で

彼のタクシーに乗ることになっていたのだった。

その時も親切は強く印象に残った。


*3月30日、お墓友達のエレンは、二度心臓が停止したことがあるけれど、

例のお花畑とかは見なかったそうだ。それをあたしは密かに残念に思っていた。


やはり霧の立ち込めた日にドライブ中、あたしは不意に言った。

「ほとんど完全にこもりっきりの毎日だけどね、寂しいとか悲しいとじゃない、私が涙するのは感動のあまりなのよね、涙もろくなって」


エレンは待ってましたとばかり反応して、

「私もそうだわね。あ、昨日ね、まさに感動して涙するほどだったのよ!

丘の上の草原の道を車で走っていたら、目の前に大きな素晴らしく鮮明な虹が

立ったの、右の脚?が手の届きそうに、そこの草原にあって、

左も草原から現れていたの!

後ろの車はどんどん近づいてくるので、ゆっくり見る暇なかったのだけど、私だけにみえたのかしら」

エレンは半分、あちらの人らしい。


*3月31日、数十年来夢(夜の)に見離されたようなあたしの代わりのように、

貴重な意味深な夢を報告してくれる20年来の友がいるのだけれど、

昨今、彼女の誕生日がドレスデンの学友と亡夫の死亡日に挟まれていることになった。これはやはりただならぬことかもしれない。


しかしとりあえず、このこととも夢とも関係ないのだけど、

彼女の住まいのそばに如是寺という禅宗の空き寺があって、そこの様子をビデオで送ってくれた。中くらいの鐘もあって深い波を世に及ぼすことができる。

すべての佇まいが気に入ったのですぐに決意した、あそこで暮らそう! 

と言ってもこの生身がそうするわけではない、

あたしの本体があそこであたしを修行させるのだ。

かなりの自由自在な発想ではない?


同日、ふっと思いついた。殺生せざるを得ない、という縛りが辛い、

美味しい〜〜なんて喜んでしまう、そう言えばある時期、

JBの脳が異変を起こして、すべて舌に触るものが天にも昇るほどに美味であったことが。。。 

(論理の飛躍中)

殺生だと見えるのは我々の意識の幻像によるもので、立場を変えれば、

その現象は原子の交換の場面であるとも言える。

(だから神さん、苦悩と感じる意識を弱めてくださいませ、そこが問題なのでしょ?それができるのは神さんのみ、超宇宙のシステムを度外視して奇跡を起こせるのは!)


*突然いわゆる生身の話:古くは子供の時の頸椎の怪我、人生後半からの外反母趾、難聴、喉の異和感、骨盤底筋老化、腰椎間板変形、脚の痺れ、脚のむくみ、こむらがえり、踵の骨痛、ふらつき、目が開かない、などの老化現象、

色々あれど、とりあえずの対処方法、これも色々あれど、一つどれかを実行するとその効果は多くの症状に及ぶのかなと思えてきた。


最近、足の爪先が固まっていると思われるので、この地方特産の花のオイルで柔らかくする。

エレン推薦:ごま油で口内を保守する。

脳の容量が減少して頭蓋骨も下垂するので、手のひらで押し戻す?。

ベッドでテニスボールを背中に順次に当てるなとなど。


*音楽とデジタル世界の二足の草鞋をはく次男に、恐る恐る尋ねてみたら、

考えるたびに配線がこんがらかって(短期記憶がないために)

結論に辿り着けないでいた問題解決。

問:帰国実行の最後の日以降に、残る通信手段は何か? 

答:パソコンはWiFi接続を見つけてネットを使える、

テレコムのメルアドと電話番号は消えるがアップルのメルアドは使える。

三男も以前、こんな図を書いてくれたが、今でもなるほど!とはならない。

あたしの人生の宝物、3人の息子たち、あたしには明らかに勿体無い漢たち。




血行障害中の頭を酷使!

20240418


間も無くライン河へと、冬のナーエ川は滔々と

瀬音も高く転がってゆく

レールと車道も一本ずつ、間に挟んで谷間は続く

急な岩肌から小山へと、屏風の如き 浅緑の命たち

天と地のエネルギーを結びつけてる、嬉々として


なんて早春に酔っていたら、突然 霰か雹か

一直線に落ちてきた!

