第6話巫女の覚醒

宜野湾の静かな朝、彩菜はふと目が覚めた。昨夜見た夢が、まだ頭の片隅に残っている。夢の中で聞いた夏芽音の言葉――「運命からは逃れられない」というその言葉が、まるで重くのしかかるように心に響いていた。


目を覚ました後も、彩菜の胸には不安が残っていた。ここ最近、沖縄各地で起こっている奇妙な噂が、彼女の心を落ち着かせてくれなかった。ゾンビの目撃情報、そして死者が蘇るという話が広まりつつある。それでも彩菜は、自分の「巫女」としての役割を否定し続けていた。普通の生活を送ることが、彼女にとって唯一の心の支えだった。


「ゾンビなんて、ただの噂だよね…」


彼女は自分に言い聞かせながら、朝の支度を進めた。普段通りに日常を送りたかった。だが、その願いは次第に揺らいでいた。夢の中で感じた異様な気配と、沖縄で広がる噂が重なり、彩菜は次第に自分がその異常な現実から目を逸らせなくなっていることに気づき始めていた。


その日、彩菜は気分転換に町へ出かけることにした。宜野湾の静かな通りを歩きながら、彼女は心の中でささやかな平穏を求めていた。だが、途中でふと、異様な寒気を感じて立ち止まった。


「…何かがおかしい」


それは、以前から彼女の中で感じていた「違和感」だった。普段なら無視できたはずのその感覚が、今はどうしても無視できないほど大きくなっていた。街の風景はいつもと変わらないはずなのに、何かが違っている――そう感じさせる何かがあった。


彩菜は、周囲を慎重に見回しながら歩き始めた。人々は普通に行き交っている。だが、彼女の目には何か異様な存在がちらついていた。それは、目に見えるわけではなく、空気の中に潜んでいるような感覚だった。


その時、突然背後から声がかかった。「おい、彩菜!」


振り返ると、そこには夏芽音が立っていた。彼女はいつものように、落ち着いた表情でこちらを見つめているが、その目には何か緊張感が宿っていた。


「夏芽音さん…」


「彩菜、お前も感じているだろう。この土地で何かが起きている。感じ取れるのは、お前が巫女としての力を持っているからだ」


彩菜は、体がすくむのを感じた。彼女は自分が感じていた「違和感」が何であるかを悟り始めていた。それは、普通の人間には感じられないもの。夏芽音の言葉を借りれば、それは「霊的なもの」――つまり、彼女自身が無意識に霊感を発揮しているということだった。


「でも、私は…」彩菜は自分の心の中で必死に否定しようとしたが、その声はどこか弱々しかった。


「彩菜、目を背けていても何も変わらない。今、死者が動き出している。そして、憑依された者たちは、ただのゾンビではない。お前の力がなければ、この異常事態を食い止めることはできないんだ」


その言葉に、彩菜ははっと息を呑んだ。憑依されたゾンビ――怨霊が取り憑き、普通の人間には見分けがつかない存在。それは、霊感を持つ者だけが感じ取れるものであり、彩菜はその存在を今、確かに感じていた。


「そんな…」


夏芽音はゆっくりと彩菜に近づき、彼女の肩に手を置いた。「お前が拒み続けているもの、それが今、お前を必要としている。お前が逃げ続けるなら、この土地はさらに危険に晒されることになる」


彩菜は頭の中が混乱し、言葉が出てこなかった。自分が何かに対して特別な力を持っているのは理解していた。だが、その力に対峙することは怖かった。そして、今その運命と正面から向き合わなければならない瞬間が訪れていることを実感していた。


「私は…」


「彩菜、もう迷っている時間はない。覚悟を決めなさい。お前が動かなければ、この土地は呪われたままだ」


その言葉が重く響き、彩菜はゆっくりと目を閉じた。彼女の中で、長い間否定してきた「巫女」としての自分が、静かに目覚めようとしていた。そして、それは同時に、彼女自身がこれから迎える壮絶な運命を意味していた。


心の中で一つの決断が芽生えた瞬間、彩菜は深く息を吸い込み、目を開いた。


「わかりました…私、やります」


夏芽音は満足そうに頷き、「それでこそ、天女の巫女だ」と小さく呟いた。彩菜は自分が受け入れるべき運命に向き合い始めたことを感じていたが、まだその全容を理解しているわけではなかった。それでも、彼女は一歩を踏み出したのだ。


運命が動き出した――彩菜はそれを確かに感じていた。

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