第2章 冤罪

「う…うぅ…どうして…こんなことに…」


牢の中、マリアンヌはさめざめと泣いていた。


「冤罪ですわ…クレスタ様…冤罪でわたし達を…」


マリアンヌは冤罪で牢に入れられたことに対して、怒りと悲しみを覚えた。



 …そう、マリアンヌとその友人がエリーナに対して利尿剤を飲ませたというのは冤罪である。マリアンヌ達はエリーナに利尿剤を飲ませていないのだ。


 しかし、クレスタはマリアンヌ達を断罪し、この牢へと入れた。


「どうして…どうしてですの…」


いくら考えても、どうして自分たちにそんなことをしたのか、答えは出てこない。




「…無実の罪で投獄された気分はどうだ、マリアンヌ」


クレスタの声が聞こえる。はっと顔を上げると、そこには、クレスタと…




「…! な、なぜあなたがここに…!?」




クレスタの隣には、自殺したといわれていたエリーナが立っていた。


「お久しぶりです、マリアンヌ様。最後のあいさつに来ました」


エリーナの声は小さく、冷たかったが、しかし、燃えるような怒りが感じられる。


「む、無実ですって…!?じゃあ、やっぱり私は…!」


「そうだ。お前たちはエリーナに利尿剤を飲ませていない。あの失禁事件はエリーナの自作自演だ」


「なんですって!?」


マリアンヌの怒りの声が牢全体に響き渡る。


「無実なら、私をここから出してくださいっ!なぜこんなことを!」


「エリーナの失禁事件については無実だ。だが、それ以外は無実ではないだろう」


「それ以外…?どういうことですの!?私が、いつ、どこで、誰に、何をしたのですか!?」


「教えてやろう。だから静かにしろ」


クレスタは静かに語り始めた。





 エリーナは平民の少女だが、大きな農園に囲まれて育ち、植物の品種改良と、豊富な薬草の知識を持っていた。

 たまたま薬草調達のために、彼女の農園を訪れた学院の教授が、彼女の学びのセンスを見出し、入学試験を受けさせ、彼女の入学を許可した。



 この学院は本来、貴族のみが入学できるのだが、近年、国内の学力、技術力、騎士による戦力の増強を目指し、平民の入学が許可された。


 勇敢な心と強い腕っぷし、または明晰な頭脳、どれかを持つならば、平民の入学ができるようになった。


 しかしまだ許可されてから月日は浅く、まだ圧倒的に貴族の方が多い。貴族の中には、平民を虐める者もいる。




 貴族の中に平民が入り込んだことが、マリアンヌは気に食わなかった。ピンクブロンドの髪に、水のような青色の瞳。まるで妖精のようにかわいい容姿を持つエリーナへの嫉妬もあった。


マリアンヌとその友人は、エリーナを「教育」として徹底的に虐めた。


「貴族の家柄には派閥があり、それぞれ勢力があるの」


「貴族の女性は社交場こそが戦場」


「わたくしたちは社交において、閥を背負って日々戦っているのです。


 してやられるのは未熟な証拠。それが社交界の心意気ですわ」


「貴族の世界に入ったのならば、これくらいは理解してくださいね?」


そう言いながら、マリアンヌはエリーナに対して様々な虐めをした。ノートなどの所有物をどこかに隠したり、ゴミ箱に捨てたり、衣類を引き裂いたり…。


 エリーナもやられたままでいたわけではない。同じ薬剤研究部の仲間や、生徒会長を務めるクレスタに、虐めのことを相談した。

 傷つけられたエリーナの様子を見て、クレスタ達は力にはなりたいと思っていたが、マリアンヌがエリーナを虐めたという明確な証拠がないため、マリアンヌを断罪することはできなかった。



 そんなある日。



 いつものようにエリーナを虐めるマリアンヌ。今日は噴水に突き落とした。水に沈んでいくエリーナを見届けたマリアンヌは、寮へと去っていった。

 なんとか噴水から脱出したエリーナ。そこへ、クレスタ王子が駆けつけた。偶然にも、クレスタは、マリアンヌがエリーナを突き落とした現場を発見したのである。


「エリーナ、大丈夫か!?」


「え、ええ…」


「見間違えるはずがない…あの美しい金髪はマリアンヌ…!


 まさか、彼女がエリーナを虐めていたことが本当だったとは…!」


クレスタは怒りに震えた。まさか、自分の婚約者が、こんなことをする人間だったとは。


「…しかし、今この場を見たのは、私だけ。証人は自分だけだ。これではマリアンヌを断罪できない。困った…」


 エリーナは植物学が豊富な、貴重な人材だ。彼女を失うわけにはいかない。しかし、今の状況ではマリアンヌを断罪することができない。


 クレスタは頭脳明晰な友人であるファーゼルに相談したが、彼にもいい案は浮かばなかった。




 ――証拠の捏造、という方法以外は。




「…ひとつだけ方法があります。証拠がないなら、証拠を作ってしまえば――捏造すればいいのです。

 しかし、もし罪の捏造がばれれば、僕たちが罰せられます」


それを聞いたクレスタは、何かを決心したように、その案を採用した。


「…私は、エリーナへの虐めに気付くことができなかった。

 将来、民を背負う王者が、この小さな学院の中で、平民が虐められていることに気が付けなかった…。

 私は王として失格だ。この学院を卒業したら、王位を弟に譲り、どこか遠い地へ旅立とう。

 もし罪を捏造した罪が露見されたならば、私を訴えればいい」


「…わかりました。王子のその覚悟、受け止め、利用させていただきます」


 ファーゼルは計画を話した。


 近日、エリーナの薬草で開発されたこの利尿剤を使うことにした。

「その豊富な知識に嫉妬したマリアンヌが、薬剤研究部の者たちから利尿剤の噂を聞き、倉庫から利尿剤を盗み出し、エリーナに利尿剤を飲ませた」というストーリーだ。ただ失禁するだけなら、トイレに行かなかったエリーナが悪いのだが、利尿剤を飲ませられた上に、トイレへの道を妨害されたなら、マリアンヌが悪いことになる。それに、この利尿薬は尿の色が緑色になるだけで、それ以外に副作用はない。