ドバイに押し寄せた大気の荒波、人工の

偉大さを天然に向かって突きつけた、その挙句。


でもここはただの一直線の雪塊で済んだ:


つまり寒いということの他に錐子オババの心にあるは

テーマ1:錐子オババの不安症の解釈の巻

4月8日月曜日 目覚めて、ある程度よく眠らせてもらってよかった、と確か思った。その時、例によって何の脈絡もなく霰の如く一直線に降ってきた、

「心配して不安になるって、神さん(超・宇宙とでも?)のシステムへの信頼がないってことよね」

これはまずい、それへの信仰が始まりでもあり最終到達点でもある。

そのためのあれこれが機能してないな、こりゃ。

錐子オババ、かなりショックであった。手に負えない、手に余る。


4月13日日曜日 また目覚め、理由なく鬱っぽい気分で。でも、とりあえずお世話になってラッキーの気分を作る。その時、また錐子オババの何者かが叫んだ、

「あたしの人生、願えば叶うの人生だったよ! イェーイ!」

そんなはずはないのに、それを確信している。いくつかそう解釈できることはあった、それで十分だよねっ!

何てこの意識界、いい加減なんだろ。こう思えばこうなる、ああ思えばああなる。あたしの頭 便利だよねっ

このアラレちゃん、ありがとう!


テーマ2:例のイラン人タクシー運転手、その妻と出会うの巻

4月16日 かかりつけ医の予約を不意に思い出し、雑用をかいくぐってたどり着く、コーヒーも飲んでなかったので、まずはエントランスにあるコーヒーコーナーへ赴く、1、5€の小銭を何とか集め、ポトポト投入した。

すぐ横に人が来て隣の機器を操作する、ふと見る、

見たことある! 誰だ? じっと見つめる。彼女は感じてない。

そうか!「ハロー」と錐子オババが呼びかけた。

向こうもびっくり。

こんなホンの一瞬に同じ場所に来る??!! この偶然が嬉しくてハグしてしまった。彼女もかかりつけ医も同じルーマニア人、そう言えばホテルクローネの従業員たち、錐子オババ御用達の美容師、ルーマニア勢である。


テーマ3:実相・幻像・混合宇宙という結論の巻

4月17日水曜日 有象無象の想念を両手で押しやって、空無空無と周囲を撫で回す。何となく風通しが良いような気がする、その時、はっきりと結論が見えた。

「我々が、この意識体によって「あれこれ在る」と感じられる目の前の、触れることすらできる世界は、何と浄土と幻の混じり合った状態である。」

というか、実は浄土しかない、ただ我々には浄土があまり見えず、もっぱらいつ見ても大騒動の幻像界が大勢を占める、ということ。これを忘れないでね、すぐ忘れてしまうのはわかるけど。そしてもっと大事なのは、我々だって浄土で夢想しているってこと。この場は浄土である。それしかないから。

浄土は空無(超宇宙)の物質顕現した真宇宙 という構成になっていることにしよう。


つまりやることは一つ。

浄土を見るか。

幻の過去現在未来、現世とあの世を集合意識で固定したものを実在と見るか。

科学的証拠すら実相現象を幻像界的に焼き直し、解釈したものと言わざるを得ない。しかしいつの日か、その努力から真正の自然真理がその完璧の姿を表すことであろう。


さらに時間を遡り、

テーマ0:命の発端はどこから?? 新探究の巻

(4月7日日曜日 実は錐子オババには全く未知の『「フォンノイマン鎖」の終端である「意識」』という言い方に出会う。意識とは、自分のものがあることしか確定できないものである。これはテーマ0の半分を担う課題なのだけど。)


4月7日日曜日 SNSのH教授発言により一撃を受ける。

まずは無機物から有機物へと機能追加が起こり、それからいわゆる生命への道は

次元を渡って進むのだろう。

このテーマは錐子オババが目下邦訳中の「アンチカオス」の時の方向性との絡みにまで続く。

科学と哲学への挑戦、人類の課題というべきだろう。


ざっと考えてみると、まず素粒子の次元で核を形成するのは「強い力」

電子がそこを雲のように周回するのは「電磁力」でこうして原子ができる。多種の原子生成。


次の次元、分子となるには原子と原子の結合、これには電子の共有現象が起こり、やはり4つの力が働く、そして種々の機能を持った分子が生じる

しかしその前に分子の形成目的が必要か??

