第5話 お嬢様、俺でよければ話を聞きますよ。

 足元に纏わりつくスカートの裾に悪戦苦闘しつつ、俺は中庭へ駆けていた。

 公爵の部屋にたどり着いた時と同じ要領で、その辺のメイドや執事をとっ捕まえて、お嬢様がお気に入りだという中庭へ向かったことを突き止めたからだ。

 それがまたご立派な中庭だった。大きな噴水はあるわ、色とりどりの薔薇のアーチはあるわ、よく分からんヴィーナス的な陶磁器の像があちらこちらに見えるわで、改めて俺はめちゃくちゃデカイお屋敷にいるんだと実感した。

 もはや庭っていうかアトラクションだな……とキョロキョロしながら進んでいくと、おとぎ話に出てきそうなファンシーな白いブランコに乗ったお嬢様を見つけた。勝気そうなエメラルドグリーンの目を潤ませ、白い頬をぐっしょりと濡らし、赤らんだ小さな鼻先を鳴らし、彼女は静かに泣いていた。

 こうして見ると、髪型は奇抜だがなかなか可愛らしい子だな。西洋人形ってこんな感じだった気がする。

「……あの、お、お嬢様?」

 俺がそっと呼びかけると、お嬢様はパッとこっちを見た。驚きで見開かれたエメラルドグリーンの目がだんだんと険しくなっていくのを見て、俺はあの燃え盛る炎を思い出し、思わず後ずさりした。

「い、いや! あの、俺、あ、いや、私、お嬢様が泣いていらっしゃるのを見て、それでっ」

「…………あなた、誰? 新人メイド?」

 訝しげにそう告げたお嬢様に、俺はぽかん、としてしまった。

 あれ? 俺、確かこの子に名乗ったよな? んで、思い切り「クビよ!!」宣言食らったよな?

 もしかして忘れられてる……? ま、まあ、確かにこいつ、すげえモブ顔だもんな……分からんでもないが。

「私、さっきお嬢様に水を掛けた者なんですけど……」

 俺がそう告げた途端、流石にそのことは忘れていなかったようで、お嬢様が大きな目を吊り上げた。

「あの時の無礼なメイド……っ、クビだって言ったでしょ!? 何でいるのよ!」

「いや、まだ荷造りしてなかったですし、旦那様にもご挨拶していませんでしたし」

「そんなのいいから、さっさと出ていきなさいよ! あなたのせいであのドレス、着られなくなっちゃったんだから! お気に入りだったのに!」

「濡れただけですよね? 乾けば大丈夫じゃ」

「一回でもキズモノになったドレスを着ろって言うの?! ほんとに無礼なメイドね!」

 さっきまでのしおらしく泣いていた時は可愛いと思ったのに、きゃんきゃん喚くと可愛さが半減するな……しかもザ・わがままお嬢様って発言つきだし。

 話しかけたことを地味に後悔しつつ、俺は素直に頭を下げた。

「ドレスを濡らしてしまったことはすみません。でも、ああしないとクロエさんが火傷を負ってしまうし、お部屋にも火がついてしまったかもしれないですし」

「っ、そんなの、ちゃんと手加減するに決まってるでしょ! あたしは選ばれし鐘の乙女なんだから!」

「いや、どう考えても手加減なしの炎ぶっ放しそうだったじゃないですか」

「うるさいわね、あなたも燃やされたい?!」

「そしたらこっちも水、掛けますけど、いいですか?」

 さり気なく持ってきておいた水入りのバケツを見せると、お嬢様がう、と怯んだ。また炎をぶっ放されたらたまらないからな、一応持ってきておいて良かった。

「な、何なのよ、あなた! いいからさっさと出ていきなさいよ!」

「出ていくつもりですけど、お嬢様をこのまま放っておくわけにはいきません」

「何でよ! 今、あたしは誰にも会いたくないの!」

「旦那様に叱られたからですか?」

 俺がそう告げた途端、お嬢様はビクッと肩を揺らした。

 強気に吊り上げられていた大きな目はあからさまに潤んで、きゃんきゃん吠えていた唇はキュッと固く閉ざされて――最後は何かを堪えるように俯く。

「……すみません。聞くつもりはなかったんですが、旦那様と話しているのが聞こえて、つい耳を傾けてしまったんです。さっき、炎の魔法を使おうとした時のことで話してたんですよね?」

