1 お嬢様、メイド(♂)です、初めまして。
第1話 お嬢様、いきなりですが、失礼します。
「――んもぉ! あなた、ほんっとに使えないメイドね!!」
キンキンとした子供の罵声と女性の悲鳴、派手に何かが割れる音に、俺はハッと我に返った。
エメラルドグリーンに統一された部屋の中、目の前で小さな女の子が肩をいからせて仁王立ちしている。
腰まで伸びたウェーブのハニーブロンドの髪に、小さな耳がかくれんぼをしているもみあげはバネのようなくるんくるんの縦巻きロール。いや、マジで漫画とかゲームでしか見ないご立派な縦巻きロールだ。ご立派すぎるが故に、その横顔がロールに埋もれて見えない。
「っ、も、申し訳ございません、クリスティアーヌ様……っ、で、ですが、私はクリスティアーヌ様のお申し付け通りにご準備をして……」
「誰もイチゴのミルフィーユを出せだなんて言ってないわ。あたしはラズベリーのミルフィーユを出しなさいと伝えたはずよ」
縦巻きロールを大きく揺らして憤慨する女の子に、赤い絨毯にめり込むんじゃないかってくらい土下座しているのは、紺色のワンピースに白いフリフリのエプロンを身につけた女の人。おずおずと顔を上げたその人を見て、俺は息を飲んだ。
肩まで伸びた栗色の髪も、色素の薄い水色の目も、「姉ちゃん」に瓜二つだったからだ。
でも、彼女は俺の「姉ちゃん」が絶対にしない弱々しい表情を浮かべ、胸元で手を組みながら懇願するように声を絞り出した。
「申し訳ございません、お嬢様っ……どうか、どうかお許しを……!」
「お父様の反応を見たでしょう?! いつもより眉間のシワの数が多かったし、とても不機嫌そうだったわ! いつもよりも全然お話しして下さらなかったし……っ! 今日は、大切な日だったのに……! 全部、あなたがあたしの命令を間違えるからよっ!」
その瞬間、女の子の周囲にチリッと火花が飛んだような気がした。
いや、『気』じゃない。女の子の長い金髪を縁取るかのように、黄金色の光がぱちぱち音を立てながら漂っている。
すると、背後からボソボソと囁く声が聞こえてきた。
「ああ、出ちゃったわねえ、お嬢様の悪癖が」
「お嬢様の『炎』は容赦ないからねえ……アレにやられて何人のメイドが『キズモノ』になったことか」
「可哀想なクロエ。その美貌もおしまいね」
「いい気味だわ」
ちらり、と視線を向ければ、紺色のワンピースにフリフリのエプロン姿の女の人たちがずらっと並んでいる。
初対面だけど、みんなとっつきにくそうなオーラが出てるな。聞こえてくる声もぞっとするくらい冷たいし。
そんな彼女たちの声が聞こえているのかいないのか、土下座していた女の人が唇を戦慄かせて全身を震わせ始めた。こわばった顔には『絶望』の二文字がありありと見え、その目からははらはらと涙がこぼれ落ちる。
「い、いや……っ、お、お許しくださ……お、お嬢様ぁっ……!」
「前から思ってたのよね、クロエ。あなた、できそこないのくせに、ヘラヘラ笑って男の使用人をたぶらかして、調子に乗ってるでしょ」
「そ、そんなっ……そんなことは……っ」
「あたしがおしおきしてあげる。もう二度と、あんな顔できないようにね」
女の子がベビーピンクの唇の端を吊り上げて、屈託のない声でえげつないことを言う。
フリフリの袖に包まれた小さな手が上へ翳されたかと思うと、そこから黄金色の球体が現れた。
あれは、炎だ……って炎?! 人体から出る炎って何?! マジックかなんかか?!
揺らめくそれはどんどんと成長し、部屋の天井にまで届きそうなくらい大きくなっていく。
「あ……ああっ……」
土下座を崩し、床に這いつくばって怯える女の人に、女の子の手の炎が放たれる。
その瞬間、俺は地面を蹴った。
同時に、自分の右手に下げられていたそれを、躊躇うことなく女の子に向かって放り投げた。
「きゃああっ!」
甲高い悲鳴を上げ、床に転がったのは女の子の方だった。
俺が放り投げたモノ――木製のバケツが赤い絨毯の上へ転がる。
けど、それよりもみんなの視線を集めたのは、バケツの中に入っていた水をもろに被ってびしょ濡れになった上に、頭頂部にベチャベチャの雑巾を乗せた女の子だった。思っていたよりも量があったお陰で彼女が生み出して(?)いた炎は消え、ついでに彼女のふわふわの縦ロールもロングヘアもエメラルドグリーンのフリフリドレスも水を浴びてぺったんこになっていた。
とりあえず火は消せた……っぽいけど、そんな、びしょびしょになるくらいの水が入ってたとは思わなかった。
いや、水っていうか掃除に使ってた汚水……だよな。雑巾も入ってたみたいだし。
っていうか、水を掛けられた女の子だけじゃなく、周りの人たちもみんな黙りこくってるんだが……その視線は明らかに俺に突き刺さってるし。そ、そりゃそうか。いきなり知らん男が出てきて、女の子に汚水をぶっかけたらこんな反応になるよな。
と思ったら、誰かがぼそりと呟いた。
「……クビだわ。間違いなく」
「へ?」
俺が首を傾げた途端、ずぶ濡れの女の子が勢いよく起き上がった。その勢いのせいで思い切り水しぶきが俺と土下座したまま固まっていた女の人に掛かったが、女の子が小さな体をぶるぶると震わせている様子が明らかにただ事ではなく、そっちを凝視してしまう。
「あ、あの……大丈夫……?」
思わず声をかけて、俺はふと自分の声の違和感に気がついた。
俺の声って、こんなに高かったっけ。それになんだか、足元がやけにスースーするような――。
と、思ったのも束の間、ずぶ濡れの女の子が勢いよく俺を指差した。同時に、ずぶ濡れの髪に隠れていたその顔が見えた。
バチバチの金色のまつげに縁取られたエメラルドグリーンの瞳は幼さを感じる大きさなのに、俺を睨みつける様は底冷えするような恐ろしさを感じる。
「っあなた、名前は」
「え、じゅ、ジュリー・メレスですけど……え? あれ?」
自分の口から発せられた見知らぬ名前に、俺は咄嗟に口を押さえた。
けど、出したその名前は女の子の耳にしっかりと入ってしまったようだ。
女の子は幼くて綺麗な顔立ちに似合わない苛烈な視線で俺を捉え、はっきりとこう告げた。
「ジュリー・メレス! 即刻メルセンヌ家から出て行きなさい! クビよ!!!」
「…………はい?」
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