というか、そのことは実験するうちに自ずと仕組みが生じ、それによって目的まで生じたのかもしれない、

もちろん錐子オババとしては、ここに

どうしてもシステムに欠くべからざる(注:実相界での話)

「主」の慈愛の本念を介入させざるを得ない、

方針として、錐子オババはこの方向で考えることにしているのだ。

ついでに考えてみると

実相界と幻像界では多様性の意味すら異なる。

幻像界では実験という傾向=試行錯誤方法=動物界での弱肉強食方法。

実相界にとっては、

無用なプロセスは不要だ、例えばアミノ酸を必要な数作り、組み合わせて二重鎖とし遺伝子の命令をーーー  待て待て、実相界にそんな肉体の発展段階は必要ないだろう、つまり我々の研究者が徐々に解明していく自然界の仕組みは幻像界での見え方に過ぎないのか???

そうか、物理法則はあるいはこの幻像界の動きにのみ必要な法則なのかも、、限界ある命に即した法則かも 初めての情報だ。。。

中断ーー



テーマ4:何とか愛し合える我々でありたい

4月16日火曜日 繰り返し新案「我々の周囲の宇宙」

まぁ真相はわからないが、新しいアイディア:

空無の広がり?があり、

そこには実相界というおおよそこの世の完璧版、浄土がある。

その周囲にできる影、空無の中で、光の交錯により電磁波の流れにより

意識が生まれ

幻像世界が感得される あくまでも劣化版を体験しているのだが、実は

そこも 紛れもなく空無の中の 実相界と混ざり込む 場であること。


4月18日木曜日 新戦略「とりあえずごめん遊ばせ」

あくまでも実相は輝き澄み渡って芳香に包まれているが、我々の感じている界隈だけは独自の集団意識の思い込みのシステムを作り上げ

あくまでもその中でのみ人生が終わると思って生きる

さてその中で生まれ変わりを信じる信じないは別として いずれかの時点で

恨んだり恨まれたりと言う念が、感知されないままに 我々の運不運を左右している

と解釈して、何はともあれとりあえず

記憶にもないけれど誰かを苦しめて恨みの念を抱かせたに違いないことを前提として名も知らぬ人たちに深くお詫びを申し上げる 謝罪もお詫びも失礼も 実は見当もつかないのだけれど 念のために謝罪して他人の恨みを解凍させ、それ神さんにも一応報告しておきます。


テニスボール治療、意識の空無も感じやすくて、せいせいした。

それが終わった途端に、何と 頭のてっぺんに一本、何かがビーンと刺さってきた(痛み) 神経系の対応だろう、そんなふうに光の矢がオーケーのサインをくれた、としておこう。

笑ったが勝ち。😆




封筒一枚所望したらストーリー

20240429


「いよいよ、我が人生切ってのお大名旅行へ、明日は出発となりそろ。

いかに神さん、いかに〜〜〜」

と、錐子さん大見得を切る。歌舞伎も見たことないくせして。


その前に、日々のおこぼれをあちこち片付け、配置、話し合い。


第1話:急ぎ末っ子に書類を送ることになり、

しかし横長封筒はちょうど切れていた、今更ひとまとめ買うのもな~ 

第一郵便局まで行くのもな~ と寒空を眺めて、万策尽きた錐子オババは、

ちょうど会う予定だったラファエラにメールで尋ねた。

あるよ、と言う返事。

はいどうぞ、とひと束手渡されて、「1枚でよかったのに!」

「私、箱に幾つも持ってるからもう困ってて、あげることができてよかったのよ」

欲しいと思ったものを、あげたいと思っていた人に尋ねる、なんてこんな話が?? コロナ以前マインツで手広く活動していた頃、彼女はたくさん買い置きしていたのだと言う。理想の魚と水の心意気だった。

