灰色の願い
――誰かが泣いている。
その声は一つではない。
ふわふわとした繭に包まれた世界の中で、『彼』はその声に気がついた。
「……泣いているのは誰だ?」
ゆらゆらと、輪郭のない影が揺れる。
泣いているのは彼等だった。既に形も声すらも失った誰かが、今もなお嗚咽の声をあげているのだ。
何がそこまで辛いのか、悲しいのか。
涙を流し続けてまで生きなければならない理由は何か。
『彼』にはそれは理解できない。
ただ、それでも一つわかることがあった。
「やめろ」
声を掛ける。
泣いている者達には最早、『彼』の声は届かない。
――嗚呼、ここは恐らく記憶の中だ。
遠い昔に消え去った、風化した思い出の中でも彼等は泣いているのだ。
「何故泣く?」
問いかけには誰も答えない。
次第にゆらゆらと揺れる影の幾つかが、輪郭を取り戻していく。
それはやがて、見覚えのある姿へと変わっていった。
「お前は」
そこにいるのは、今の自分と同じ姿の少女だった。
アシェン、灰色と呼ばれていた憐れな少女。
誰の目にも触れることなく、理由すらもわからず男達によって奪われた生命。
「ありがとうございます。あの子を、エリンを守ってくれて」
灰色の少女が、礼を告げる。
「貴様にとってのエリンはなんだ?」
「お友達です。エリンだけがわたしに優しくしてくれました、わたしにはエリンだけがいてくれました」
「それだけか?」
たったそれだけの望みを抱いて、死んだというのだ。
なんと憐れな話だろう。愚かな願いだろう。
いっそ世界への呪詛でも吐きながら死んだ方が、まだ理解できた。
だが、それでも灰色の少女に悪意の色は見えない。後悔もなく、自分の運命を受け入れて真っ直ぐにこちらを見ていた。
「それだけです。それだけが、わたしの世界の全てでしたから。……だから、貴方が優しい人で本当に良かった」
そんなはずがない。
いいかけたところで、世界が変わった。
二人だけはそのままに、まるで壁紙が剥がさせるように辺りの景色が変化していく。
崩れ落ちた瓦礫の山、横たわる数多の死体。
既に動かない母に縋りつく子供、冷たくなった子供を抱きながら彷徨う父親。
かつてそんな世界があった。
『彼』はそんな世界を見ていた。
「貴方はその世界が許せなかった」
「そうだ、そんなくだらん世界を壊したかった。だから私は――」
「なら、貴方を信じます。貴方がこの世界を壊して、エリンが幸せに生きられる場所にしてくれるって。……それがわたしの、灰色の願いです」
それが灰色の少女の最期の言葉だった。
まるで塵になるように、少女の身体が消えていく。
その最後の意思を噛みしめるように、彼女が完璧に消えてなくなってしまうまで、アシェンは黙ってそれを見届けていた。
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