第8話

「ひゃっほ〜〜い! このブラシすっごい汚れ取れる! 冴島くん見て見て〜〜っ!!」

「朝凪さんそんなはしゃぐと転ぶぞー! ったく……」


 結局、朝凪さんは「掃除を手伝う!」と言って動きそうになかったので手伝ってもらうことにした。

 プールを掃除するにあたってもちろん靴や靴下は抜いているのだが、朝凪さんの綺麗な生足が眩しい……。


:えっちなんだなぁ……

:邪な目で見るじゃないぞ

:目ぇ潰すぞテメェ!

:青春だね

:俺たちには眩しいよ

:人間になれたらこういうことしてみて〜

:眼福です


「にしてもこのブラシすげぇな」


プールニキ:喜んでもらえて何よりだよ


 このブラシはプールニキが用意してくれたもので、プールの底にこびりついた藻が一瞬にして取れる優れものなのだ。

 掃除好きの人は喉から手が出るほど欲しくなるだろうというほどの力である。


 その妖精の道具の甲斐もあって、昼休憩が終わる頃には掃除が完了しそうな勢いだ。


「へいへ〜い! 冴島くん掃除ちゃんとしてるー?」

「してるって。それよりやっぱりそんなに走ると――」


:【¥1500】そんなに走ると転ぶぜ〜?


「きゃっ!?」

「危ない! ぐえっ」


 ――バシャンッ!!


 すぐ目の前で朝凪さんが足を滑らせ、なんとか支えようとしたのだが俺が下敷きになって大きな水飛沫が舞う。

 ぐっ……これが朝凪さんの重み……ッ。っていかん、気持ち悪いことを思ってしまっている。


「ご、ごめん冴島くん! 大丈夫……?」

「ああ、大丈夫だ。……制服はダメそうだが……」

「うぅ……ごめんね……。お礼したかったのにまた迷惑かけちゃって……」

「いんや、別に……――って、朝凪さん、前!!」

「へ? ……あっ」


 水飛沫が制服に付着し、張り付いていた。それだけではなく、【透過診断】を使うまでもなくは透けて見えてしまった。

 すぐに気がついた朝凪さんは顔を薔薇のように赤くして腕で隠す。


「え、えっと……」

「その、なんだ……。そういうことだから、まぁ朝凪さんが転んだことは気に病む必要はないぞ?」

「…………。冴島くんのえっち」

「うぐふ」


:喜んでますやん

:くッ……! ファインプレーだ!!

:ナイスパww

:プール掃除での定番だよなァ!!

:これがなきゃやってらんねーですよ

:奏多、どれだけ罪を重ねれば気がすむんだ……

:素直にスタンディングオベーション

:スパチャしたやつに褒美を持ってこーい!


 うん、今回ばかりは妖精たちに感謝しておこう。透過で見た時も良かったが、やはり水で透けてみるというのもまた良かった。

 その後は互いに後ろを向きながら、黙々と掃除を進める。


「……そういえば、プールニキはなんで掃除してほしいって言ったんだ?」


 掃除の最中、素直に疑問に思ったことを質問してみた。


プールニキ:つまらないよ?


