6 お嬢様、ゲーム本編が始まります。
第39話 お嬢様、あれから5年が過ぎまして。
「ジュリーさん、ケーキの準備終わったわ」
「ありがとうございます、クロエさん。こっちも紅茶の準備、整いました」
メルセンヌ家自慢の広々とした厨房で、俺とクロエさんは最後のお茶の準備をしていた。
ケーキはお嬢様お気に入りのペルル茶葉をふんだんに使ったシフォンケーキ。紅茶はペルルの紅茶。混ぜるとストレートの時とは違う美味しさを味わえる冷たいミークも小さなポットにたっぷり注いである。
そんなお茶セットを金色のトレイに載せ、俺が持ち上げた時、ぐすぐすとクロエさんが鼻を鳴らした。
「く、クロエさん? どうしました?」
「ご、ごめんなさい……もうこうやってジュリーさんとお嬢様のお茶を用意することもなくなっちゃうんだって思ったら、少し寂しくて……ううっ」
ぼろぼろ泣き始めるクロエさんに、俺は苦笑いする。
「お、大袈裟だなあ。早ければ一年後に戻ってきますって」
「でもぉ、お嬢様がソルシエーヌに選ばれたら、数年単位で会えなく……ううっ」
「まあ、お嬢様はそう簡単に戻ってくることはなくなってしまうかもしれませんが、私はお嬢様のお使いとかでこちらに顔を出す機会もあると思うんで。とにかく、永遠の別れってことはないですから」
「う〜……でも、やっぱり寂しいわぁ」
困った。クロエさん、泣き始めると長いんだよなあ。それに彼女の泣き顔は五年経った今も苦手だ。否応無しに前世の姉のことが頭を過ぎっちまうし。
けど、そんな日々ともしばしお別れ、って考えると確かに寂しいかもな。
なんて考えていたら、クロエさんがいきなり両頬を小気味よくぱんぱんと叩いた。
「うう、泣いてばかりじゃダメね。お二人がいなくなってもしっかりしなくっちゃ。さ、紅茶が冷めちゃうし、行ってらっしゃい、ジュリーさん」
「今日はクロエさんが持って行きますか?」
「いいえ、お嬢様に給仕するのはジュリーさんのお仕事だもの。お嬢様が待ってるわ。早く行ってあげて」
クロエさんに促され、俺は微笑んで頷いた。
俺・相馬樹里が転生し、ジュリー=メレスとして生活を始めて五年。
肉体年齢がようやく前世と同じ年頃になった俺は変わらずメイドとしてこのメルセンヌ家の令嬢にお仕えしている。
「お嬢様、お夜食をお持ち致しました」
重厚なダークブラウンの扉を潜れば、一人の令嬢がソファーに腰掛け、ネイビーのハードカバーの本を捲っている。
彼女はクリスティアーヌ=メルセンヌ。先月十五歳の誕生日を迎えた彼女は、五年前とは随分と雰囲気が変わった。
「ありがとう。もう少し読んだら頂くからそこへ置いておいて」
「珍しいですね。お嬢様が勉学のお時間以外で魔法書を読んでいらっしゃるなんて」
俺が猫足テーブルへケーキを置くと、それを見たお嬢様のエメラルドグリーンの瞳が嬉しそうに綻ぶ。
「仮とはいえ、明日から王宮付きの魔法使いとなるのだから、気を引き締めて当然よ。今までよりも魔法の勉強に充てる時間も増えるもの、小さな基礎ひとつでも躓いていたら格好がつかないわ」
「ご立派なお言葉です、お嬢様。旦那様もお喜びになることで――あ、いえ、むしろ感動しすぎて泣いてしまわれるかも?」
俺の脳裏に強面の旦那様ことメルセンヌ公爵が、目頭を抑えて一筋の涙を流す様が浮かぶ。
あの人、最初はめちゃくちゃ厳格そうで表情って言葉知らねえのかってくらい無表情の印象だったけど、結構涙もろいことがこの五年でよーく分かった。奥様の命日やお嬢様の誕生日は分かるが、お嬢様の趣味を理解すべく彼女から借りたロマンス小説読んだだけで泣くレベルで脆いのだ。
「ふふっ、そうかもしれないわね。でも、言葉だけではダメだわ。明日からは行動で示さないと」
ぱん、と小気味よく本を閉じたお嬢様がにやりと笑う。
その笑みは前世のゲーム画面で見た、悪役令嬢クリスティアーヌとよく似ている……が、印象は違う。
五年前はきつめのドリルヘアーだったが、今は毛先をふんわりと巻く程度にになっている。ドレスもピンクを好まれていたのが嘘みたいに青やネイビーなど落ち着いた色合いのものを好むようになった。今身につけている控えめフリルのブラウスに青のジャンパースカートが抜群に似合ってる。メイクももとよりはっきりした顔立ちなことを生かしてきつくなりすぎないよう淡い色合いをポイントに入れている。
……などなど、悪役令嬢要素が薄くなったことにより、上品な公爵令嬢へとご成長されたのである! 素晴らしい!
