第107話

「なにその掛け声。」

「う、うるさいな」

「普段見れない星來が見れて楽しいかも。」 

「でしょ?ふふ。」



幼なじみの朱朗よりもずっと慣れ親しんでいるはずなのに、まだ知らない彼女がいる。あのクズ俳優はもうこんな無邪気な彼女をずっと前から知っているのだろうか。



ふと、そんなことが一弥の脳裏をよぎる。



「あ〜……手球まで落ちちゃった。」 


「下手すぎて話にならないや。」


「もう。今日の一弥、優しくない!」


「優しくしてほしいの?」



一弥が星來の髪をとかすように、内側から手で流していく。反対の手は星來の頬に沿うようにしてつかまえる。



「ちょっ」

「大丈夫。唇舐めるだけ。」 

「だめ、だって、」

「なんで」



星來が一弥の手をつかみ、手を顔から離そうとする。少し困ったように。でも、固い意志を感じさせる瞳で、一弥をつき離した。



「キスは、朱朗だけのものって決まってるの。」



固い意志なんて綺麗事とは、真逆の言葉。星來は、どんなに残酷な自分にでもなれる気がした。朋政朱朗を好きでいるためならば―――朱朗よりもクズになれる。



「……」



何度も聞いている言葉。彼女とクズ俳優の間に交わされた不可侵条約。



自分のキスが許されないのは、不公平だ。



しかしこうして不意をついて奪いにいけない自分もまた、彼女に深く溺れているのだ。



溺れる魚のように。エラ呼吸が当たり前の生物でも、どうにもならない深海の底がある。



酷く空気の薄い君の隣。当たり前に君の隣をキープしていても、こんなにももがいてもがいて。苦しくて仕方がない。



残酷である君を好きな僕は、クズと呼ばれる彼よりも滑稽なのだろう――――……

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