宣戦布告

 全く予想していなかった位置からの氷の刃は、奴隷兵士達の背後に控えていた帝国兵の一人を殺傷した。


 帝国兵士は呻き声を上げて地面に倒れ、それを見た別の兵士が反射的に叫ぶ。




「何が起きた!」




 夕暮れ時の深い森、その木々や茂みの間から幾つもの小さな影が帝国兵達に迫る。その数は十数匹程度だが、それまでのゴブリン達とは様相が異なっていた。




「ご、ゴブリンメイジだ! ロードも!」


「メイジ? ロード?」




 すぐ傍で、カイが疑問を口にする。


 ゴブリン達の装備は先ほどのものよりも豪華になっており、何処かで手に入れたのか金属製の武器まで持っている。


 最奥には獣の骨や鳥の羽で着飾った、一際大柄のゴブリンが立っていた。




「ゴブリン・ロードを知らんのか?」


「教えてもらってないものを知るもんか」


「ゴブリン達を束ねる長だ。ある程度の規模の群れになれば、必ずあの手の統率する奴が現れる。そしてゴブリンはロードの元で戦いを学び、連携を覚え、魔法を操るものも出てくる」




 ゴブリン・ロードの前には二匹、手に木製の杖を持ったゴブリンが控えている。恐らくあのどちらかが、先程氷の刃を放ったゴブリン・メイジだ。


 そしてロードに率いられたゴブリンは、拙いながらも戦術を駆使する。殆ど戦意も見られない奴隷兵士達よりも、より強力な武装をした帝国兵達を優先して狙い始めた。




「くそっ! おい、俺を守れ!」




 茂みを掻き分けて、ゴブリン達が進軍する。


 小柄な体躯故にその速度は相当に早く、例えカイ達が本気で抑えようとしても取り逃がしただろう。


 ゴブリン・メイジの魔法が放たれ、浮足立っていた帝国兵達は体勢を崩した。そこに切り込んだゴブリンの兵士達によって、戦いは乱戦へともつれ込んでいく。




「おい! 奴隷兵士達は何をしている! 俺達を助けないと、処刑だぞ!」




 ジェレミーが叫ぶ。


 それを聞いたカイは、反射的にアシェンを見た。口には出さずとも咄嗟に彼女に指示を仰いだことを、彼はまだ気づいていない。


 そしてそれを見たアシェンは、満足そうに笑う。




「奴等と合流して、守ってやれ。最低限、戦ってる振りでもしていろ」


「振りって……俺はまだ……!」


「気概は買っておく、放っておいてもゴブリンは貴様たちのところに向かう。死人を出すなということだ」


「言われなくてもやってやるよ! で、お前は?」


「私か?」


「そうだよ、お前はどうするんだよ?」




 アシェンは笑った。


 灰色と呼ばれていた少女とは全く別人のような顔で、金色の目を愉快そうに細めて。


 視線がジェレミー達を射抜く。


 ずっと見えていた、彼等の背後に揺らめく闇。


 まるで憑りついているようなそれらがなんであるかを、アシェンは知っている。


 祈りを受けて、この世界に顕現した。


 世界を見て、その荒れように少しばかり驚いた。


 その原因の一端であろう闇を見て、確信した。


 で、あれば。




「くだらぬな、この世界は」




 アシェンの言葉の意図を、カイは理解できない。


 それでいい、別にこれは彼に対して掛けた言葉ではない。


 自分自身と、そしてこの世界を作ってしまった『何者か』に対しての宣戦布告だ。




「やることは決まった。この世界の理に従い、貴様等の道理に則り、成り上がってやろうではないか。この私が!」




 高らかに宣言する。


 その言葉の意図を誰も知る必要はない。


 ただアシェンと呼ばれている『彼』だけが、その決定に従って動けばいいだけのことだ。


 たったそれだけで世界は変わる。変えてみせると、アシェンは己に誓う。




「最初の敵がゴブリンというのは今一つ物足りんが。戦いの狼煙と思えばこんなものだろう」




 アシェンが地を蹴る。


 先程のゴブリンよりも遥かに早く、森の中を疾走した。


 その身体は瞬く間に帝国兵達に向かうゴブリンの背中に追いつき、異変に気付いて振り返るころには短剣で背中を刺し貫いて絶命させた。




「な……!」




 その戦いに、ジェレミーが驚愕の声をあげる。


 だが、アシェンはそんなことは気にしない。一瞥をくれることもなく、ゴブリン・ロード達の方へと視線を向けた。




「本来ならばゴブリンは焼き払うのが一番なのだがな。流石に森ごとというわけにもいかん」




 ゴブリン・メイジが杖を構える。


 突然現れた脅威にいち早く対処しようと、ゴブリンの言葉で呪文を詠唱しているようだった。


 杖の前に魔法陣が出現。そこから氷が生まれ、集まって刃を形作っていく。




「こんなものか」




 森の中を、旋風が走った。


 その凄まじい強風に、その場のアシェン以外の誰もが視界を奪われ、その凄まじさに尻餅をついた。


 少女の身体が構えを取る。


 それはまるで、不可視の弓と矢を構えているようなそんな姿だった。


 舞い上がる木の葉の間に見える、威風堂々たるその姿に、誰もが呆気にとられている。


 不可視の弓、風でできたそれを引き絞る。


 そのたびに渦を巻くように辺りの木の葉や枝が舞い上がり、本来はありえない風の流れが森の中に生まれていた。




「貫け!」




 そして、限界まで引き絞られたそれを放つ。


 目には見えない風の矢は、進路を塞ぐ数匹のゴブリンを貫き、太い木の幹すらも薙ぎ倒しながらゴブリン・ロードへと向かっていく。


 強大な暴風の塊の直撃は、凄まじい威力を誇った。


 複数の木を破壊し、着弾地点の地面を抉る。


 そしてそこにいたゴブリン・メイジは二匹とも四肢を千切られ、暴風に巻き上げられたかのように吹き飛んで辺りの木にぶつかっては嫌な音を立てる。


 直撃したゴブリン・ロードの被害はその比ではない。身体の中央を丸々抉られた、最早なんの死体であるかも判別できないそれが無残に辺りに飛び散っていた。


 彼等を率いるロードの、余りにも圧倒的な敗北。


 統率者を失えば、ゴブリン達は早々に勝ち目を失う。そうなれば中途半端な賢さを持つ彼等は、これ以上戦う理由はないとばかりに森の奥へと引っ込んでいくのだった。


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