この1週間ほど、なんか神さん親切が早いっすねー、と錐子オババは

片手で拝むのであった。


第2話:6年前、錐子オババが車椅子の亡夫JBと共に

この地に当てもなく辿り着いて、イラン人のタクシーで

ホテルクローネに運ばれた時、近くにある、美人なウクライナ人ナディアのカフェに

まず入った。数日後に街で出くわして

どうしてかお互いに喜び合った。彼女は難民の第一波だった。


その後 今も終わる気配のないウクライナ侵攻のために、彼女の全親族が逃れてきて、両親、弟夫婦、息子夫婦2家族 各子供付き、彼女自身の末の子二人

という大家族同居へと、膨れ上がっていた。


「不要なものは何でももらうから」とナディアは言うし、

もちろん錐子オババには飛んで火に入る夏の虫、ではないが、願ったり叶ったり、

軽トラも都合がつき、

二人の嫁さんと末娘十歳が下見にきて、予定以上のものも欲しがったりして、

大いに期待していた。(ここでも神さんの手配は迅速でございました。)


しかし、やってきたのはナディアの恋人と末の息子十四歳、二人は余りやる気がなく、予定の半分ほどで消えてしまった。

十四歳は「明日はきっと筋肉痛だ~」と叫ぶ。

ポールハンガー、三面鏡、草花などが残された。どれも離れ難い

愛着のあるものだが横浜の方丈のルームに収容し切れない。

一方、

その前後に、錐子オババの将来の「大家」とも言うべきスザンネが

自作の詩を朗読しにきてくれたのだが、それがまた感動的な出来だった。

パートナーの八十歳のマルティンがギターで伴奏した。

彼女自身は、いわゆるアラカンで、学士号がありながら、

生活の基盤が常態的に築けず、経済的にはマルティンに負っていると言う。


その後、また来てくれて、貰い手のなくなった草花のうち

何年も花が枯れない面白いサボテンとちょうど花満開の多肉植物(日本語もドイツ語も名前が行方不明中ーー数時間後にすっと出てきたカランコエ)を養子にしてくれる。


それを抱えながら、立ち話で、人生観をさらけだし合った。

北ドイツ出身のスザンネは確かにフランス寄りのこの地域の住人の特性とは

異なっているのが物珍しく、

何よりも「神」の定義と対応が、錐子オババとほとんど同じだった。

勿論エゴとも言うべき彼女の自分意識は強い、そこは錐子オババの弱みのようだ、

自分がどうしたいかわからない、希望はあるが本願ではない、

錐子オババにとって、自分がどうしたいか?、と言うのは正しい問いではない、

どんな理想の存在でありたいか? と問うてもらうと助かる。

(さてさて、ポールハンガーはやはりまた持って帰るかな、三面鏡の行先は神さんにお任せしますよ。三面鏡の思い出、ご存知でしょう)


第3話:ほぼ6年間それと知らずに運よく、

エラーを抱えたまま生き延びてきたことが、今になってバタバタと判明し、

錐子オババの心臓がまたもや動悸を撃ったのだが、

(ここでも神さんの手当ては何だか素早かったのよ!)

ある意味生活の中心である通信網の、その配給会社のアカウントの

誕生日が間違って記載されていたのである。


あとひと月に迫った引越しを前に、ネット接続の解約届を出そうとして、

ある部署がやっと通してくれなかったので誤記がわかった。

この手の仕事はヤンに頼んでいたのだが、彼はもう帰宅してしまって

いたので自分で対処せざるを得ないこととなった。


電話に耳をそばだて、霞む目に目薬を差しながら、やっと情報の海の中に、

コンタクトメールとその送付先を、指示に従い見つけ出し、

準備していたパスポートの写しを送信した。これでいいかと思っていると

即SMSが新たに届いた。

挨拶云々があり、この「通用」番号で云々、とある。

そうかここに電話するのか、とクリックすると電話できそうな気配、

電話できたが、「この番号は使われておりません」 

そこでSMSの頭にあった電話番号にかける、するとまた拒絶された。

ハタ! これは詐欺か! すぐに錐子オババのこの回路が働き、

すぐにメールを別に書き送った、件名「詐欺でしょうか?」


しかしそのあと、ふと浮かんだ

(通用番号 って何? 電話番号ではなかったのかも)

あとでラファエラに尋ねてみたところ「変な言葉使いね、件名という意味でしょ」

とのことで、

翌日にはもう誕生日が訂正されていて、正しい通知メールも来た。

常に、詐欺への不安!


