第11話 主と鈍感従者


「フ~ン、フフン♪」


 ジョアンは、離宮の執務室で書類の整理をしていた。

 複数の人間が出入りする王城の執務室では、一部の重要な書類は保管することができない。

 そのため、保管期間が過ぎるまではこちらの棚に置いておくことになっているのだ。

 日付がバラバラだったものを順番に並べ替え、次々と収納していく。

 ついでに、期間が過ぎていたものを適正に処分する。

 すっきりとした棚を眺め、ジョアンは満足げに頷いた。


「おまえ、最近ずっと機嫌が良いな?」


 執務机で事務処理をしていたデクスターが、顔を上げる。


「僕は、いつも同じですよ?」


「嘘をつくな! 鼻歌なんて、前は歌っていなかっただろう?」


「えっ、いま鼻歌を歌っていました?」


「自覚がないのか。これは重症だな……」


「…………」


 人の上に立つ者として、気分に左右されず常に冷静さを求められてきた。

 そんな自分が、あろうことか仕事中に鼻歌を歌っていたらしい。

 衝撃的な事実に、ジョアンは呆然とする。


「……仕事中に、申し訳ありませんでした。今後は気をつけます」


「別に、気を付けなくていいぞ。俺の前では、もっと伸び伸びしていろ。その方が、見ていて俺も楽しいからな」


「殿下は、僕に甘すぎます。他の人に、示しがつきません」


「おまえが、自分に厳しすぎるんだ。それに、おまえはきちんと切り替えができている。まったく問題はない」


「切り替え? 何がですか?」


「こっちも無自覚か。でも、これは嬉しいな。俺にだけ、素の部分を見せているということだからな」


 デクスターいわく、ジョアンは二人だけのときと他の者がいるときで、顔の表情や態度が異なるとのこと。

 皆の前ではきちんと取り繕い、鼻歌なんかもちろん歌わない。

 しかし、デクスターと二人だけのときは、たまにぼんやりしたり、鼻歌を歌ったり、感情表現も豊かになっているらしい。


「それって、喜んでいいのでしょうか? 主に対する言動ではないと思いますが……」


「それだけ、俺には心を許しているんだろう?」


 心を許す───


 ジョシュアのときは、心を許せる相手などいなかった。

 常に孤独で、周囲と上辺だけの関係を淡々と築くのみ。

 そのことに何の疑問も感じず、当然と受け止めてきた。


「殿下は、不思議なお方ですね」


 森で初めて出会ってから、もうすぐ二か月になる。

 あれだけ警戒をしていたのに、ずっと傍にいることが当たり前になっていた。

 毎日、印を付けられることにも。


「こっちに、来い」


「はい」


 日課である印をつける時間。

 王城ではなかなか二人きりになれないため、機会があれば必ずデクスターはしてくれる。


「俺の膝の上に座れ」


「えっ?」


「いいから、早くしろ」


 手を引き寄せられ、強引に座らされた。

 デクスターはすぐに口づけはせず、ジョアンの髪のにおいをクンクン嗅いでいる。


「おまえって、『人』なのに髪からも匂いがするよな。やはり、特異体質のせいだろうな」


「でしたら、短く切りましょうか? 少しでも、匂いを薄くするために」


 もともと好きで伸ばしていたわけではない。

 伸ばす理由もなくなった。


「切れば多少は違うかもしれないが、こんな綺麗な髪なのにもったいないな……」


「邪魔なだけですよ」


「だったら───」


 突然、後ろからギュッと抱きしめられる。


「───おまえの髪を、俺にくれないか?」


 声の調子が変わった。

 デクスターの動悸がかなり激しい。

 背中から心音が伝わってくる。

 いつもとはどこか様子の違う彼に、ジョアンは後ろを振り返る。


「殿下、大丈夫ですか? 僕の髪で良ければ、いつでも差し上げますから」


「…………ハア」


「どうしました?」


「……なんでもない。おまえに通じると思った俺が、悪いんだ」


「?」


 ジョアンはそのまま横抱きにされた。

 軽く触れるだけの口づけから、次第に深いものへ変わっていく。

 以前なら、朝だけ深くて、それ以外は軽い口づけだった。

 最近は、毎回ずっと濃密なまま。

 二人の長い触れ合いは続く。

 しばらくして、デクスターは顔を離した。

 

