第1話 思い出のクロユリ編③
ーー人は花たちの痛みを知らない。
小さいけれど平和で豊かな国だった。
四季があって、美しい花が一年中咲いていた。
俺はそんな国ーーノール・クローバー王国に生まれた。
「プロテア様、今日も絵を描いておられるのですか?」
「あぁ。ノールの花は美しいからな」
「そんなに気に入ったのなら持ち帰られたらよろしいのに。今、お取りしますよ?」
「いや、それには及ばない。花も生きているのだから切られたら痛いだろう?俺は自然に咲いた花を描くのが好きなんだ」
「なんとお優しい!ノールの未来は安泰ですね。こんな優しい方が王になるのですから」
「褒め過ぎだ。俺はまだまだ未熟だよ。至らないところばかりだ」
「ご自分を未熟と言えるのは賢い証拠ですよ、プロテア様」
「はは、なら良いんだが」
笑顔の溢れる国だった。
剣よりも筆を持った日々だった。
「ーープロテア様、みつけた」
「クロユリ!」
「今日も来てくれた。嬉しい」
「綺麗に咲いてるクロユリに会いに来たんだよ」
俺の胸にクロユリが飛び込んでくる。
華奢な身体をぎゅっと抱き締める。
「わたしはずっとここにいるけれど、わたしの姿を見ることが出来たのはプロテア様が初めてだよ」
「“様”は要らないんだけどな」
「尊敬しているから“様”をつけるんだよ。最初に見られたときはびっくりしたんだから」
ーー君、こんなところで何をしてるの?
ーー……え?あなた、わたしの姿が見えるの?
ーー見えるよ。まるでこのクロユリみたいな女の子だね。
ーー……正解。わたしはクロユリだよ。クロユリの化身。あなたの名前は?
ーー俺はプロテア。プロテア・アーティンクアイス。
ーー……知ってる。あなたが噂の王子様なのね?
ーー噂って?
ーー“花に愛された”王子様、よ。
俺は花の化身を見ることが出来た。
そのことを知ったのはクロユリのおかげだった。
花の化身が見える王子だと俺は花たちの間で有名だったらしい。
「あ、クロユリ。ここ、血が出てる」
「あぁ、これ?切られたの。大丈夫よ。花はこういうの慣れっこなーー」
「ちょっと待ってて。包帯持ってくるから」
「いいよ」
「だめだよ。怪我はちゃんと治さなきゃ」
「……変なの。でも……嬉しい、な」
走り出した俺の髪を風がふわりと揺らす。
クロユリの頬はほんのりと朱に染まっていた。
「ーーありがとう」
「どういたしまして。他に怪我はないか?」
「ないよ。大丈夫だよ。わたしはそんなに人気がある花ではないからね」
「こんなに綺麗なのに?」
「綺麗?わたしが?……わたしは、地味だよ」
「地味じゃないよ。綺麗だと思う。でも、なんで“クロ”ユリなんだろうな?この色は“黒”というより“ショコラ”じゃないか?」
「ふふふっ。あははっ。確かにそうかも。ねぇ、わたし、美味しそうな色をしてる?」
「美味しそうかも。俺、ショコラ好きなんだ」
「なら、わたしを食べて?あなたに食べられて、あなたの一部になれるのはわたしはとても幸せよ?」
クロユリの髪を一房手に取る。黒かった髪がショコラ色に変わっていく。
「色が、変わった……?」
「あなたがわたしを“ショコラ”だと言ったから。だから、わたしの色は“ショコラ”になったのよ?」
ゆらゆらと揺れるショコラ色の瞳を俺は覗き込む。
ーー“黒”って不吉な色の花だね。ユリならやっぱり“白”がいい。
ちゅっと俺はクロユリのおでこにキスをする。
ショコラではないけれど、ふわりと甘い匂いがする。
「食べないよ、クロユリ。だって、食べたらクロユリがいなくなってしまうだろ?クロユリがいないのは寂しいから、さ」
クロユリが微笑む。
「……わたしも、あなたがいないのは寂しいよ」
夏の日差しが俺の白い髪をキラキラと照らしている。
「……わたしはずっとあなたみたいな“白”になりたかったけど、あなたが褒めてくれたから、わたしはわたしを好きになれそうだよ。ありがとう」
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