第1章 婚約破棄
学園の卒業を祝うパーティ当日。マリアンヌは、会場となる大広間で友人達と談笑しながらパーティの開催を待つ。
「本当にすばらしいドレスですわ!」
「まさに『薔薇の姫』たるマリアンヌ様にふさわしい逸品ですわ」
「とてもうらやましいです!」
フェルダ、セイラ、コレット。友人達は口をそろえてマリアンヌのドレスを称えてきた。
マリアンヌは生まれつき天才的な素質を持っていたようで、何をやらせても完ぺきだった。そのため、国王のお目にかかり、政略のため、第一王子と婚約を結ばれていた。
頭脳だけでなく、容姿にも優れていた。太陽のように輝く金色の髪、サファイアのような瞳、雪のように白い肌、そして赤いバラのようなドレス。非常に美しい容姿のマリアンヌは、男子だけでなく、女子からも憧れの対象となっていた。
「ふふ、お褒めの言葉、どうもありがとう」
友人たちの褒めたたえる言葉で気分を良くしたマリアンヌ。
その時だった。
ざわっ、と大広間の入り口近くからどよめきが広がる。この国の第一王子であり、卒業生代表であるクレスタの登場である。クレスタは大広間の壇上に上がり、人々の方を向く。
「これより、卒業パーティを開催する…その前に」
今からパーティを開くとは思えないほど、クレスタは険しい顔つきになった。
「諸君。2ケ月前の、私の誕生パーティで起こった事件を覚えているだろうか」
そう、2ケ月前にも、本日の卒業パーティと同じ規模の大きさのパーティがおこわなれていた。クレスタ王子の生誕を祝うそのパーティで、ある事件が起きたのだ。とある女子生徒が、パーティ会場のトイレの目の前で、尿意を我慢できず、粗相をしてしまったのだ。
「今から楽しい食事をしようというときに、こんな汚いことを思い出させてしまって申し訳なく思う。
しかし、この卒業パーティが最後のチャンス。ここで皆に、あの粗相をしてしまった女子生徒――エリーナの汚名を晴らさなければならない」
エリーナ。それが、2ケ月前のパーティで失禁してしまった女子生徒の名前である。エリーナは、今はもういない。あの失禁事件で心を病み、自ら命を絶ってしまったのだ。
「汚名…?どういうことですの?悪いのはあの粗相をしてしまった女なのに…」
「まあ、いやですわ、殿下。なぜあんな汚らわしいことを、今話すのかしら…」
マリアンヌの友人たちが眉をひそめる。
「ファーゼル。説明を」
「はっ」
クレスタの側近の1人であるファーゼルが壇上に上がる。彼は頭脳明晰な医者の息子である。
「エリーナさんが粗相をしてしまった様子を見て、おかしいと思ったのです。エリーナさんの尿の色が、緑がかって見えたのです。
…おっと、僕に女性の尿の色をじろじろ見る、おかしな趣味はありませんよ。尿の色が異常なことに興味を持った。医者の息子として当たり前のことですよ」
ファーゼルは2ケ月前の、エリーナが失禁したときの様子を語った。
「…そ、そういえば、あの女の小便、なんか緑が混ざったような、へんな色だったよな」
「確かに…メロンのような薄い緑色が…」
パーティ会場がざわつき始めた。
「尿の色が緑色になるのは、理由があるんですよ。この薬を飲むと、尿の色が緑色になるのです」
ファーゼルは懐から小瓶を取り出した。
「…それは?」
「我が学院の薬剤研究部が、教授たちと協力して半年前に開発したばかりの薬です。
これを服用すると、尿意が急激に強くなります。病気や老化などの理由で排尿機能が衰えた方のために開発されました。…ただ、これを服用すると、薬の作用で、しばらくの間、尿の色が緑色になってしまうのです」
「尿意が急激に…緑色…ま、まさか…!」
パーティ会場のざわつきが大きくなった。
「そう、エリーナはお手洗いに行かなかったのではない。何者かがエリーナに、この薬を飲ませた。そして彼女は、あのようなことになってしまった」
クレスタがエリーナを擁護するように叫ぶ。
「マリアンヌ、フェルダ、セイラ、コレット」
クレスタはマリアンヌたちの名前を呼んだ。氷のように冷たいその声に、彼女たちはびくっと反応する。
「エリーナにこの薬を飲ませたのは、お前たちだな?」
「なっ…!?」
