機会
翌日の奴隷地区は、妙な慌ただしさと嫌な空気に包まれていた。
「早く起きろ!」
怒声のような声で薄っすらと目を開けると、そこにいたのはいつものエリンではない。彼の父親だった。
つまりはカイの父親でもある男は、確かにあの少年の面影がある。鉱山労働で鍛えられた立派な身体を持ち、奴隷地区に暮らしている者の中では数少ない、目の輝きを失っていない人物だった。
そんな彼だが、アシェンへの扱いはいいものとはいえない。食事を持っていく際にもいつも嫌な顔をしてこちらを睨んでいる。
起こしてから言葉一つ掛けることなく、彼は出ていく。
何事かわからないアシェンは取り敢えずマイペースにのっそりと起きて、簡単に身支度を整えてから寝床から這い出していく。
奴隷地区には中央に広場がある。もっとも広場とは名ばかりの、単純に小さな木製のステージがあるだけのスペースではあるが。
奴隷達は広場に集められて、全員が不安そうな顔でステージを見つめていた。
その上に立っているのは恐らく、この国の貴族だろう。小奇麗な貴族服を身にまとった若者が、嫌味な顔で奴隷達を見下ろしていた。
彼の周囲には鎧を着た兵士が四人ほど控えており、まるで威圧するような空気を放っている。
「アシェン」
人の群れに近づいていくと、エリンが腕を伸ばしてくる。
そのまま輪の中に入れられ、一緒になってステージの上を見ることになってしまった。
隣にはカイもいて、何やら神妙な顔つきをしている。
「エリン、こいつらは何者だ?」
「しっ」
慌てて口を塞がれた。どうやらこの程度の軽口すらも聞かれてはまずい相手ということらしい。
「えー、ごほん」
貴族の若者、恐らくは成人したてぐらいの年齢の男が軽く咳払いをする。ブロンドの髪をした、何処か捻くれたような顔つきの男だ。
「やあ、諸君。ご機嫌は如何かな? 頭の悪い奴隷達でも、流石に俺のことは覚えているだろう?」
そういって一番先頭の奴隷に視線を向けると、向けられた人物は一生懸命に首を縦に振る。
「ああ、そうだ。俺はジェレミー。ジェレミー・ディオール。偉大なる帝国貴族の一人だ」
まるでショーでもしているかのような態度で男が名前を名乗る。奴隷達はそれに合わせて、どう反応していいのか困っている様子だった。
「さて、帝国貴族たるこの俺がきた理由はもうわかっているだろう? ここから西にある森の中にゴブリンの群れが発生したとの知らせが入った。このままでは近隣住民に被害が出る。俺達の愛すべき、帝国国民にな」
奴隷達の間に緊張が広がっていく。彼等はどうやら、これからジェレミーが何を言うのかもわかっているようだった。
「そこで奴隷諸君、君達に力を貸してもらいたい。愛する帝国国民のためなのだ、奴隷である君達が断る理由はないだろう?」
当然、ジェレミーは奴隷達の返事など待ちはしない。尋ねているように見えても、奴隷を徴兵するのは彼の中では決定事項なのだ。
「なぁに、別にただ君達を死地に送るわけじゃあない。武功を立てた者には褒賞が与えられるし、上手くいけば帝国国民になることだって不可能ではない」
そこまでいっても、誰もジェレミーの言葉に盛り上がることはない。
「何が武功だ……! 碌な武器もなく、ゴブリンの巣に放り込むだけの癖に」
隣で、カイが小声でそういった。
「なんだぁ、ノリが悪いなぁ。まあいいさ、それじゃあ今回も志願兵を募るとしよう。手を挙げる者はいるか?」
誰もが黙って、ジェレミーからは目を逸らす。
まともな体力も残っていない奴隷地区の者達がゴブリンと戦って生き延びれる確率は、大人の男でも五分と言ったところだ。女子供や老人は、まず死ぬだろう。
「ふぅーん。帝国貴族たる俺が直々に声を掛けているのに、誰もが手を挙げないのか……それなら、こっちで適当に見繕っていくぞ」
その言葉にも誰も反論することはない。
恐らくこの行事は今に始まったことではなく、この奴隷地区では定期的にやってくることなのだろう。
そのたびに貴族が適当に選んだものが奴隷兵士として連れていかれて、ゴブリンに無残に殺される。
誰もが必死に目を逸らそうとしているなかで、真っ直ぐに手を挙げるものがいた。
「その褒賞ってやつが本当なら、俺が行きます」
「兄さん……!」
唖然とした顔で、エリンがカイを見る。
カイは真っ直ぐに、睨みつけるような勢いでジェレミーを見ながら高らかに宣言していた。
そして表情を崩し、隣にいるエリンに声を掛ける。
「大丈夫だ。あいつも、俺ならそんなに悪いようにはしないだろう」
「お前か……まぁ、いいだろう。子供用の装備を用意しておいてやる」
それからはしばらく、ジェレミーによる一方的な徴兵が始まった。
数人の健康な男。
それから怪我をしている者や老人。
戦力になりそうにないものまで無差別に徴兵していることから、恐らくは戦力として扱うつもりもないのだろう。
「さて、最後に……女子供だな。これは父親に選ばせてやろう」
今までで最も醜悪な笑みを浮かべて、ジェレミーがそう言い放った。
周りの兵士達も兜の下から、嫌な笑い声を響かせている。
「……なるほどな」
事の成り行きを見守っていたアシェンは、話の全容を理解した。
これは戦力を求めての徴兵などではない。奴隷地区の食い扶持を減らしつつ、奴等貴族が楽しむためのショーの出演者を募っているのだ。
だから最後に、最も悲鳴をあげそうな女子供を選ぼうとしている。
家族が娘や子供を選んで死地に送ることから既に、彼等にとっては娯楽なのだ。
そこまで考えていて、ふと視線が自分に集中していることに気がついた。
誰もが心の内でそう思っていながら、恐らくはエリンとカイが傍にいることで口には出せないのだろう。
下手なこと言ってカイの気分を害して、彼が奴隷兵士にならないと言い出せば、今度は自分が家族が連れていかれかねない。
「ふんっ」
そんな彼等の奴隷根性に、呆れつつも笑いが零れた。
人間とはそうでなくてはならない。
そのぐらい愚かだからこそ、導いてやる理由というものができる。
そして愚かな人間達の先頭に立つには、その資格を見せつけてやる必要があるのだ。
「私が行こう」
手を挙げ、ジェレミーを金色の瞳が睨みつける。
その一瞬、彼が灰色の髪をした小娘に対して怯えのような表情を向けたことを、アシェンは見逃さなかった。
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