第3話壊れゆく日常
優斗は、昨夜のゾンビとの再遭遇が頭から離れなかった。朝起きてからも、胸に残る恐怖が消えない。何度もあのゾンビの顔が脳裏に浮かび、全身に冷や汗がじわりと滲む。どんなに現実だと思いたくなくても、ゾンビは確かに存在していた。そして、それはただの噂や都市伝説ではなく、自分の目の前に立ち現れた、現実の脅威だった。
職場に向かう道中、原付を走らせる優斗の心は不安と緊張でいっぱいだった。ショッピングセンターに到着しても、何もかもがいつも通りで、その普通さが逆に彼を不安にさせた。「なぜこんなことが起きているのに、誰も知らないのか?」という疑問が優斗の中で膨らみ続ける。自分だけが、別の世界に取り残されているような感覚がじわじわと広がり、心の中に孤独感が染み込んでいく。
掃除用具を手に取り、フロアを清掃しながらも、集中することはできなかった。何かに追い立てられるように、耳を澄まし、周囲を警戒し続ける。普通に見える人々の中に、何かがおかしいと感じる瞬間があるたびに、心臓が強く打つ。
「優斗さん、大丈夫ですか?」織田美香がふと心配そうに声をかけてきた。彼女の優しい表情が、逆に今の優斗には辛かった。美香は何も知らない。優斗が昨夜見た恐怖について、知るはずもない。彼女の無垢な笑顔に、自分だけが抱えている秘密が重くのしかかる。
「ごめん、ちょっと疲れてるだけだよ」と優斗は無理に笑顔を作り、軽く答えた。だが心の中では、その言葉が嘘であることが、痛いほどにわかっていた。
美香は少し心配そうに眉を寄せたが、深く追及はしなかった。「そうですか…でも無理しないでくださいね。優斗さんがいなくなったら困りますから」と明るく言い、また仕事に戻っていった。
彼女の言葉を聞いた優斗は、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。自分が抱えているこの恐怖は、誰にも共有できない。もし美香や他の同僚に話したところで、信じてもらえるとは思えなかったし、信じてもらったとしても、彼らをこの恐ろしい現実に引き込むことになる。それだけは避けたかった。
それでも、誰かに話さなければいけないという気持ちも強かった。上原隆のことが頭に浮かぶ。彼なら、少しは自分の話を真剣に聞いてくれるかもしれない。彼もまた、何かを感じ取っているようなそぶりを見せていたからだ。
昼休憩、優斗は思い切って上原の席に座り、話を切り出した。
「上原さん、最近、本当に変なことが多くないですか?」
「お前もそう思うか?」上原は、深刻な顔で答えた。「俺も気になってるんだ。あちこちで変な噂が飛び交ってるし、妙に空気が重い。だが、何が起こってるのか、まだわからねぇ」
優斗は心を決めた。昨夜のことを話すべきだと。
「実は、俺…ゾンビを見ました。二回も」
上原は一瞬固まった。彼の瞳が優斗を鋭く捉え、そして驚きと疑いが混じった表情を浮かべた。「冗談だろ?」
「冗談じゃありません。本当に見たんです。最初は信じられなかったけど、昨日もまた遭遇して…腐った肌、ぎこちない動き、あれは間違いなくゾンビでした」
上原はしばらく黙っていたが、やがてため息をついた。「優斗、正直に言うぞ…お前が言うこと、信じたい。でも、どう考えてもあり得ない話だろ。ゾンビなんて現実に存在するわけがない」
「俺だって、そう思ってました。でも、現実に見たんです。追いかけられて、家まで逃げ帰ったんです」
上原は眉間に皺を寄せ、難しい顔をしていた。何か言いたそうだが、言葉が出てこない様子だった。「…お前が本気でそう言うなら、そうなのかもしれない。でも、俺はまだ納得できねぇ。何か他に説明できることがあるんじゃないか?」
優斗は肩を落とし、うつむいた。理解してもらうのは、やはり難しい。上原が優斗を完全に拒絶したわけではなかったが、現実の恐怖を共有するには、あまりにも不確かで信じがたい話だったのだろう。
優斗は再び一人でショッピングセンターのフロアを巡回していた。日が暮れ、建物内は人が少なくなってきたが、空気がどこか重苦しく、異様な静けさが漂っていた。
突然、かすかな物音が聞こえた。優斗は立ち止まり、音のする方へ耳を澄ます。何かがゆっくりと動いている気配がする。心臓が高鳴るのを感じながら、音の方へ足を向ける。
「まさか、また…」
彼の背中を冷たい汗が流れる。薄暗いバックヤードに差し掛かると、視界の端に何かが動いた。ぎこちなく、不規則な動き。そこには、再び――ゾンビがいた。
だが、今回のゾンビは、今までのものとは違っていた。そのゾンビは、まるで何かを「指示」するかのように動いていた。他のゾンビが数体集まり、その指示を受けるかのように一斉に動き始めた。
「一体、何が…」
優斗は言葉を失った。ゾンビたちは、ただの無差別な脅威ではない。何かもっと組織的で、恐ろしい力が背後に存在している――そう感じた瞬間、優斗はその場から逃げ出した。
彼の心には、もはや単なる恐怖だけではなかった。これは単なるゾンビの出現ではなく、もっと大きな、異常事態が起こっているのだという直感があった。そして、その渦中に自分が巻き込まれていることに気づきながらも、どう対処すべきかわからないまま、夜の闇の中を駆け抜けていった。
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