「妖精の話がつまらないわけないだろ。あー、話したくなけりゃいいけど」


プールニキ:いや、手伝ってもらってるんだから話すよ。あれは今から十年くらい前のことだったね――



 # # #



 僕はもともと、このプールサイドから湧いて生まれた妖精だった。

 あまり大それた力を持っていなかったから、このプールサイドから出ることはできなかった。けれど、もともとここが好きだったからそれで良かったんだ。


 夏になったら子供達がはしゃぐ姿を見て、泳げない子がいたらちょっとした手助けをしたりしてた。

 春秋冬はとても暇だったけれど、それでも心地いいという気持ちが勝るほどにここが好きだ。


 ただある日、プールに雷が落ちてしまい、故障し、使われなくなってしまった。子供達はここに来なくなってしまい、次第に汚くなっていったんだ。


 プールが使われなくなってから何年か後のとある春、一人の女の子が入学してきた。黒い髪と花の髪飾りをつけていた子だったよ。

 名前は……最後までわからなかった。ただ、泳ぐことが好きで、誰よりも優しい子だった。


『うわ! このプール汚いなぁ……。せっかく良い昼食スポット見つけたと思ったのに〜!』


 奏多キミと同じく、昼ごはんを食べる場所を探していて、プールの掃除を始めたんだ。

 ただこの時の僕は掃除の手助けができなくてね、その子は何日もかけて掃除をしてくれたよ。


 毎日毎日来てはブラシを動かし、汗を流し……。

 そしてとうとう掃除が完了した。


『ふぃ〜! これで気持ちよく弁当食べれるよ』


 僕が好きだった頃のプールに変貌していた。

 届かないとわかっていても、感謝は伝えずにはいられなくて『掃除してくれてありがと』と叫ぶ。そしたらなんと、


『え!? 誰かわかんないけどどういたしましてー!!』


 返事をしてくれたんだ。

 心があるかわからないけど、ずっと一人ぼっちだった僕の心が満たされた感覚がしたよ。


 それからと言うもの、昼ごはんを食べる時は見えもしない僕に向かって話してくれるようになった。


『あの先生がさ〜!』


『川で泳いでたら怒られちゃってさ』


『うち貧乏だし、何も買えなくてさ……』


『ここから出られないの』


『親が蒸発してね……』


『海、見てみたいなぁ』


 泳ぐことが好きな彼女はとても貧乏で、生まれてから一度も海に行ったことがないと言っていた。

 悲しそうな顔をしている彼女は今でも覚えている。


 ただそんなある日、嬉しそうにこう言ってきた。


『実は明日ね、友達のお母さんが車で海に連れてってくれるんだ〜!!』


 ようやく報われたんだと思い、僕も嬉しくなった。


 ――ただそれ以降、彼女はここに来なくなった。


 海に魅せられ、こんなところもういらなくなってしまったのかもしれないと思った。だが、風の噂で聞いてしまったんだ。


 彼女は――と。


 僕がこの場から動くことができれば、僕にもっと力があれば、その厄災から防げたかもしれないのにと、ただただ嘆いた。



 # # #



プールニキ:僕ももうそろそろ彼女と同じ場所に行く。だから、最期に彼女と見た最高の景色をもう一度見たいと思ったんだ


「…………。そう、か」


プールニキ:ごめんね、暗い話になって


 掃除をしながら話を聞いていたが、思っていたより重い話が耳に入ってきている。

 果たしてその妖精があの時見た景色を再現できるだろうか、と思った。


「冴島く〜ん! あと洗い流したら終わりじゃないかなー!」

「ああ、そうだな」


 俺はプールサイドに上がり、ホースを手にとってプールの中に水を撒く。藻が流れ、綺麗な床が露わとなる。

 隣からは「おぉ〜!」と感嘆の声が出ていた。


:キレイキレイだな!

:よくこんな短時間で終わったな……

:さて、と

:ニキ?

:あの時見た〝最高〟は、今目の前にあるか?


 チラリとコメント欄を見て反応を伺う。


プールニキ:あぁ……本当に、最高の景色だよ。ありがとう、冴島奏多くん。本当に、心の底からありがとう……!


 キラリと空が光ったと思えば、そこから何かが落下して頭に直撃する。


「いてっ!! ……鍵? ここのやつか」

「古そうだね。えへへ、もらっちゃう?」

「そうだな、俺たちだけの秘密にしようか」

「うん!」


プールニキ:お礼の鍵さ。それと、最後の力で君に加護を渡すよ。〝夏渚なつなの青さ〟。リラックスしてると、海の漣の音が聞こえたり、聞こえなかったりする加護だよ。じゃ、僕はそろそろ行くね


「…………。元気でな」


プールニキ:ふふ、それはこっちの台詞だよ。君たちの幸運を祈ってるよ――


 ……その後、体操服に着替えた俺たちは教室で質問責めにあったがなんとか乗り越える。

 疲れがたまっていたからか、授業中に眠って夢を見た。


 ――ザザーン……ザザーン……


 青い海に青い空、白い砂浜。

 その波打ち際で、花の髪飾りをつけた黒髪の女の子と、光の粒で形成された人型の何かが楽しそうにはしゃいでいた。


 誰かはわからないが、そいつがちゃんと笑っているか気になった。もっとよく見たいと思い、目を見開くと……。


「ん……」


 教室だった。

 夢から覚め、次第にどんな夢を見ていたか朧げになる。ただ、良い夢だったという気持ちは残っており、漣の音は耳の中でこだましていた。


 あくびをして先生の話を聞こうとシャーペンを握ろうとしたのだが、隣から小声で話しかけられる。


「ねぇねぇ冴島くん」

「ん?」

「実は私もうとうとしてたんだけどね、なんだか綺麗な海の夢を見たの。私、海のない田舎で生まれたから海を見たことなくってね? すご〜く嬉しかったの!」


 思わず瞠目した。そして、質問をしてみた。


「……海、行きたいか?」

「うん。いつか行きたい」

「じゃあ、一緒に行くか?」

「え――行きたいっ!!」


 思っていたよりあの妖精に感情移入してしまっていたらしい。

 朝凪さんを一人で海に行かせたくないと思っていた。幸い俺は動くことができるし、ちっぽけだが力もある。


「じゃあ約束しよっ」

「いいけど」


 俺たちは机の下で指切りをした。

 この繋がりはちぎれないように大切にしたいと、とても自分らしくないがそう感じていた。

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