この件で、念の為と思って

銀行のIBAN番号を準備しておこうとして、それを長年メモして鞄に忍ばせていた

紙切れを取り出して見た。

普段は銀行からのお知らせを見て使っているのに、である。

そこにはその番号の、不完全なメモしかなかった。

手書きで訂正。


しかし本命の解約仕事のために一人で、真冬並みの寒さの中

マインツにあるH銀行まで出かけた。

しかもこれは

4月20日にぎっくり腰を起こし、ラファエラの指圧を受けて

徐々に快方に向かった24日のことである。途中で温湿布を買ったのが

よく効いてくれたが、一部火傷を負った。

にしても斜め川氏と協働で、日独の仕組みに合わせた口座解約計画を立て、

うまくできたかと思ったところ、

日独での錐子オババの名前が異なるのを伝え忘れていたし、

帰国日を境に銀行への届出住所も変わることを考えにいれていなかった。

文殊の知恵には3人必要ということらしかった。

とりあえず間違いに気づいたのはよかった、と忘れっぽい頭をカキカキ思う錐子オババでありました。


(一つだけ、文句なしの神さんのなさり方があってね、駅の大きな本屋に足を踏み入れたところに、フランツカフカの顔写真があったのよ、特集の雑誌が。その裏には例の不条理劇が舞台で上演されるという宣伝。お母さんね、10年間くらいその文体研究に勤しんでいた頃があったから、でも知らないよね、ヒロくん、

知ってるか今や。出会ったらゆっくり全て話そうね。)

錐子オババは泣き笑いしながら、天国にいる長男と語った。

彼はハイ、と返事して静かに微笑んだ。



第4話:同じ4月24日、満月の夜だったか、その朝まだきいつものように

屋根があり布団があって、眠れたことに錐子オババは感謝していた。


(こうして普通に生活できているのは主に、舅のアントンアドルフが若死にするほどに仕事した その結果の直接の影響だよねー、そういえば。孫も見ずに亡くなった。あ、あたしったら今頃このことにしっかりと思い当たったんだ、呆れたわねー 孤独死した姑も、二人してゼロから立ち上げてきたのだ。)

自らの両親もその上の祖父母も全ての祖先も、

突然そこに感謝すべき存在として居た。3日後、何となく、

JBの墓参りに行くことにした。

晴れた空に雲が湧いてきたのは知っていたが、それがあられを伴う時雨となって

錐子オババの頭上に降ってきた。傘を持っていたと思っていたが実は忘れてきた。


それでも負けずに、JBの灰のある木下に濡れながら居て、

声にならぬ言葉を伝えた。義父母の墓はもう市に返してあったので、

名前を呼び、

「さあ、ここへ、アントン、エリザベト!

息子と一緒に楽しく過ごしてください、ここで!」

と招待した。突然浮かんだアイデアだったがそれはしっくりと合致した。

そこでさらに言い募った。

「あなた方の唯一の孫、唯一のひ孫、是非是非見守ってやってください、遠距離はなんということもないでしょうから、それが何よりですよねー」


突然雨は止んだ。そして遅まきながら

(あら、あたしの愛が足らなかったことを謝るのを忘れていた、愛を欲しがってばかりだった、ま、それもいいか許してくれるだろ、喜んで愛してくれるだろ)


追加:いつまで経っても埒の開かない光合成の謎、最近の知見で、

ある段階で微生物(生物、命)が関与してるらしいと。

なんてすごいんだろ、叡智の仕組み、手品のようだ。

どれだけ小さな命があることか。命の発端はどこに??




