第4話 刹那システム
4.刹那システム
「説鬼がとり憑いて、祓えないとどうなるんだ?」
ちょっと粗い運転に耐えつつ、後部座席から亜土内がそう訊ねる。
「依り代……とり憑かれた者をそう呼ぶけれど、依り代を殺すしかないわね。刹鬼は精神にとり憑く。引き剥がすのは大変よ。とり憑いたままだと、悪事を重ね、どうせ重罪人として余計されるだろうし、殺せばその罪は逃れられるし……」
ハンドルをにぎりつつ、エレスが淡々と応じる。助手席には五良虎がすわり、日本刀を抱える。
「人権派を称する弁護士は『本人と関係ない』や『悪魔による仕業』と、無実を叫ぶでしょうね。でも、刹鬼は人の願望、意志、趣味、嗜好を増幅し、体現させる存在。それはもう本人の特質よ。気の迷いや、一時の感情の暴走、誰かに操られ……なんて話ではない。だから祓うのは難しいし、仮にできたところで精神がバランスを崩してしまうだけ……」
「オレは、人殺しは……」
亜土内がそう躊躇うと、助手席の五良虎が「腰抜けは去れ!」と小さいが、ハッキリと嫌悪を吐いた、
「こらこら。本音は慎むものよ、五良虎君。それが大人ってものでしょう? ここは給料もいいけど、新人がすぐに死ぬ。人殺しだから……と躊躇えば、それはあなたを殺す。あなたは歓迎会をするまで生き残れるといいわね」
エレスはそういって、バックミラー越しに微笑むが、こんなに怖い、つくりものでない笑顔を久しぶりにみた。
黄福のミチシルベの信者たちは、いつも貼り付けた仮面の笑顔を浮かべ、距離感を失った近さでもって、耳障りのいいことを囁いてきた。
人を騙そうとする人間のそれだ。今のそれは、本音自体が怖いものだった。
「オレは……オレが死んでも、妹の面倒をみてくれる人がいるなら、それでいい。今までそう思って生きてきたから……」
オレがそう語ったとき、二人が意外そうな顔をしたことを、オレは知らない。
行政機関に何度もかけ合ったが、オレがいると行政は動かない、そう言われて追い返された。オレが死んだら? そう訊ねたら「親後さんがいますよね?」と念をおされた。
宗教、特に黄福のミチシルベが関わると民事不介入――どころか、行政は関わりを
嫌がる……と、大分後で知った。育児放棄を訴えたら、それを証明しなさい、とまで言われた。
だから、オレは生きることにした。妹のために……。両親があの施設で他の信者とともに死んだ今、オレが死んだら行政も動いてくれるだろう。それを異対が代わってそうしてくれるなら、それでもよかった。
妹が生きられるなら、もうオレが生きる意味なんてないのだから……。
「今日は楽な仕事。新人研修としては悪くないかもね」
エレスは「新人嫌いを克服するのにもね」と、助手席に語りかける。
「嫌ってないですよ」と、ぶっきら棒にそういって五良虎は口を尖らす。ととのった顔立ちをするだけに、年齢は分かりにくいけれど、その態度からするとまだ若いようだった。
「今日の事変を説明しておくわ。両親を殺すことになる高校生にとり憑いた、刹鬼を祓う」
「待ってくれ。殺すことになる……って、これから?」
「刹那システムというものがあってね。少し先の未来だけど、確定すると、知らせてくれるのよ。大雑把なことしか分からないし、刹鬼に関することしか伝えてくれないけれどね」
刹那システム――。最強のように思えた。
車が真新しい高層マンションの前で止まった。防犯システムのあるエントランスのドアも、難なくタッチキーで解除する。どうやら異対の特権らしい。エレベーターで上層階へと向かう。そこは成功者だけが暮らすところ……。
彼らがエレベーターを降りると、パリンッ! と何かが割れる音がする。
エレスは迷うことなく、鍵のかかっていない玄関のドアを開けた。
すぐそこに少女が前のめりで倒れていた。中学生? ただ、形状すら不確かとなるぐらい、全身を無残に斬り裂かれている。逃げようとここまで這って来て、コト切れたようだ。
先へすすむと、広いリビングには両親が血まみれで倒れていた。
警察に通報するタイミングもあったはずだ。でも、息子が暴走した……そんな家庭の恥部をさらすことを怖れたのか? 母親はスマホを握りしめたまま死んだ。父親は息子を抑えようと格闘し、腕は傷だらけ。二人とも顔面を中心に刺されており、頭蓋骨は陥没する。
そんな血の惨劇の中、立ち尽くす少年がいた。返り血で真っ赤に染まり、その顔には恍惚とした笑みが浮かんでいた……。
これが、刹鬼のとり憑く者の姿――。
亜土内も愕然とする。その表情はあの日、磔にされたオレをみて興奮し、愉悦を感じていた信者たちと同じそれだ。
「優等生だった彼が、ある日突然キレる。魔がさした……まさに、刹鬼がとり憑いたのよ」
すると、エレスを目がけ、少年が手にした包丁で襲い掛かってきた。
ただ、すっと前にでた五良虎が、日本刀を抜くことなく、その柄で腹を一突きすると、意識を失ってしまった。
「まだ浸食が浅い……。すぐ堕ちそうですね」
五良虎はそう冷たくつぶやく。憑きものが堕ちたところで、両親と妹を殺した罪を逃れることはない。
いい子を演じていた。自慢の息子だった。そう思われることが幸せ……そう感じていたけれど、心は蝕まれていた。ストレスが徐々に溜まっていき、ここで暴発してしまった。
ストレスをかけてくる相手を除外することで、心のバランスを保とうとした。その心の隙に、刹鬼がとり憑いた。
彼は憑きものが堕ちたところで、このまま生きていて幸せか?
その判断を下す術もない。でも、彼が為したことは、彼一人で責任を負えるものではない。
そのとき、意識を失っていた少年の目が、ぱっと開く。ただそれは黄色く染まり、眼球がぐりんと上をむく。
「エレスッ!」
不意に立ち上がった少年が、ナイフを手にエレスに飛び掛かった……。
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