第10話 直轄領にて


 直轄領は、王都から馬車で一時間ほどの場所にある。

 王都の喧騒から離れた飛び地となっているこの場所には、大きな湖があった。

 その湖畔に建つ王家所有の別荘へ、二人は来ていた。


 別荘が小規模なため管理をしているのは老齢の夫婦のみ。

 他に、使用人らしき人影はない。


「侍女や従僕を同行させなくて、良かったのですか?」


「ここへ来るときは、いつも俺一人だけだ。従者を連れてきたことは、一度もない」


(なるほど……息抜きの場ということか)


 王弟であるデクスターの周囲には、常に他人がいる。

 自由奔放な彼だが、息が詰まりそうになるときもきっとあるのだろう。

 たまには一人になりたいと思う主の気持ちが、ジョアンには理解できた。


「僕も、離宮で留守を預かれたら良かったのですが……」


「特異体質のことがなくても、俺はおまえを連れてくるつもりだったぞ?」


「えっ?」


「何で、そんな驚いた顔をしているんだ。前にも言っただろう? 俺は、おまえを気に入っている」


「あ、ありがとうございます……」


 デクスターの言葉には、裏がない。

 いつも、真っすぐに言葉を伝えてくれる。

 嘘を吐き続けているジョアンとは、大違いだ。

 

 嬉しくもあり、申し訳なさもあり、そして……ちょっと気恥ずかしい。


「それにしても、殿下は休日だと早起きができるのですね? 普段からそうだと、従者としては大変有り難いのですが……」


 ジョアンがいつものように起こしにいったら、もうすでに起きていて着替えまで済んでいた。


「特に今日は、おまえと遠出をするからな、前々から楽しみにしていたんだ」


「では、毎日なにか楽しみがあれば、起きていただけるのですか?」


「そうだなあ……毎日おまえが共寝をしてくれたら、起きられるだろうな」


「さて、時間もないことですし、さっそく出かけましょうか?」


「コラ! あっさりと聞き流すな!!」



 ◇



 結婚式への参列がなくなったデクスターには、時間的な余裕ができた。

 溜まっていた仕事を片づけ、予定を調整し、一日休暇を取ることが可能となる。

 そして今日、直轄領へとやって来たのだ。

 

 ここでは堅苦しい恰好をする必要はない。

 平服に必要最低限の荷物を持ち、馬車ではなく馬に乗ってきた。

 ジョアンも、貴族のたしなみとして馬には乗れる。

 事務方仕事の毎日で、すっかりなまっている体。

 日頃の運動不足を多少でも解消できれば有り難い。



 部屋に荷物を置いた二人は、さっそく湖へ足を運ぶ。

 ジョアンはズボンの裾を捲り上げ裸足になり、足だけ水に浸す。

 思っていたよりも冷たかった。

 慌てて足を引っ込めようとしたジョアンの背後へ、怪しい影が忍び寄る。


「ひゃあ!?」


 いきなり背中へ水をかけられた。

 後ろからバシャバシャと、攻撃は続いている。

 どこから持ってきたのか、デクスターが桶から手で水を撒いていた。


「アハハ! どうだ、参ったか?」


「殿下!!」


 ジョアンも負けじと、湖から直接水を浴びせる。

 水の量では、ジョアンに分がある。

 すぐに形勢は逆転した。


「俺が悪かった! もう、降参だ!!」


「敵に戦いを挑むなら、先に補給経路は確保しておかないと駄目ですよ?」


「今回の敗因は、先に水が尽きたことだな……奇襲作戦が、裏目に出た」


 まだ着いたばかりなのに、もうすでに二人とも全身ずぶ濡れだ。


「よし、このまま泳ぐか!」


 上半身だけ裸になったデクスターが、勢いよく湖に飛び込んだ。


「殿下! 服を着たまま泳げるのですか?」


「ああ、問題ないぞ! 昔から、泳いでいるからな!!」


 その言葉通り、デクスターは難なく泳ぎまわっている。

 着衣遊泳は、慣れていない者には危険な行為だ。

 服が水分を含み、体が重くなる。

 ジョアンは領地で訓練は受けていたが、濁流に飛び込んだときに流木がなければ、途中で力尽き溺れていたかもしれない。

 

