第4話 宇宙の網
スフィンクスが球体の穴に近づく。
すると不思議なことに、まるで宇宙を彩る星雲が壁に描かれた絵のように平面に見えるようになった。
オートパイロットで突き進む宇宙船に恐怖心などなく、スフィンクスはその平面の宇宙になんの躊躇もなく飛び込んだ。
閃光が艦橋を白く染め上げ、ミコノは不意打ちを喰らったかのように目を瞑る。
がたがたと軋む船体、あらゆる警報がけたたましく鳴り、その音に不安を煽られたミコノが恐る恐る目を見開くと、そこにはトンネルが広がっていた。
波打つ星々の海が高速で過ぎ去っていく先の見えないトンネルは如何ともしがたい恐ろしさがあり、同時に美しさが両立していた。
「ここは高次元に差し掛かる空間です。わたくしたち三次元の存在は流れに身を任せることしかできません」
「だから、手動で入ってはいけないのね」
「左様でございます。あの平面の宇宙に突入する前に進路は決まっていたということです」
すると主張していた警報が次第に寝静まっていく。
さっきまでトンネルだったものが平面の宇宙へ移り変わると、気が付かないほど自然に通常の空間へと戻る。
いつの間にか、目の前には普段通りの宇宙が広がっていた。
だがミラージュは訝しげに制御盤のボタンを操作すると、眉間に皺を寄せて顎に手を当てる。
目の前のガス惑星、遠方できらりと光ったのはロードステーションだろうか?
「おかしいですね、目的地の座標とは正反対の場所に吐き出されたようです」
「事故は皆無だって言ってたじゃない!」
「面目ございません......」
わざとらしくしゅんとしたミラージュだったが、すぐに船内アナウンス用のマイクを手に取ると仮眠中のノエルを目覚めさせた。
一分も経たずしてノエルが艦橋の扉をくぐる。
寝起きの眼は赤かった。
「緊急事態か?」
「ご当主、船が別の座標に吐き出されました。それと前方にロードステーションらしき反射が」
「拡大してみよう。レフト、映像を頼む」
うなずいたレフトが拡大映像を小窓に表示すると、そこにはボロボロに破損したロードステーションらしき姿があった。
ワームホールが高速道路ならばロードステーションは道の駅のようなものだ。
長旅をする宇宙船乗りの休憩所として設置されているものであるが、治安の悪い区域───とりわけ人通りの少ない宙域であると、往々にして宇宙海賊の襲撃に合うことも少なくない。
だが問題は背後に来た道───ワームホールゲートが見えないことだ。
つまり正常な出入り口とは全く関係のない場所に吐き出されたということになる。
こういう事態に陥ったとき、通常はワームホール管理システムが自動的に管理会社であるレールロード公社へ通報をし、なんらかの救助隊がやってくる手筈になっている。
だが問題は現在位置だ。僻地なら救助の到着も当然遅れる。
「悪い予感がする。ステーションの残骸に偵察機を発進させてくれ。僕はブラックアウトの準備をする」
「ご当主、わたくしも手伝いましょうか?」
「いや、ミラージュは緊急時に備えて舵を握っていてくれ」
ノエルはそうして足早に艦橋から立ち去ろうとしたが、そこをミコノに引き留められた。
「待ってノエル、私にも何か手伝わせて! 居候のままは嫌よ!」
そんな要求をされるなど思っておらず一瞬固まったノエルであったが、次に駆け出した時にはミコノの手を引いていた。
「じゃあちょっとだけ手伝ってもらう!」
重力制御の効いた船内を小走りに、二人は船尾の方向にあるマシーネ・ヘッド格納庫へ向かう。
コックピットの真後ろにはキッチンとダイニング区画があり、向かって左側には武器庫と医務室、対岸は居住区が埋めている。
格納庫へはダイニングを一直線に進んで船尾への突き当りにあるスロープを下って隔壁をくぐればよい。
そうして船尾格納庫にやってきた二人。
だが、突然体が浮き上がり始めたことにミコノが慌てる。
「格納庫は重力制御を切ってる。今から無重力にも慣れておくんだ」
「ど、どうすればいいの?」
「まずは接地だ。壁や床に足を押し付けるようにして......、そう、そんな感じ。普通に歩こうとすると飛び過ぎちゃうから、浮き上がる時はソフトタッチを心がけるんだ」
