第26話

心臓が爆音を鳴らす中、星來には何が起こっているのか分からない。



あまりの緊張で、後ろを振り返ることも出来なかった。



キャーという声援が何重にも重なる頃には、座り込む星來を覆う影があって。 



星來が、まだ涙のたまらない瞳でその影を見上げる。


 

そこには―――――……



自分を見下げる朱朗の姿があった。



革のキャップを被り、その表情は大画面スクリーンでないときっと分からない。



しかし星來は、初めて見る朱朗の表情に背筋を凍らせた。



無表情で、非情ともとれる顔。自分をあたかも馬鹿にするような朱朗の表情が、キャップで影をつくり闇をまとわせている。



7歳の“かわいい”ばかりを発言していた朱朗じゃない。12歳の、嫌いと言ったら泣いてしまった朱朗じゃない。星來から見てもまだまだ子供で、かわいい朱朗はどこにもいない。



「(ああ、この顔。きっと私のこと、嫌いだっていってる顔だ。)」

 


頭の回転が早い星來はすぐに悟った。きっと、わざと私を転ばせるためにシューズを隠したのだと。



朱朗がハンドクリームなんて使っているのを見たことがなかったのに。きっと私を転ばせるためにシューズの裏に塗ったのだと。



昔の自分だったら、悔しくて仕方がなかっただろう。





朱朗がキャップのつばを持ち、後ろに回して、星來にその表情を見せた。



「可愛いプリンセス、わたしと一緒に歩いていただけますか?」



さっきまでの闇のある表情から一転、優しい柔和な笑顔で膝をつく朱朗。星來に向けて、左掌を上に向け差し出す。



星來は辛くなった。本当は泣きたくて仕方がなかった。



なぜならリハの日、朱朗にロビーで関節キスをされたあの日、朱朗のことを好きになってしまっていたから。



映画やドラマで上手くいく恋も、上手くいかない恋も、もっとずっと長く濃いものだと覚悟していたのに。



恋とはこんなに短命なものもあるのか。一週間も経たずして、振られるなんて……。



自分の何がいけなかったのか。走馬灯のように思い浮かべてみれば、嫌われる要素しか思い当たらない。



なんであの時、ノリでいいから婚姻届にサインしなかったのだろう。なんであの時、冗談でも嫌いなんて言ってしまったのだろう。今になって後悔ばかりが襲う。

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