第9話 警察官、さおりの怪異に腰を抜かす

しかし、京太郎は(いつものように、子供の足跡? ということは、あの魔物は子持ちなのか)といい情報をつかんだというような顔になった。同時に、エントランスの絵画の謎が解けたような気がした。


4枚目と5枚目のイラスト。


なにか違和感を覚えたが、あれは7階に住む花山院さおりと705号室で肝臓を切り取った小さな子を現わしているのではないか。


魔物の親子を富江と銭ゲバになぞらえて飾っているのではないか。


伊藤潤二が描く川上富江は、長い黒髪、妖しげな目つきが印象的な、絶世の美貌を持った女性だ。


まるで花山院さおりそっくりではないか。

性格は傲慢で身勝手な、『魔性とも言える魅力』を持つ女性。


漫画では、「富江は死ぬことはなく、何度殺害されても甦る。身体をバラバラに切り刻もうものなら、その肉片ひとつひとつが再生し、それぞれ死亡前と同じ風貌・人格を備えた『別々の富江』となる。たとえ細胞の一個からでも、血液の一滴からでも甦り、富江は無数に増殖してゆく」と描かれているが、そんな理不尽が起こることはない。


この点は、所詮は漫画だ。


しかし、彼女を操っている魔物がいるとすれば、そいつは不老不死の霊魂だろう。


絶対に死ぬことはない。

そのような存在に果たして立ち向かえるのだろうか。


もはや京太郎の頭の中は、(どうしたらあの魔女を退治できるのか)というその一点にのみ絞り込まれている。


そうなった理由は明確である。


それは、今のままでは、京太郎と今日子では魔物を倒せないからだ。


このままでは、何時かは食べられてしまう。

魔物の子のエサにされてしまう。

 

ある日の休日のこと、二人が5階でエレベータ待ちをしていると一人の警察官が上に昇って行くのが見えた。


「ん? あの警察官、一人でどこへ行く気なんだろう」

「多分、百%多分、さおりのところでしょう」


「だよね。制服着て行く先はそこしかない」

「危ないわ」

「危ないね、どうしょう」


そして、二人は引っ越しの挨拶をしていないことを思い出した。


これを口実にして訪れれば、通じるか通じないかはさておき、それなりの理由づけになる。


新人警察官山本茂は、どうしても腑に落ちなかった。


猟奇殺人事件なのに、迷宮入り事件なのに、何の追及もせずに、あっさりとあの事件は打ち切られてしまった。


「警察の裏は闇だ」と言われて久しいが、これでいいのだろうか。


もっと深堀りするべきではないのか。


悶々と悩み続けた山本は思い切って花山院宅を訪ねてみることにした。


何かが分かるかもしれないという淡い期待を抱いて。


山本は花山院宅のチャイムを押した。


ダイニングルームに備え付けられたモニターで警察官であることを確認したさおりは怪訝な顔をしたが、ドアを開けて山本を招き入れた。


「すいません、アポもなくお伺いして」


「いいえ、全然大丈夫ですよ。ところで、何の御用でしょうか」


「すこし事件のことを訊きたくて」


「あらそうですの。どうぞ上がってください。紅茶でも入れますわ。ところでお砂糖は」と言いながら、後ろを向いていたさおりが突然振り返った。


その顔は全体が獣毛におおわれており、その瞳孔は猫のそれのように細くなっており、そして、口が大きく裂けて赤く染まっており、そこからちろちろと先が二つに割れた舌がでて踊っていた。


それは、夢なのか、幻想なのかもつかめないコンマ001秒程度の瞬間の出来事だった。


「うわっ」

山本の腰が抜けた。


「あら、どうしたのかしら」

さおりが薄い笑みを浮かべながら山本に近づいてくる。


「ううう」

一歩も動けない山本は意識が飛びそうになる。


そのとき、チャイムがなった。


(誰かしら)とモニターを覗くとあの二人が映っている。


(何をしに来たのかしら。せっかく、あの子のご馳走が舞い込んできたというのに)


さおりは心の中で舌打ちしながら、ドアを開けた。


(まとめて餌にしてやろうか)


京太郎は玄関口でへたれこんでいた警察官を見て、(やはりか)と馬券が的中したように感じた。


京太郎が警察官の後ろ襟首を掴んで外に引きずり出し、今日子が靴を拾い上げた。


これで完全にさおりを敵に回したわけだ。

宣戦布告をしたも同然だった。


時期尚早だったことは否めないが・・・。


山本は魂を抜かれたように虚ろな瞳をしていた。

一言も口にするどころかうめき声一つさえださなかった。

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