初めて滑る氷上の様にミコノの両手を取って、無重力下での動き方をレクチャーするノエル。
手伝わせてと言っておきながら、結局は邪魔をしてしまっている自分に憤りを覚えたミコノは初めての感覚に全力で向き合ってある程度の動きをものにした。
格納庫は全貌を確認する必要もないぐらいに狭い。
機体を入れているだけのスペースは機械的な構造に埋め尽くされている。
少なくともグレイ邸の地下格納庫とは雲泥の差だ。
あの列車に詰め込まれていた時よりか、若干広いという程度だろうか。
「よし、じゃあまずブラックアウトを起動する」
そうして海を泳ぐ魚の様にしてコックピットの隔壁に入り込んだノエルはネックレス・キーを鍵穴に差し込むと、機体の起動をしながら座席の背もたれ裏に格納されていた防護服を着こむ。
OSが立ち上がりホログラム立体映像が座席を囲うと、ノエルは装備の確認をしながら制御盤を弾いた。
「瞳シャッターの開閉テストをする。ミコノ、外から見てくれ」
制御版の隙間からするりと現れたキーボードにいくつかコマンドを入力すると、ブラックアウトの頭の方から『ガシャッ』と作動する音が響く。
その様子を外から見ていたミコノの「瞬きしたわ!」と叫んだ声を聴いた。
「よし、偵察機からの情報を確認次第ブラックアウトを起動する。ミコノは右手側にある格納庫制御室へ向かってくれ」
うなずいたミコノがブラックアウトの胸を蹴って分厚い耐圧窓が仕切る制御室へ流れていく。
「入れたね、じゃあまず部屋の扉を閉めてロックを掛けるんだ」
「これでいい?」「うん、ばっちり」
制御盤の方へ体を流したミコノだったが、その台面には大量の付箋が貼られていた。
色違いの付箋はどれもボタンの隣に貼り付けられているが、綺麗にまとめられていて散らかっている印象はない。
「それじゃ、僕が合図をしたら青の付箋に書かれている順番通りにボタンを押していくんだ」
「わ、わかったわ、えーっと青の付箋の一番は......」
そうしている間に、艦橋のレフトから艦内通信が入り込む。
≪旦那、偵察機からの情報にコンピュータは脅威判定を出しませんでしたが、ブラックアウトを出しますか?≫
「出す。スフィンクスは確実に空間鋲で引きずり出されている。となれば、やった奴は確実に潜んでいるはずだ。ステーションの所有者はどこかわかったか」
そう問うと、今度はライトが答えた。
≪データベースの照会が正しければあのガス惑星はノクロイトⅣ。記録によれば、このノクロイト星系にはそもそもロードステーションがあったことはありません。ですが、およそ四十年前にM&A以前のユニバーサルアーマメンツ社管理によるヘリウム3採取基地が存在していたようです≫
「四十年───企業連クーデターの年か。古めかしいと思ったが。よしブラックアウトを出す、ミコノ」
あせあせとしながら青色の付箋に従って制御盤のボタンを押していくミコノ。
赤色灯が格納庫を真っ赤に染めるとすぐ後に減圧が始まり、内部の空気がみるみる抜けていく。
≪隔壁が開くわよ!≫
「よし!」
隔壁が開き、仰向けだったブラックアウトが沈み込むようにして星の海原へ落ちていく。
恒星ノクロイトの血の様に赤い陽光が機体を照らすと、地上での姿とは打って変わって大判な盾を背部のウェポンラック補助腕にそれぞれ一つずつ装備していた。
本来、マシーネ・ヘッドにはバリアが標準的に装備されている。
これは反物質に由来する対消滅のメカニズムを利用したもので、超大質量をぶつける以外に突破の手段が無いほど強固な障壁なのだ。
だからマシーネ・ヘッドが盾を持つ必要はない。特別な理由がない限りは。
ブラックアウトが船体の影から姿をさらすと、さっそく前面に突き出した盾に何かが衝突する。
宇宙で音は響かないが、雨がトタン屋根に打ち付けられたような音がフレームを伝ってやってきた。
「ちぃ、やっぱりデブリが多いな」
小さすぎてセンサーが無視してしまうような破片が多く、そうしたものは本来対消滅バリアが消してくれるはずだった。
知っての通り宇宙には惑星のような大気がない。
空気抵抗が存在しないため物体の加速性は凄まじく、さらに原則として一度動き出した物は何かにぶつかるまで止まることはない。
