第5話 黒曜の剣

     5.黒曜の剣


「私も……そこそこ、異対が長いものでね」

 エレスは少年のナイフを、左手に装備したトンファーでぎりぎり防いでいた。

 五良虎が横から殴りかかるも、少年は死角からの攻撃にもかかわらず、見えていたかのように、大きく飛び退く。最早その動きは人のそれでなく、眼球すら明後日の方を向く。

「くそ! 急速に浸食がすすんだか……」

 五良虎も、先ほど鳩尾を突いたことを後悔する。生きる希望を失った者は、容易に刹鬼につけこまれる。

 少年は怪しく目を細める。するといきなり走りだし、ベランダからそのまま外へと飛びだしていた。


 慌てて三人が駆け寄って下を覗くと、少年は背中から生えた甲殻類のような長い脚を、ところどころマンションの壁に引っかけて、速度を落としながら落下し、地面に無事たどりついていた。

「追うわよ! あなたは異対に連絡!」そう叫ぶと、エレスと五良虎は駆けていってしまった。

 亜土内も惨劇の部屋にのこされ、困惑する。連絡……? 携帯電話すらもっていないのだが……。ふと、母親のにぎりしめるスマホに気づいていた……。


 そのころ、エレスと五良虎は駐車場までやってきた。

 刹鬼の浸食が高まり、顕在化したことで、その気配が強くただよっている。逃がすはずもないけれど、逆にそれは誘いにも感じられた。

 むしろ、刹鬼は逃げることもなく、駐車場で待ち構えていた。両手にはナイフをにぎり、背中から身長を超えるほどの長い脚を四本生やし、それが二人を誘いこもうと手招きする。


「土蜘蛛……ですかね?」

「楽な仕事……ではなさそうね」

 エレスはトンファーを握りしめた。彼女は打撃を得意とするけれど、それではこの駐車場で、大暴れすることになる。いくら深夜といっても、街中で車が何台も壊れたら大騒ぎだ。

「オレがやりますよ」

 五良虎は手にした日本刀を、すらりと抜き放つ。

 刀身は街灯の明かりで漆黒に輝くも、打製石器のように凸凹するが、鋭く研ぎ澄まされていた。

 五良虎はすーっと目を閉じる。すると土蜘蛛が襲いかかる前に、それを通りこしてその脚を二本、斬り落としていた。


 土蜘蛛も驚いた様子だ、五良虎は少し距離が開いたことで、とりだしたバンダナを顔に巻く。

 彼は盲目でたたかうつもりだ。

 脚を斬られても、土蜘蛛はすぐにそれを再生する。でも、少年はそうするたびに痩せこけ、本体が弱っていくようだ。

 しかし狂気は高まった様子で、五良虎をめがけて襲いかかった。

 五良虎は力まず、すっと立ち尽くしたまま、タイミングよく、その漆黒の日本刀をふり抜いた。

 一刀の下で、四本の脚を根元から斬り裂く。しかもその傷口が凍りつき、再生することもできない。

 少年はもがき苦しみながら、やがて動かなくなっていた……。


 エレスはその様子を見下ろして、スマホを手にとった。

「事変T135、鎮厭しました。……はい、残念ですが……。周辺の情報封鎖をお願いします。……えぇ、荒事になりました」

 ちょうどそこに、亜土内が追いついてきた。

「死んでいる……?」

 亜土内はそこに倒れている少年を見下ろす。背中には大きな火傷を負ったような、皮膚の爛れた傷跡がのこり、一部は凍傷のようになっていた。切り離された甲殻類のような細くて長い脚は、まるで地面に落ちたアイスのように融けだして、形状を失いつつある。

 最初にみたときも細身で神経質そうな印象をうけたが、今はもう飢餓で死んだ者のようだった。


「刹鬼に精神を侵食され、度合いが高まると形状すら変容する。そうなったら、もう戻れない」

 エレスがそう語った。顔を上げた亜土内は、無表情で応じた。

「オレは別に、彼が死んだことを厭う気持ちはなよい。ただ両親がいて、妹がいて、オレと同じ家庭環境だったのに、何でこんなことを……って思っただけさ。オレよりよほどよい暮らしをしていたのに……」

「暮らし向きは関係ないわ。ストレスに脆いのはどの動物も同じ。うまくそれを昇華し、解放しないと暴発し、事件を起こす。刹鬼とは関係なくね。偶々、彼はつけこまれただけよ」

 亜土内は「オレも……」と、心の中でつぶやく。両親が宗教にはまり、家庭を顧みなくなり、植物人間となった妹との二人暮らし。貧しくて、心が休まる暇もなく動きまわっていた。

 だけど、ストレスがない……?


 誰にも相談できず、たった一人……。たった一人……? 一人?

 誰か、オレの傍らにいて、話し相手になってくれた存在が、いてくれたような気がする……。

 孤独だったオレに、寄り添ってくれた何か……。

 思いだすこともできない。心にぽっかりと……、記憶に何らかの欠落があるような気もする。

 ただ、それを思いだそうとすると、心が温かくなる気もするけれど、それが何かは思いだせない。

 どうして忘れているのか? オレはどこかで、大切な何かを失ってしまったのかもしれない……、

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