8品 炎のレクイエム

 リーリエはフェリーチェに敗れた。新入生実力テスト合宿で、あまり運動神経が良くないフェリーチェが、唯一誇れる耐久レースにて、「鬼姫」と呼ばれるリーリエを負かした。


 リーリエがそう呼ばれる所以として、白い髪を一つに束ねた、赤い目の凛とした美しい少女であった。しかし、大きな欠陥があって、人を人と認識できずにモノ扱いしてしまうことだった。それ以外はクラスで女子でありながら武術が美しく、一目置かれていた。リーリエにとってどうでもよかったが、そんな彼女の目が人だと捉えた相手がフェリーチェだった。

 リーリエは合宿の後から、朝から夕方までフェリーチェを校門で待ち続けた。彼女はなかなか中学校に来ないため、我慢比べの日々を送っていた。リーリエがなぜ彼女を認めたのか、少し話そう。

 そのきっかけはテストで「音を上げるまで走り続けろ!耐久ゲーム!」と意地の悪い指導員がノリで作った悪趣味なゲームだった。それに従うしかない中学生。リーリエのクラス以外のほとんどがダラダラ走って時間を稼ぎ、朝ごはんが近いとリタイヤする者が多く、その指導員は、根性なし、と嘲笑っていた。フェリーチェもダラダラ走るのだが、持久力は果てしないものであり、その自信通り夜まで走り続けて、指導員が音を上げてしまった。リーリエは昼頃に足が動かなくなってしまったが、走り続ける彼女をじっと見つめていた。ずっと見ていたから人として認識できたのかもしれない。


 フェリーチェが数日ぶりに中学校へやってきた。ミーティア先生と手を繋いで、機嫌良さそうに腕を振っている。二人は、おじさんのためのフコイダン液がアンティーク店で売られていて、若ハゲに悩む者たちがこぞって欲しがるため、祭りが開かれる話をしていた。フェリーチェはミーティア先生のつむじwl確認したがっていたが、

「ダーメ♡」

 と甘やかす声で制止されていた。リーリエはイチャつく二人の前に立ちはだかった。フェリーチェとリーリエの目がバッチリ合う。

「お前、春だというのに肌を焼きすぎではないか」

 とフェリーチェは赤ん坊用ワセリンをリーリエに渡した。フェリーチェも実力テストでずっと外にいたため若干日に焼けてしまい、このワセリンを使ったのだ。リーリエは赤ん坊用ワセリンを渡され、

(この女は私の実力をひよっこと思っているに違いない)

 と捉えてしまった。リーリエは初めての衝撃を静電気のように受け、チューブを強く握りしめて白いクリームがブリュッと石畳に落ちた。

「ああ、勿体ない」

 フェリーチェは落ちたクリームの土埃魔神の付いていない部分を指ですくい上げ、リーリエの額・頬・顎にちょちょっとつけた。

「それから自分の手のひらで温めながら広げるんだな」

 とリーリエの手から空になった赤ん坊用ワセリンを取って、いいことしたなあ、といい気持ちで校舎に入った。

「フェリーチェの親切だからあまり気にしないでね」

 とミーティア先生はリーリエに優しく声をかけて彼女を追った。


 リーリエは顔にクリームをつけっぱなしで久々のクラスに戻って、そのまま机に突っ伏した。腕がクリームだらけになったが、フェリーチェに落ちたクリームをつけられた屈辱を前にしても、奮い立つ心はなかった。あのゲーム以上の敗北を味わっていた。

「リーリエ!」

 彼女の金魚のフンを自称しているジーヌが、沈んだ彼女に元気よく挨拶したが、認識されずに無視されてしまう。しかし、彼女はめげずにリーリエの体をつついた。以前、ジーヌはリーリエの体を後ろから抱きしめようとしたら、腰で思いっきり突き飛ばされて尻もちをついたことがある。それについてリーリエから何のフォローもないが、ジーヌは気にしていなかった。彼女のような強者の傍にいれば、誰からもいじめられずに済むと思っているから。

 ジーヌはリーリエの反応がなくても気にせず、彼女をよく観察してみると腕にクリームがついている。そのクリームからリーリエの指紋を感じ取れなかった。

(何処の馬の骨か知らない女め)

 ジーヌはほのかな嫉妬心を覚えて、そのクリームをポケットに忍ばせたペレットに移し替えた。確か、職員室に『なんでも鑑定台』という魔法顕微鏡が置かれているはずだ。ジーヌはそそくさと高校校舎の化学室でボヤ騒ぎを起こし、空っぽになった四階にある職員室まで階段を駆け上った。そして、素早い手つきでクリームをつけた指紋を解析する。

「判定不能……!?」

 入学式の日に指紋を取る朱肉式があるはずだが、その日に休んだ人がリーリエにクリームをつけた女だ、とものの三秒で導き出した。女だという確信はジーヌの研ぎ澄まされた女の勘だけであった。まだ帰ってくる気配のない職員室で、副校長の机の引き出しにあった入学式当日の出欠表を盗んで、風呂敷に包んでクラスに戻った。

 そして、入学式に唯一欠席していた人を見つける。フェリーチェ・ナーヴェ。実力テストで朝から晩まで走り続けた強靱な足を持った狂人だと評価されている子だ。あのテストの後、護衛のミーティア先生に連れられて保健室で悠々自適に過ごしていたという。きっとミーティア先生からこの校舎にまつわる話を聞いたに違いない。彼女はふかふかのベッドで眠り、誰よりも早く家へ帰ってしまい、どんな人物かよく知られていない。

 そういえば、リーリエが彼女の名前を呟いて、探す素振りをしていた。まさかと思うが、最近、リーリエが校門前で一日中誰かを待っていたのは……今日、待ち人と上手くコミュニケーションができなくて、あんなに殻にこもっていたのか。ジーヌがフェリーチェに声をかけて橋渡しになれたら、リーリエは喜ぶだろう。しかし、リーリエは顔も覚えてくれない自分のことを忘れて、フェリーチェばかり会いに行くに決まっている。

 ジーヌは焼却炉に出欠表を捨てたが、その思念に触れた焼却炉自体が燃え盛って、本日二度目のボヤ騒ぎを起こす。

「フェリーチェじゃなければな……ジーヌも友達として頑張れたのに」

 ジーヌは一筋涙を流して焼却炉から逃げ出した。今日のマナフィリア学園は不審者がいる恐れがあるため、皆早々に帰宅した。

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