「おまえは、泳げるのか?」


「一応、泳げますが……」


「心配なら、足の着くところで泳げばいい。その辺りは浅瀬だからな」


 少し迷ったが、ジョアンも上だけ脱ぎ水へ入る。

 無理をせず、岸に近い場所で泳ぎ始める。

 川では、泳いだというよりも濁流に流されていたが正しい。

 

 浅瀬で何度か行ったり来たりを繰り返したが、やはり体が重い。

 日頃の運動不足を改めて痛感する。

 もう少し体力を付けなければと足に力をいれた、その時だった。


たっ……」


 右足のふくらはぎに激痛がはしった。

 痛みで、体がのけ反る。

 幸い浅瀬だったため左足は底についているが、動くことができない。


「おい、どうした?」


「足がりました!」


「ハハハ……おまえは水難の相でもあるんじゃないか?」


「そうかもしれません」


 確実にあると、ジョアンは思う。

 命を狙われ崖から濁流へ飛び込み、川岸で狩人に襲われる。

 風呂で倒れ、湖で足が攣る。

 これだけあれば、もう十分だ。


 デクスターは、すぐに助けに来てくれた。

 抱きかかえられ、そのまま木陰へ運ばれる。


「どっちの足だ?」


「右足です」


 世話の掛かるヤツだな…と言いつつ、デクスターが足を伸ばし攣りを治してくれた。


「ありがとうございました」


「そのまま、少し休憩していろ」


「はい」


 また、足が攣っては困る。

 横になったまま、ジョアンは慎重に足の曲げ伸ばしを入念におこなう。


「ついでに、いま印を付け直してもいいか?」


「お願いします」


 起き上がろうとしたジョアンを制止し、デクスターが覆い被さってきた。

 彼の体は背面だけでなく、前面も引き締まっている。

 筋肉のない貧弱なジョアンの体とは雲泥の差だ。


 たくましい胸板に包まれながらの、優しい口づけだった。

 肌と肌の触れ合い。

 抱きしめられると、肌の温もりを感じた。

 冷えた体に熱がじわじわと浸透してくる。

 なんとも心地よい、安らぎの時間。

 ジョアンはゆっくりと目を閉じた。



 ◇



 口づけが終わったあともジョアンを抱きしめていたデクスターは、寝息の音に腕を緩める。

 ジョアンは穏かな顔で眠っていた。

 彼が、自分だけに見せる無防備な姿。出会ったころのように警戒はされていない。

 共に過ごすようになって、ひと月半。いつも傍にいるのが当たり前になっていた。

 彼は気を許してくれている。自分は信頼されている。

 そう思ったら、体の奥から喜びがこみ上げてきた。


 森で出会った、訳アリの少年。

 一目見たときから、強く惹かれるものを感じた。

 この気持ちは、特異体質の影響を受けているからだと思っていた。


 ───今までは


 最近は、胸を締め付けられるような苦しさを覚えることも多い。


「おまえは、俺を信用しすぎだ……」


 額に張り付いているジョアンの前髪を、手で横に梳かす。

 デクスターの銀髪とは違い、日に当たるとキラキラと光り輝く美しい金髪だ。

 形のよい唇に、軽く口づける。二度、三度、四度……

 それでも、この想いは満たされない。その次を、当たり前のように求めてくる。


(そうじゃない。俺が本当に欲しいのは───)


 いっそのこと、全部吐き出してしまいたい。思いの丈をぶつけてしまいたい。

 でも、結果を受け止める勇気は、まだない。

 だから、良き主として、特異体質の一番の理解者として傍にいる。

 

 背中に細腕が回る。気付けば、ジョアンに抱き枕にされていた。

 それに応えるように、デクスターも華奢な体を抱きしめる。

 先ほどまで冷え切っていたジョアンの体が、随分温かくなっていた。

 自分も、このまま眠ってしまいたい。

 愛しい者と一緒に、いつまでも……


 少々の葛藤のあと、デクスターはそっと腕を外し起き上がる。

 気候の良い季節とはいえ、このままでは風邪を引いてしまうかもしれない。

 ジョアンを抱き上げ、別荘へ歩いていく。


「……どこにも行かないでくれ」


 デクスターの呟きは誰に聞かれることもなく、湖からの風とともに消えた。


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