ひょっとして猫、ゴールド、光が好きなのかも

20240509


2024年5月8日水曜日

ともかくも有り難くも、人生初で最後の湯治旅行から無事に帰宅した、

大事をとって駅からタクシーを使う、

それは初心者運ちゃん研修中のものだったが、妙に高かった。

アラビア語で話していた。

旅行中、日本ではそうでもないらしいが、気軽に荷物の上げ下ろしへ助けが入る。


それでも列車の遅延などに必ず出くわすので、

アナウンスを聞き取れず世界で天涯孤独みたいになり、あたしは固く決意した

「もう二度と一人旅はしないぞ。」


まさにそうであるべきで、

ドイツ有数の老人天国Bad Füssingの広々したレストランで、

ノンアルビールも飲んだせいか、ここぞとばかり最重要なものを詰め込んだ

小さなポーチを、置き忘れてしまっていた。人生2度目のこと。

かろうじて気づいて、店が閉まる寸前で回収できたが、

その時のショックはあたしを打ちのめした。

全てが無駄だ!これはまさにレアな安心な旅行プランだったのに!


マインツの駅で、親身な店員に当たったので

成人後2枚目の水着を買うことができた。ちょうど都合の良い機能だったが、

模様がカラフルだった。


オーストリアに面したその街には大きな温泉が三ヶ所あり、それぞれバカでかい。

説明を聞かされても現実はまた別で、

本来好奇心が無くもないほうなので、今回それに任せて一人で参戦するしかない。


驚いたことに、あたしは唯一のカラフル水着着用者であった。

上品で豊かそうな白人ばかり、チラチラ見られている感じはする。


地下に石油がある、と推測されて掘削したところ、出てきたのは温泉だったとか。

しかしかなり薬効のある水質で有名。

最初は40度近い源泉のプール、意外に深くて立って顎まで浸かる。

次は炭酸泉というのか、噴き出す泡の圧力が面白い。

3つ目は打たせがあるのでそこまで進んだところ、

全体に大波が起こされてしまい、泳ぎ苦手なあたしは危うく溺れるところだった。

4つ目が塩温泉、外へ続く道を進むとまたもや深い、どうも心許ない、

そこをはるか先まで進むようになっていて

負荷のかからない運動が提供されている。

あたしには今のところ無理と退散する。


そこに四日間通った。ともかくまさに天国、極楽であった。

芽吹いたばかりの樹々の葉が当たり中を占めていて、ワーワーと叫びたいくらいだ。これは何? なぜここまで麗しい? なぜ地中からこれらが湧いてくる? 