これもお嬢様の親友であるマリー嬢やお菓子作りの先生であり今やお嬢様のお姉様的存在であるクロエさんのお陰だ。特にクロエさんとはロマンス小説をシェアする趣味友達でもあるらしく、ぶっちゃけ侍女の俺より仲が良い。だから一度、俺の代わりにクロエさんにお嬢様付きの侍女にならないか、というか、その方が将来的にも良いんじゃないかって言ったこともあったけど、「何言ってるんですか! ジュリーさんをおいて他にお嬢様の侍女となれる方なんていませんよ!」と怒られてしまった。あのクロエさん、めっちゃおっかなかったな……。
「……ちょっと、ジュリー。言いたいことがあるならはっきりおっしゃい。不気味な笑顔してないで」
お嬢様の訝しげな声に我に返り、俺は紅茶のポットを手に取った。
「いえいえ、お嬢様が本当にご立派な淑女となられたなぁと、お嬢様付きの侍女として感慨深く思っていただけです」
「……それを言うならジュリー、貴方もよ。いくらあたしやクロエが口外しないようにしているとは言え、五年経っても貴方が本当は男性だなんて誰も思いやしない。むしろ、あたしたちも時々分からなくなるくらい完璧に女性だわ」
「あはは……まあ、それはやはり、一歩間違えば職を失いかねませんので必死なだけですよ」
と、お嬢様には謙遜しておいたが、うん、まじで俺もよくバレずにいられたなと思う。ジュリーが大して成長せず貧弱な体でいてくれてることもあるけど、さらにバレないよう女性っぽい仕草や歩き方を意識して生活してるから、それが身についたのも大きい。スカートも、むしろ履いてないと落ち着かなくなったしな。
紅茶入りの藍色のティーカップをソーサーごと持ち上げ、お嬢様がエメラルドグリーンの瞳を細める。
「とはいえ、明日からは王宮に住むのだから気をつけなさい。メルセンヌ家の人間はあたしとジュリーだけになるんだから」
「心得ております、お嬢様。私が原因でお嬢様がソルシエーヌ候補から外れる……なんてことになれば間違いなくクビ通り越して命はないものと思っておりますから!」
手を胸に当てて力強く宣言すると、「相変わらずオーバーねえ」とお嬢様が呆れたようにため息をついた。
「まあ、そのくらいの気概でいてもらった方がありがたいけれどね。折角一緒に行けるんですもの、あなたにはその瞬間まで見届けてもらわないと」
「はい、それはもちろん。お嬢様が運命の方と出会い、添い遂げる瞬間まで見届ける覚悟ですとも」
「運命の方と出会……?」
「あ、いえ! もちろんラピュセルとして儀式に挑まれることがメインですが! 王宮には様々な殿方がいらっしゃるかもしれませんし、お嬢様が好まれる小説のような出会いがあったりなかったりするんじゃないかな〜〜〜と」
うっかりゲームの目的の方をぽろっと言ってしまった。いかんいかん。
けど、俺としては割と真面目にそういう展開来ないかな〜と思っているのだ。主人公とルートに入ってしまった攻略対象は除いて、他にも対象はいるんだから、うまいことお嬢様とそっちがくっつけばそもそも悪役令嬢にはならないんじゃないかって。
俺のうっかり発言に、お嬢様はさらに呆れ返ったようにため息をついた。
「ジュリー……いくらあたしがロマンス小説好きだとしても、そんな色恋に浮ついた気持ちで儀式に挑むわけないでしょう? マリーじゃあるまいし、何でもかんでもすぐ色恋に結び付けたりしないわ」
「は、ははは……で、ですよねえ……」
「それに、王宮でどんな男性に出会ったとしてもあたしは心惹かれたりしないわ。そういう相手は既にいるもの……」
「え?」
後半が上手く聞き取れず首をかしげると、お嬢様は派手に咳払いして、何故か怒ったように俺を見た。
「ほら! くだらないこと言ってないで、あなたも明日の支度をしていらっしゃい! 明日は早くここを発つのだから」
「そ、それに関しては抜かりなくできております。お嬢様こそお支度の方はいかがですか?」
「あたしは完璧よ。さっき読んでいた魔法書を入れたら……あっ、大変、『愛とジェセフィーヌ』を持っていくのを忘れていたわ!」
途端に慌て出すお嬢様にかつての姿を見出し、俺はくす、と笑った。
「では、お嬢様がケーキを召し上がっている間に私が詰めておきます。あ、昨日読んでいらっしゃった八巻は今夜お読みになられると思いますので、ベッドサイドに置いておきますね」
「……ええ。あと……今夜も読み聞かせをお願い。今日は最後まで読んでほしいわ。さすがに王宮では……できなくなるから」
頰をかすかに赤らめてもじもじしながらおっしゃるお嬢様に、俺はもちろん、と頷いた。
大人になられても、まだまだ幼いところもあるお嬢様。五年一緒にいて彼女への思い入れは強くなるばかり。
だからこそ、俺は絶対阻止する。お嬢様が悪役令嬢化し、破滅するルートへ進んでしまうことを!
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