突然の犯人宣言に、マリアンヌたちは驚いた。
「な、なにをおっしゃるのですか、クレスタ様!?なぜ私を犯人呼ばわりするのですか!?」
「ではあのときの状況をどう説明する?」
「あのときの状況…?」
「エリーナが粗相をしてしまったときのことを思い出せ」
マリアンヌは必死に思い出す。
(確か…あのとき…)
2ケ月前のクレスタ王子生誕パーティ、パーティ会場である建物の廊下にて。
「あ、あの…!マリアンヌ様…!」
エリーナが必死な顔でマリアンヌに声をかけてきた。
「まあ、どうしたの、エリーナさん。そんなところを押さえて、はしたない」
「平民の女ですもの。恥ずかしいなんて思っていないのでしょうね」
マリアンヌたちが、腹部の下を押さえているエリーナを嘲笑していた。
「あ、あの…!お、お手洗いに行かせてくださいっ!」
エリーナが大声で叫ぶ。彼女のその大声で、多くの人が「何事か」と反応して集まってきた。
「…はぁ?行けばいいでしょう?すぐそこなんですから」
マリアンヌはトイレの方を指さした。
「い、いじわ…うぅ…!いじわるしないでくださいっ!お願いですっ!」
エリーナは泣きじゃくり、今にも消えそうな声で言う。そして…
「あ、ああぁっ…!も、もれちゃう…!」
エリーナは、マリアンヌたちの目の前で、粗相をした。マリアンヌたちは、粗相をしたエリーナの前に立っていた 。そう、まるでエリーナがトイレに行くのを阻むように。
「…利尿剤を飲ませ、失禁することをわかっていたうえで、エリーナの道を塞いだ。そうだろう?」
「な…!?へ、へんな言いがかりはやめてくださいっ!」
「ならば、エリーナの、あの大声はなんと説明する?エリーナのあの尿の色をどう説明する?お前たちの目の前で失禁したことをどう説明する?なぜ、失禁したエリーナの前に、お前たちが立っていたのだ?」
「そ、それは…あれは…!」
「エリーナの、あの大声は、お手洗いに行くのを懇願していたもの。お前たちがお手洗いへの道を塞ぎ、お手洗いに行くのを妨害した。そうとしか考えられないのだ」
マリアンヌは答えられなかった。
「マリアンヌ、フェルダ、セイラ、コレット。お前たちの中の誰が、どうやってエリーナに利尿剤を飲ませたのかはわからないが、エリーナがお手洗いに行くのを妨害したことは事実だ。あのとき――2ケ月前のパーティのときにいた者たちが証人だ」
冷たい声でクレスタは言い放った。
「…そういえば、2ケ月前のあのとき、エリーナの目の前に、マリアンヌ様と、そのご友人が立っていた…」
「あれは…エリーナの前に立ち塞がって、お手洗いに行くのを邪魔していた…」
「確か、エリーナは『お手洗いに行かせてください』って、必死に叫んでいた…」
「マリアンヌ様が道を塞いでいたから行けなかった…」
「そんな…マリアンヌ様が…そんな卑劣なことを…」
パーティ会場のざわつきが更に大きくなった。
「…皆、聞いてくれ。あの事件以来、エリーナは自ら命を絶ってしまった。彼女は平民だ。だが、農園出身で、野草の知識が豊富な彼女は、我が学院の薬草実験に大きく貢献してくれた。優秀な助手として将来を約束した。
そんな彼女を失ったのは、マリアンヌとその取り巻きであるが、マリアンヌの企みに気が付けなかった私も責任がある…」
クレスタは下をうつむき、そして、何かを決心したかのように顔を上げる。
「今日、私は王位を捨て、マリアンヌとの婚約を破棄する!そして、弟のアーレンに王位を譲る!」
「なっ…!?」
アーレンとは側室の女性が生んだ、つまりクレスタの腹違いの弟である。そんな弟に王位を譲るという宣言に、パーティ会場にいる人全員が驚きの声をあげた。
「マリアンヌ、フェルダ、セイラ、コレット。
エリーナの名誉を傷つけ、更に命を絶たせた罪は大きいぞ。衛兵たちよ、私からの最後の命令だ。この4人を牢へと連れていけ」
「はっ」
衛兵たちがマリアンヌ達を強引に引っ張っていく。
「い、いやぁ!はなしてぇ!」
「わたし達は無実よ!」
「ど、どうして…どうしてこんなことにぃ…!!」
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