科学的には説明できる現象ではあるけれど、

でもなぜここまで?と、問いが湧き起こる。

地球は酷すぎる。美しすぎる。

バイエルンの食事の美味しさは不変だったが、それよりもあたしの重大事は

ヘルビー夫妻の二匹の猫との対面にあった。


仕事に追われている彼らとやっと夜8時にまた出会い、

車で運ばれ、地下を入れて4層の家に初めて足を踏み入れた。

白黒の兄弟猫は、あたしの靴下の匂い、指の匂いを嗅いだ、

オーケーという感じで許された。

時々近づいてはあたしに頬や首筋を差し出す。そのあたりは柔らかく白い。

かと思うとまさに脱兎の如く二匹で駆け回り、

テープルから何かを落として観察する。


次の夜は、あまり注目されなかった、空腹だったらしい。

でもそれは住人と認められた証拠だとか、そうか〜と納得する。

その次の夜はあたしはホテルで過ごすことになったのだが、

ヘルビー達が帰宅すると二匹は、もう一人は?という顔をして

探していたと言う。嬉しくて笑ってしまった。


いよいよ最後の夜には、彼らがニャーと言わないと聞いたので、

あたしは昔、野良猫の世話をした時、にゃーにゃーで会話ができるのを

経験していたので、ニャオと語りかけてみた。

ヘルビーは日本語じゃ通じないよと言った。そうかなあ、と思っていたところ、

その後、少し呼びかけるようになったらしい。

きっとあたしのことを尋ねたのだ。


もう一つ面白かったのは、階段に座っている猫達に、ヘルビーがあれこれ言うと

耳を複雑に動かした、左右違った動きだ。

普通は怒った時耳を平らにするらしいのだが、それとも違っている。

「あれね、考えているところ、考える時はいつも耳をあんなふうにして」

その説明には大いに笑った、実に愛くるしかった。


愛くるしいと言えば、ブリットという彼の相棒、まさに相棒というに相応しい理想の女性、心の柔らかな人で、見たこともないあたしを心底迎え入れてくれた。

ぼんやりなあたしだから単純にそんな風に感じたのでもない、と思う、絶対に。

そして、恐らくはもう2度と会うことはないのだった。この肉体としては。

でも絶対にそうではない。


さてさて、夢のような話は終わり、

この間にラファエラが両腕を骨折していた。隣家の犬が原因。

階段を転がり落ちたので、もっと酷いことも可能だったよねーと言い合った。

つい意識が深刻に受け取ってしまうところを、

それでは自分の首をも絞めかねないので、その部分を瘡蓋を剥ぐように

静かに落ち着いて対処するのが、世界のためでもある。

あ、笑えた、とラファエラはその特に愛くるしい笑顔を見せた、あたしの瞼にまだそれが張り付いている。

そういえば、例のあたしのポーチ忘れも結局は被害なく収まったのだ、そこが眼点なのだなー


さてさて、引っ越し仕事はこれからが本番となる。

気にかかっていた最後の解約、

スマホのWiFi接続会社?というのか、そこの解約が極めて不明、

それとKKH健康保険会社、そこら辺の手順をおさらいしてみようか。


まず5月17日(=離陸の1週間前)にドイツの市役所で

住民票の転出証明をもらう、それをWiFiとKKHへメールで提出、

  KKHでは解約証明書を出す、

    これをもって日本の健康保険の手続きに行く。しかしその前に、

      日本で戸籍謄本を息子に取り寄せてもらう、

        これと転出証明を持って市役所で住民票を作成してもらう。

ここが意外なのだが、

この日本の住民票とドイツからの転出証明が揃ったところで、

WiFi接続会社が解約仕事に入る。解約は6月6日になるとか。

  その前にできれば住民票とクレカを持って日本でインターネットの契約、

    ただし日本の銀行のクレカがないのでどうなるか?

     (愚かにも勘違いから解約してしまっている) 

しかしとりあえずは、

新しい住民票とドイツ健康保険の解約証明書で国民健康保険に加入できる予定。


図でも描かないとうまく頭も中で機能しないけど。。。

さらに離陸日の朝にはガス電気会社との数字のやりとりがあり、

かなりの残高の支払い(前年度の光熱費不足分、これはビルギットへの)が

いつどうなるか、銀行口座を閉めることもできないようだ。

全てが、その時になって驚き桃の木、というわけ。


また、片付けや荷物作りは一向に捗っていない。

いつまでも寒いので区切りがつかない。冬服は送らせて

夏服は持参するという計画が進展せず。

同じ経験をした人は流石にいないので、相談することもできないので、結局一人でぐるぐる堂々巡り。


あたしの無駄な堂々巡りとは異なるけど、言葉遊びじゃないけど


物質は素粒子からしてスピンしている、理由?

我々意識体が見る宇宙でもなんだか、スピンしている、円運動? 

その前に、一言:

非存在のものからまず素粒子(或いはひも)がペアでとび出しては消える、

その度に火花のような光子がキラッと、ネ

そのやり方で光が発生し、宇宙の晴れ上がりが起こるまでになる

光って無限ほどの種々の波長からなる、

エネルギーの現れ方は速さと直進(基本的に)と種々の力?


宇宙は暗黒だというが、光の量は些細なものなのか? 

あるけど物質にぶつかって反射しないと意識に反映されないだけか?

宇宙は

すべての周波数を持つ(稀にしか視覚できない)光で満たされている可能性?

音波も大気の中で動いている様々な波長の光であるか?


薄緑色を見つめていたら、隣が薄ピンクに見えた。しばらくすると普通に白く、

これは生理学的に説明可能現象だろうけど、認識機能いい加減。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




Hotel Kroneの月

20240524


2024年5月22日水曜日

スーツケースは住いに置きっぱなしにして

まだ明るい坂道を(温泉小路)

周りの樹々を仰ぎながらフラフラ登ってきて(夕べの小鳥が鳴きかわす)

あたしが因縁を感じているそのホテルに入る。(戦後は孤児院だった)