「記憶は、戻ってきているのか?」


「……そうですね。徐々にですが」


「記憶がすべて戻ったら、おまえは国へ帰るのか?」


「いつまでも殿下のお世話になっているわけには、いきませんからね。来月、婚約者選びのパーティーが開催されますし、いつでも出国できるように準備だけは進めています」


 デクスターの誕生日に合わせて、毎年パーティーが開催されている。

 例年と違うのは、それに婚約者選びが加わったこと。

 結婚適齢期を迎えたデクスターは、これから本格的に婚約者選びが始まるのだ。


「だからといって、おまえが出て行く必要はない」


「そうはいきません」


 特殊な事情があったとしても、ジョアンが男だったとしても、自分の婚約者が他の者と毎日口づけを交わしているなど、女性からすれば心理的に嫌な気分になるだろう。


 ジョアンは膝から降りようとしたが、デクスターが離してくれない。

 今度は、向かい合わせに座らされた。

 首筋に跡が残るような口づけをしているデクスターの顔を、両手で阻止する。


「これからは、唇以外への口づけはお控えください。大事な時期ですので」


 気を付けてはいるが、パーティー前に主に妙な噂が立っては困る。

 

「……じゃあ、見えないところへ付ける」


 どうやら、デクスターは意固地になってしまったようだ。

 唇を尖らせた表情が幼く見え、なんとも可愛らしい。

 でも、こうなってしまっては、どうしようもない。

 デクスターの機嫌が直るまで、ジョアンは好きにさせることにした。


 従者服の上着を脱がされ、白シャツの首元のボタンを外される。

 襟元から見えるか見えないかギリギリのところに、吸いつくような口づけをいくつも落とされる。

 くすぐったくて従者は身をよじるが、主がそれを許さない。

 

 満足したのか、ようやくデクスターは顔を離した。

 本当に襟元から見えていないか、後できちんと確認をしなければならない。

 ボタンを留めながら、ジョアンは心に留め置いた。


「来月で、殿下は二十歳ですか。王族なのにまだ婚約者がいらっしゃらないのは、やはり『番い』を重要視されているからですね」


「我が国は自由恋愛の国だからな、政略婚はほとんどない」


 国と国の結びつきを強くする手段は、政略結婚が圧倒的に多い。

 しかし、獣人は本能が求める相手でなければ、子孫を残すことはできないのだという。

 つまり、発情しないのだ。

 

 自分が特異体質と知ってから、ジョアンは獣人についていろいろと勉強した。

 『人』の想像以上に、彼らは番いを求めていた。 


「俺も、今まで何もしていなかったわけじゃない。番いを求めて様々な場に赴いてはいた。でも、出会えなかった」


「出会ったとしても、相手に頷いてもらえなければ番いにはなれないのですよね? そういう場合は、どうするのですか?」


「必死に口説くか、諦めるかの二択だ。ちなみに、兄上は十五のときに相手と出会い、必死に頑張って十八のときに結婚した。だから……俺も頑張る」


「国王…王太子陛下でも、そうだったのですね。殿下も望んだ相手と番いになれるよう、パーティーではぜひ頑張ってください」


「俺が頑張るのは、そっちじゃない……」


「何の話ですか?」


「……こっちの話だ」


 最後にジョアンの額に口づけを落とすと、デクスターはようやく解放してくれた。

 主が人知れずため息をついたことに、従者は気づかない。

 

 執務を再開したデクスターの横で、ジョアンも別の棚の整理に着手したのだった。




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