 ブランコの鎖を掴む手を小刻みに震わせながら、お嬢様が蚊の鳴くような声で呟いた。

「手加減、するつもりだったもん。ただ、炎を見せて、怖がらせて……そうじゃないと、メイドたちはみんな、クリスのこと、バカにするんだから。お母様のいない、お父様にも認めてもらえないクリスを、バカにするんだから」

「……お嬢様」

「クリスは……お父様に喜んでもらいたかっただけだもん……ラズベリーじゃないと、いけなかったんだもん……今年のお母様の命日は、お母様の大好きなラズベリーをお父様と食べようって……そう、決めてたのよっ……なのに、なのに……」

 お嬢様の紺色のドレスにぱらぱらと涙が落ちる。

 俺はポケットを探り、ハンカチ――と呼ぶにはちょっとボロボロの布だが、まあ、ないよりはマシかと思って、そっとお嬢様に差し出した。おずおずと受け取ったお嬢様はボロボロのハンカチで涙を拭った後、ぼそっと「変な匂いがする……」と呟いた。ですよね。

「お…………『私』もありますよ。父親に心にもないことを言ってしまった経験が」

「え……?」

 ゆっくりと顔を上げたお嬢様はキョトンとしている。その表情は子供らしいあどけなさがあった。

「私の母親は私が物心つく前……あ、えっと……赤ちゃんだった時に亡くなってしまって。私と姉を父親が一人で育てていたんです。父はとても不器用な人で、言葉が足りない人でした。今にして思えば、父親なりに頑張ろうとしていたんでしょうね。必ずご飯は一緒に食べようと時間を作ってくれましたし、誕生日には私たちの好物を作ってくれましたし」

 『相馬樹里』としての最古の記憶を辿りながら、俺は父親のことを思い浮かべる。

「でも、私はその優しさに気づかなかった。母親がいない寂しさを、父にぶつけてばかりいて、ひどいことばかり言ってました。それこそ、嫌いなんて何度も言いました」

 自分の発言を思い出したのか、お嬢様の表情が暗くなった。そうか、やっぱり悪いとは思ってるんだな。

 俺はそんなお嬢様を励ますように、明るい声を意識して口を開いた。

「だけど、最後の最後に、ちゃんと素直な気持ちを伝えられたんです。父が事故に遭って亡くなる直前ですけど……あの父から初めて謝られて、私も言えたんです。今までひどいこと言ってごめんって」

「……」

「お嬢様。身近に親がいて、気持ちを素直に伝えられるのは今しかないんです。悲しいけど、いつかはいなくなってしまうんです」

「……」

「お嬢様なりの気持ちがあるは分かります。ですが私は、旦那様の言っていたこともまともだと思います。言い方は少し厳しかったですが」

「……うん」

 お嬢様が素直に頷く。涙がポロポロ溢れていくのを、ぼろぼろのハンカチで拭い、鼻を啜って。

「もし私でよければ、旦那様のところまで行きますよ」

「えっ」

「一人だと、謝りづらくないですか? お供しますよ」

 お嬢様はじっと俺を見つめたままぽかん、としている。

 俺、そんな変なこと言ったか? 怒られた後謝りに行くのって誰でもやりづらいし、クビ予定のメイドでもいないよかマシだと思ったんだが……。

「……クリスと、来てくれるの?」

「え、はい。お嬢様さえよければ……」

 俺が頷いた途端、お嬢様の目から再びじわっと涙が浮かんだ。

「お、お嬢様?」

「……あなた、名前は?」

「え、じゅ、ジュリー・メレス、ですが……」

 おずおずと名乗ると、お嬢様は涙を浮かべたまま笑った。

「クリスとこんなにお話ししてくれたメイドは、あなたが初めてよ、ジュリー」

「そ、そうなんですか……?」

「うん。だからもう、忘れないわ、あなたの名前」

 ……やっぱり、お嬢様は普通に可愛い。

 不覚にも少しだけ、ほんの少しだけだけど、ドキッとしてしまったくらい。

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