第6話 お嬢様、お供します。
数分後。俺とお嬢様は旦那様の書斎の前にやってきた。それまでにこにこしていたお嬢様も、書斎の前に立つと緊張してしまったのか、表情がたちまち不安そうになる。
「お嬢様、大丈夫ですよ。素直に気持ちを伝えればいいんです」
「……うん」
俺が励ますと、お嬢様はこくりと頷いてくれるが、ドアをノックする素振りを見せない。
これはどうしたものか。俺がお嬢様の代わりにノックするのはなんか違う気もするし。
と、次の行動を考えあぐねていた時、
「ジュリーさん!」
その声に俺が振り向くと、クロエさんが小さなトレイを抱えてやってきた。
「ああ、良かった。間に合っ……っ、く、クリスティアーヌ様……!」
俺を見て笑顔を浮かべていたのもつかの間、傍のお嬢様に気がついた途端、クロエさんがさっと顔色を青くして固まってしまった。
お嬢様もクロエさんを見た途端、不機嫌そうに眉を吊り上げて、
「何よ、お父様のとこに何しに来たの」
「あ、わ、私……っ、その、旦那様にお詫びを……それで、ジュリーさんの解雇を考え直して頂ければと思って……」
「は?」
「お嬢様、すみません、少しお静かに。クロエさん、それは?」
刺々しい対応をするお嬢様を片手で制しながら、俺がクロエさんに尋ねると、彼女はおずおずとトレイに被せられていた銀色のクロッシュをわずかに開けて見せた。
そこに収まっていたのは小粒のラズベリーがみっちり載せられたケーキだった。
「ラズベリーのミルフィーユ……?」
お嬢様が呆然と呟くと、クロエさんは気弱そうに眉を下げながら小さく頷いた。
「お嬢様の命令を私が取り違えたのは事実です、ので……その、キッチンをお借りして、つ、作ってみたんです……」
「クロエさんが作ったんですか?」
「は、はい……料理が趣味なので、ケーキもよく作るんです。使用人の皆さんは美味しいって言ってくれるんですけど、旦那様のお口に合うかどうかは……」
心配そうに言うクロエさん。でも、俺の目から見る限りは店で並んでいるようなケーキに見える。美しい正方形のミルフィーユがクリームと共に重ねられているし、ラズベリーの並べ方も綺麗だし。いいな、普通に美味そう。
「あなたがこれを……」
「っ、か、勝手な真似をして申し訳ございません……っ、ですが、私を助けようとしてくれたジュリーさんを、私もどうにか助けたいんです。ここを追い出されてしまったら、ジュリーさん、路頭に迷われてしまうかもしれないから」
「あ、いや、私は別に……」
もうクビの覚悟は決まってるんで、と俺が言い終わらないうちにお嬢様がクロエさんの元へ向かった。
途端に怯えて一歩後ずさるクロエさんに、お嬢様は静かな声色で告げた。
「大丈夫よ。ジュリーは解雇しないわ」
「え……?」
「あなたのラズベリーのミルフィーユ、お父様に差し上げてもいいかしら」
「そ、それはもちろん……」
おずおずと頷くクロエさんからミルフィーユを受け取ると、お嬢様はドアをようやくノックした。
「お父様、クリスティアーヌです」
入れ、と低い声がすぐに返ってきた。一瞬躊躇いを見せたお嬢様だったが、意を決してドアを開いた。
窓際にいたメルセンヌ公爵がゆっくりとこちらを振り返る。お嬢様、そしてその背後にいる俺とクロエさんを……あ、よくよく考えたら俺、旦那様に思い切りタメ口で文句言っちゃってたな……あー……クビは待った無しかもしれん。
ひっそりと苦笑いする俺をよそに、お嬢様はぷるぷると全身を震わせながら公爵の元へ向かう。
「あの、お父様」
「……それはジョセへの弔いか」
その言葉にお嬢様は大きく体を震わせて立ち止まり、やがて小さく頷いた。
「後ろの、メイドが作ってくれたの……お母様の好きだったラズベリーで……」
「……そうか」
「お父様も、ラズベリーを見るとお母様を思い出す、だから、好きだって教えてくれたわよね……だから私、今年の命日はお母様だけじゃなくて、お父様にも食べて欲しくて用意をしたかったの。でも……私、指示を間違えちゃったから……」
それは、私のせいです。そう言いたげに口を開こうとするクロエさんを、俺はそっと片手で制した。
確かにそうかもしれないが、ここはお嬢様と公爵の空気に水を差したくない。お嬢様は一生懸命話そうとしているし、公爵も相変わらず表情は読めないが、少なくともお嬢様を突き放そうとはしていなさそうだし。
「間違えて、ごめんなさい。炎の魔法を、使おうとしてごめんなさい……嫌いだなんて言って、ご、ごめんなさい……」
「……クリス」
「嫌いなんて、嘘よ……クリスは、お父様が好き……お父様に嫌われるの、嫌っ……」
肩を大きく震わせて、お嬢様がしゃくり上げ始めた。クロエさんを制していた俺も流石に動きそうになったが、それよりも早く公爵が動いてくれた。
公爵はお嬢様の前へ跪くと、彼女の持っていたケーキの皿を受け取った。
「お、お父様……」
「ありがとう、クリス。私とジョセ……いや、お父様とお母様の好きなものを覚えていてくれて」
表情は相変わらず無だったが、その声色はほのかに優しく、穏やかなものだった。
お嬢様の震えがより大きくなり、やがて大きな声で泣き始めてしまった。公爵はそっとお嬢様を抱き寄せ、頭をゆっくりと撫でた。
「……よかった」
ポツリ、と隣のクロエさんが呟く。俺も笑顔で頷いた。
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