第85話
慌ててボタンをはめながらも、そっと朱朗の背中に怪訝な目を向ける。
そして玄関のドアを前に、ようやく振り返った朱朗。しかし不審に睨む星來には興味なさげに、軽々しく帰りの挨拶をするのだ。
「じゃ。また大学で。」
「……お、遅いし、朝帰ればいいのに。」
「みつきちゃんから連絡きたから。」
「……え?」
「みつきちゃんからお誘いの連絡来たから、行くわー」
「…………」
あ、そう。
なぜかそれが言葉にならなかった。
朱朗が玄関棚に置いた帽子を被り、マスクをする。最後にサングラスを手にして、何の余韻も残さず星來の家から出て行った。
映画の公開を間近に控えている朱朗。さすがに女優宅の朝帰りはまずい。まだひと目のない深夜の方が帰りやすい。
女優との不貞がスキャンダルになるのに、大学の後輩であるみつきちゃんとの不貞なら問題はないというのか。
勝手に来て、勝手に帰る朱朗。
むかついた星來は、リビングに戻るとキッチンの下から梅酒のパックを手に取り、冷蔵庫のトマトジュースで割る。
明日はフリーだし、顔がむくもうが身体が重くなろうが関係ない。
もし自分が一般人なら、ここで当て馬にすぐ電話をして、憂さ晴らしのセックスでもするのだろう。でも自分は清純派女優。朱朗のようなオープンクズにはなれやしないからブラッディ梅酒に頼るしかないのだ。
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