扉に至るまで 10段ほどの階段と併設されたスロープがある。

このスロープを 6年前、亡夫の乗る車椅子を押してくだろうとした時、

危ない、と言いながら ホテルの持ち主が補助してくれた。

そのことが妙に懐かしく何度も頭に浮かぶ。


その人の低い声音の頼り甲斐のある響きもさることながら

1人ではなく、

不仲なりに 夫とは近しい2人であることの 

安心感 当たり前感がその背景にあったかなぁ 

そう今更のようにわかる。ただのネット上の偶然で見つけたホテル、


そこからさらに偶然に見つけた住いとは

歩いて3分の距離だったが

そこにちょうど6年住んで、最後の2晩を過ごすために

また同じホテルに舞い戻ったのであった。


窓からは 見慣れた山が少し違った角度でカーテン越しに見える、

また懐かしかった。

身一つなので 自由な感じはして、ウロウロして

ひょっとカーテンを開けて、びっくり仰天。


山稜の上に 少し赤みを帯びた黄色い反射板が 出現していた。

日光をばっちりと受けて 反射光を地球に、

あたしの視覚に投げかけていた。満月のたびに出会いたいと思いながら

住いの上の狭い空はいつも狭すぎた。

神さんの最後のサービスかと嬉しい。


ベッドからもずっと見えるようにと望んだ。すると大昔

恋をしていた頃、阿蘇のユーゲントハウスの窓からこんなふうに月を眺めて

想いを届けたかった20歳の自分も浮かんだ。まぁ懐かしいことの1つだ。


海外移住した日から こうしてついにまた帰国まで(72歳〜78歳)

こぎつけた自分の働きが 半ば信じられない、あるいは褒めてやりたい

この頭でここまで成し遂げて 

後はチェックインがうまくできれば楽勝、

後はぼんやりして うっとりと空を飛んで行くのだーーー


とすっかりリラックスしてしまい、あろうことか

シャワー室から水を溢れさせてしまった錐子さん、


さて翌日の夜は、(5月23日)

唯一の仕事(片付けを除いて)であるオンラインチェックインをスマホで試みた。


ルフトハンザで予約したが、使うのはANAの便である。

やはり悪い予感が当たった、JALもそうだったが、

錐子オババの旅券名で引っかかった。


ドイツで提出することが多いので

日本名の後ろに括弧付きで婚家の苗字を繋げた。

そうするようにドイツの日本領事館で指示されたからである。


しかし空恐ろしい脅し文句がANAには続いた。

「旅券名と一致しないと入国拒否される可能性があります」

この恐怖にはゾッとする性癖のある錐子オババである。

つまり、

ANA側の書き方ではカッコを許さない。(このジレンマはルフトハンザにはない)


導かれるままにヘルプに電話してみたら、7時半から22時までの応対です、と来た。そのどちらにも属していなかった。

日本にもドイツにも属していないあたしみたい、と心の中の呟き。

おまけに楽しみにしていた二日目の満月は、どこにもなかった。

雲に覆われてしまったのか。予想していなかった。



5月24日金曜日 出立日。

昼過ぎにフランクフルトへ、ヤンにお世話してもらいながら出かけるまで、

少しの合間を縫って、

まだ中途半端、不完全な空っぽさを眺めつつ(住いに戻り)

最後の記事を錐子オババが書いている。(ドイツ発の)


全ての出会う人に、木々に別れを告げ、

天国できっと会いましょうと宣告する。

それでも飛び立つ時には涙するかな、と思う。


ヘルビーの意見では、如何に成功している彼の仕事でも

100%楽しいわけではなく苦労は絶えない、

ただこれを乗り越えれば快楽報酬が得られると知っているだけだ。

幸不幸は脳神経の配線の都合なのか、

いずれにしろそうなると苦労も楽し、という時間となるらしい。(そこまではまだまだだなー どれだけ年取ったら??)


少なくとも、錐子さん、

全ての生物草木地球空気に対し「愛しい」を抱くことはできる。

それは素敵な満たされる瞬間だ。


ここで天国を見出した、天使たちに愛された、

JBと和解し、彼は約束通りに

ヘルビーと猫たちを合図として送ってくれた、


「魂?」は永遠であり 全ての「存在の」間には

距離も時間もない。

そうでなければこの意識にも意味がない。


何が起こっても大丈夫、女丈夫なのです、世界よ、ホントはね。




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