 計画の詳細はこうだ。


 クレスタ王子の生誕パーティ。当日、まず、パーティの途中で、マリアンヌと、その友人たちに、適当な理由を言って、パーティ会場から抜けてもらう。


「建物の入り口付近でブローチを落としてしまったから、マリアンヌとその友人に探すのを手伝ってもらう、ということにしよう」


「なるほど。マリアンヌは王子の婚約者ですからね。それなら断れないでしょう」


 そしてマリアンヌ達がパーティ会場から離れている間に、エリーナは利尿剤を服用する。その後、エリーナもパーティ会場から離れ、トイレ付近の物陰で待つ。


 玄関から大広間への通路にはトイレがある。マリアンヌ達は必ずトイレの前を通過する。


 クレスタのブローチ探しが終わり、パーティ会場へ戻る途中、マリアンヌ達がトイレ付近に差し掛かったところで、エリーナは飛び出し、マリアンヌ達の前に姿を現し、わざとらしく大声で「トイレに行かせてください!」と大声で叫ぶ。まるで周囲の人に、「自分はマリアンヌに虐められている。彼女がトイレに行くのを妨害した」と訴えるように。


 冤罪計画が完了したエリーナは、マリアンヌからの虐めから逃げるために「自ら命を絶った」ということにし、クレスタが用意した小さな家で隠れて暮らしていた。


「…マリアンヌ、お前たちは、私たちの計画にまんまと引っ掛かったな」


冤罪計画を聞かされたマリアンヌの顔は、怒りで真っ赤に燃えていた。


「…私は、その女のためだけに、牢に入れられたのですか!?

 クレスタ様!なぜ、その平民の女の味方となるのですか!

 平民の女のために、なぜ、そんなバカげた冤罪計画を作り上げたのですか!

 そんな、かわいこぶって、男に媚びるような平民女のどこがいいのですか!」


「エリーナは男に媚びるようなことをしたのか?

 …まあ、仮に男に媚びるようなことをしたとしても、それでもいいと思っている」


「な…」


「男に媚びる、ということは、少なくとも男性からの支持と協力は得られるということだ。

 人を見下し続けるお前と比べると、はるかにマシだろう」


「み、見下す・・・?」


「マリアンヌ。お前は確かに、将来、王妃になるための勤勉に努め、常に成績はトップだった。

 そこは尊敬する。

 しかし、トップであるが故、傲慢さが時折見える。

 事実、お前は平民であるという理由でエリーナを傷つけた。少なくとも、私だけは、お前がエリーナを噴水に突き落とした場面を目撃した。

 …もしや、他の平民にも同じように虐めをしていたのではないか?」


マリアンヌの言葉が止まった。


「民を傷つける者が王妃になるとどうなる?民の怒りの矛が、この国を貫き、破壊してしまう。お前のように、民を傷つける者を王妃とするわけにはいかない。そういう意味でも、この冤罪計画は必要だったのだ」


「…ふざけないでくださいっ!

 たかが平民ひとりのために、こんなことを…!」


「たかが平民ひとりだと?この国を支えているのは平民だ。彼らが土で服を汚し、田畑を耕し、土木工事をしているおかげで、民の、我らの生活が成り立っている。そんな貴重な人材を侮辱するのか?

 なおさらお前は王妃にはむかないな」


マリアンヌの怒りの声に対し、クレスタもまた怒りの声で対応する。


「…そういうあなたも、無実の人間を牢に入れるなんて、王にはむきませんわ」


マリアンヌはクレスタを嘲笑するが…


「無実ではないだろう。さっき言っただろう。エリーナの失禁は自作自演だが、それ以外の虐めは事実だと」


クレスタもマリアンヌを嘲笑する。


「…マリアンヌ、エリーナにこう言っていたそうではないか。

『社交界ではしてやられるのは未熟な証拠』と。そもそも、冤罪をかけられたお前が悪いのではないか?冤罪をかけられる隙を作ったお前にも責任があるのではないか?」


かつてエリーナに言ったことを言われ、マリアンヌは言葉を失った。


「…王にむかないことは事実だな。エリーナへの虐めに気付くことができなかった私は王になるべきではない。私はどこか遠くへ行くつもりだ」


「…お待ちなさいっ!冤罪で人を牢に入れて…!責任も取らずに逃げるつもりですかっ!」


「何度も言わせるな。お前は完全に無実では、ない。

 …行こう、エリーナ」


「…さようなら、マリアンヌ様」


クレスタはエリーナを連れて去っていった。


「クレスタ…絶対に許さないっ!」


牢の中、マリアンヌは復讐の炎を燃やしていた。

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