第4話 お嬢様、うっかり聞いてしまいました。

 クロエさんが立ち去った後、俺は荷物をまとめて――と言っても、ヨレヨレの私服一着とオンボロのトランク、ジュースの瓶に入ったささやかすぎる持ち金だけだった。いや、マジで他にもないのかって思って探し回ったけど、マジでこれだけだった――旦那様こと、メルセンヌ公爵の元へ向かった。

 ジュリーはマジで公爵と会ったことが一回くらいしかなく、彼と一切関わらない生活をしていたようだ。そのせいでジュリーの記憶の中の公爵の姿も朧げで、背が高い以外よく分からなかった。

 とりあえず俺のことをすげえ遠巻きに見てくるメイドの一人を取っ捕まえて、公爵が書斎にいることを突き止め、こうして部屋の前に辿り着いた。

 あの金髪ドリルヘアーお嬢様から「クビ」と通告されているが、俺……というか、ジュリーの雇い主はあくまでメルセンヌ公爵だ。一応確認しておいて、どう足掻いてもクビ案件というのなら、おとなしく従おう。公爵は気難しい方らしいから、見苦しく足掻くつもりはない。

 けど、やっぱ緊張するな〜……クロエさんがむちゃくちゃビビってるの見てたせいかな。

 胸元に手を当てて深呼吸する。メルセンヌってすげえ噛みそうな名前だな、噛まずに言わないと。


 ……ん? 待て、メルセンヌって、なんか聞き覚えがあるような……。

 不意に生じた疑問に首をひねった時、突如その声は聞こえてきた。



「どうして?! なんでクリスが怒られなくちゃいけないの、お父様!」



 思わずドアをノックしかけた手を引っ込めた。

「お前の魔力はまだ不安定だ。たかだか使用人一人を罰するのに使用していては、この屋敷が火事になりかねん」

「火事なんて……っ、クリスはそんな大きな魔法使うつもりなんてなかったわ! ただの見せしめよ! あの使用人は以前から素行が悪くて男に色目を使う浅ましい女だって、他の使用人達も噂してたんだから!」

「使用人の戯言にいちいち耳を傾けること自体が浅ましい行為だとは思わないのか。お前には公爵令嬢として相応しい振る舞いを行えるよう教育を施してきたというのに……この有り様では無意味だったと思わざるをえない」

「お、お父様……」

「いい加減、大人になれ、クリス。父をこれ以上失望させるな」

「……っ」

 女の子の声と渋いおっさんの声だ。女の子の方は、あの金髪ドリルヘアーの子だろうか。

 おっさんの方が公爵か。声だけ聞くと厳しそうな印象だな。言ってることはまともっぽいが、少し厳しすぎる気もするような……。



「お父様なんて、大っ嫌い!!!」



 キンキンの甲高い声に俺は思わず耳を塞ぐ。

 それとほぼ同時に書斎のドアが派手に開かれ、あの金髪ドリルヘアーの女の子が飛び出してきた。

「うわっ?!」

 寸でで飛び退いたが、勢いを殺しきれずに俺はその場で思い切り尻餅をつく。そんな俺を無視して走り去っていった女の子の横顔はちらりとしか見えなかったが、泣いているようだった。

 ジンジンと痛む尻を押さえつつ立ち上がると、開け放たれたままの書斎のドアが目についた。そっと中を窺って見ると、立派なチョコレート色のデスクで立ち尽くすダンディーなおじさんが見えた。

 これがメルセンヌ公爵……? えらくダンディーだけど、表情は声色通りめちゃくちゃ険しくて、怖そう。

「あ、あの……」

 そっと呼びかけてみたが、公爵は女の子が立ち去っていった方を見つめたまま動かない。

「やはり、私に子育てなど、無理なんだよ、ジョセ」

「え……」

「私にあの子は育てられん。正しいことを伝えても伝わらない。あの子の父としてしてやれることは、何もないのかもしれない……すまない」

 ぽつり、と公爵がこぼしたその言葉に、俺の記憶が――『相馬樹里』としての記憶が過った。


『すまない、樹里。お前や麻里を置いていく私を、許してくれ』


 そのセリフを思い出したせいか、公爵が全く別の人間に――『相馬樹里』の父親に重なって見えて。

「……っ、諦めんなよ!」

 気がつけば、俺は公爵に向かってそう叫んでいた。

 ハッとしてこっちを見た公爵に、俺も我に返り、慌てて首をブンブン振った。

「あ、いえ、その、今のは、えっと……っ」

「……お前は……」

 やべ。公爵の眼光がどんどん鋭いものになっていってる……! 

 けど、どうせ俺、解雇される身だし、いっか!

「あの、すみません! 言葉は悪いですが、俺は思ったことを申し上げただけです! おっしゃってることはごもっともでも、言い方と表情を優しくしないと娘さんは聞く耳を持たず、ますます反抗的になるだけだと思います!」

「何……?」

「以上です、では、失礼します!!」

 勢いよく頭を下げると、俺は踵を返した。

 ぶっちゃけ解雇される身だし、どうでもいいけどさ。それでも泣いている女の子をスルーするのは性に合わない。

 俺は、少なくとも『相馬樹里』だった頃の俺は、そうやって育てられてきたんだから。

 女心を知るために乙女ゲーをやらされてたくらいなんだからな!

 

 

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