第9話 自由


 ジョアンが獣人王国へ来てから、ひと月が過ぎた。

 

 明け方に目が覚めたジョアンは、窓から外の景色を眺める。

 エンドミール獣人王国は、自然豊かな国だ。

 目にも優しい新緑が、心を癒してくれる。

 窓を開けると爽やかな風が吹き抜け、ジョアンの長い髪を優しく揺らした。

 とても気持ちが良い。

 大きく伸びをしながら、深呼吸をした。

 

(あの国に居たら、どんな気持ちで今日を迎えていたのだろう……)

 

 ───今日は、女王と結婚式を挙げる日だった


 物思いにふけりそうになり、慌てて頭を振る。

 今朝も、寝起きの悪い主を起こしに行かなければならない。

 ぼんやりしている時間はないのだ。


 式直前にジョシュアがいなくなり、その後どうなったのかは知らない。 

 別人に生まれ変わった自分には、もう一切関係のないこと。

 そう思ったら、思わず笑みがこぼれる。

 こんな清々しい晴れやかな気持ちで今日を迎えることができるとは、ひと月前には想像もしていなかった。

 

 ジョアンは窓を閉め、洗面所へ向かう。

 いつもと変わらない日常が、今日も始まる。



 ◇



「おまえは、ヤヌス王国を知っているか?」


(!?)


 デクスターからの問いかけに、ジョアンの心臓が大きく跳ねる。

 まさか彼の口から母国の名が登場するとは、思ってもいなかった。


「えっと……名だけは聞き覚えがあります。その国が、どうかしたのですか?」


 落ち着け!落ち着け!と、自分に言い聞かせる。

 ごくごく自然にさりげなく、デクスターの発言の真意を探る。


「今日は、女王陛下の結婚式なんだ。俺は兄上の代理で出席する予定だったが、参列が取りやめになった」


(そういえば、招待客の名簿にこの国の国王の名があったな……)


 思い返してみれば、獣人王国へも結婚式の招待状を送付していた。

 結婚式への参列をきっかけに、隣国ではない国ともこれから関係を深めていこうという思惑がある。

 慶事は、その良いきっかけとなるのだ。

 もう自分には関係のないことと記憶から抹消され、頭の片隅にもなかった。


「取りやめになった理由を訊いても、いいですか?」


「女王陛下の婚約者だった方が病に倒れて、回復の見込みがないらしい。それで、止む無く別の方と式を挙げられる。事情が事情なだけに、規模は縮小して身内だけで行われるようだ」


「そうですか……」


 式をどうするのか、重鎮たちの間で話し合いが行われたのだろう。

 ジョシュアが本当に病気であれば、延期になっていたはず。

 しかし、婚約者が式の直前に襲われ行方不明になったなど、国外はおろか国内にも公表はできない。

 外聞が悪いからだ。

 おそらく、ジョシュアはすでに死亡扱いになっていると思われるが、公表されるのはもうしばらく先。

 落ち着いてからだろう。


「もし予定通りだったら、おまえと一緒に行けたのにな……残念だ」


 デクスターは、初めて訪れるヤヌス王国を楽しみにしていたらしい。

 もし以前に彼と面識があったなら、特異体質のこともあり、すぐに身元が発覚していた。

 ジョアンはひっそりと胸をなでおろす。


「あの……女王陛下の新しいお相手とは、どのような方なのでしょう?」


「へえ~おまえも、意外に噂話が好きなんだな?」


「違いますよ! 各国の皇族や王族の情報を把握しておくのは、王弟殿下の側近として当然のことです!!」


「アハハ! そういうことか。さすが、できる男は違うな!」


「僕だけでなく、殿下ご自身も把握しておいてくださいね?」


「……しかるべく、善処しよう」


 デクスターは、ついと視線をそらす。

 する気がないのは、明らかだった。


「話が逸れたが、お相手は婚約者の従兄弟に当たる方だそうだ」


「従兄弟……」


(ということは、年齢的に考えてフレディだ)


 フレディはジョシュアの叔父(父の弟)の息子で、一つ上の十九歳。

 他家ではなく、公爵家の縁者を王配にすることで決着したのだろう。

 同じ家門からは、王配は一人しか選ばれないと決められている。

 これは、一つの家に権力が集中しないようにするため。


(フレディには申し訳ないが、これで僕は本当に自由の身だ)


 十八年間苦しめられた責任と重圧からの、完全解放だった。


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