宇宙空間における速度の概念には慣れが必要である。
地面などの目安が存在しないので、自分の移動速度を知るためには二つの物体間における速度差───相対速度で大まかに把握するしかない。
ここで、自分または相手の速度が速すぎると弾丸を鼻で笑える豪速で突っ込んでくることになる。
例えネジ一本であっても、それは装甲を傷つけセンサーに致命傷を与えるのだ。
であるから、今のブラックアウトには盾が必要だった。
ブースターを緩やかに吹かすと、鈍い振動と共に機体が前進、そのまま慣性の波に乗って遥か遠方に見える宇宙ステーション残骸に向かう。
大気がない影響で、宇宙空間では遠方の物体もはっきり視認できる。
だからと言って、調子に乗って加速をかけ続けると通り過ぎてしまうだろう。
少しずつ大きく迫ってくる残骸雲に、ノエルはいよいよと索敵を掛けた。
ブラックアウトの眼孔の中で三つのセンサーが輝くと、前方のステーション残骸を入念に睨む。
マシーネ・ヘッドが持つ光ニューロ・ブレインは視認した対象をきわめて曖昧に認識する。
つまり、ほかの兵器などのオブジェクトを見たときに大脳として搭載された光ニューロ・ブレインは「前にどこかで見た気がする」という反応をし、そこで初めて小脳として併設された従来型コンピュータからのデータベース参照を付け加えて比較的正確な物体の識別をパイロットに届ける。
そんなマシーネ・ヘッドは直感を持ったロボットとして周知されているのだが、大層な仕組みが弾き出した索敵の結果は「脅威なし」だった。
本当にその通りなら願ったりだが、現実は甘くない。
慣性に流れるブラックアウトが十分残骸に近づくと、ノエルは丁寧に逆噴射をさせて減速していく。
ステーション残骸の群れには入りたくなかったが、大きな残骸が外からの視界を遮ってしまい、脅威の有無を確かめるには突入せざるを得ない。
残骸を外から攻撃して安全確保をしないのは民間の作業者が居る可能性を払拭できないからだ。
もしそうだったならば、先方との揉め事で面倒なことになる。
ふわふわと浮き出した起動キーのネックレス紐を手で払ったノエルだったが、そこで場の空気が変わった。───ような気がした。
「見られている、そうだよな?」
そうブラックアウトに語り掛けたノエルは浮いたまま動かない残骸を睨みつけるように見て回り、やがて武装の安全装置を外す。
引き金に掛けた人差し指が力んでいき、その瞬間ノエルは息を呑んだ。
「そこッ!」
デブリの影に向けて引き金を引き切る。
ブラックアウトが右手に装備したビームライフルが桃色の光芒を迸らせ、それは射線上のあらゆる物体を溶かし穿ちながら照準を定めた影に殺到する。
光線が影に着弾した。
残骸の裏を凝視しているとそこからは胴体をまっすぐ射抜かれたトレーサーが流れ出てきた。
厳つく武装したそれは、どう見ても作業者の見てくれではない。
発砲の瞬間、ブラックアウトを取り囲むデブリの影から無数の熱源が現れ、コンピュータはすぐさま警告を報せる。
「やっぱりか!」
包囲網を脱するために撃破したトレーサーの方へと突っ込んで反転。
シールドを背に回して後ろから流れてくるデブリを弾きながら、ブラックアウトが左手に持つビームピストルを乱射する。
不揃いなパーツが寄せ集め的にツギハギされたマシーネ・トレーサー。
塗装もなく色味すらバラバラな機体は、一見しただけではジャンクにしか見えない。
それはある意味で宇宙ゴミの中では最適な迷彩であり、生命維持だけに機能を絞って潜伏していれば機械の目も誤魔化せる。
「やはり、宇宙海賊!」
≪気付くのが遅ぇんだよ!≫
≪マシンだけ残して逝っちまいな!≫
先方からの光信号を受け取ったブラックアウトが如何にも知能の低そうな声をノエルに伝える。
「海賊なら容赦無しだ!」
胴体部に照準を定め、引き金を引く。
ビームライフルから放たれた荷電粒子光線が亜光速で殺到し、海賊トレーサーのコックピットを射抜く。
国家が消滅した今、世の中治安を司るのは巨大複合企業体である。
故に企業が相手ならば殺しは見送るが、ならず者なら話は別だ。
こいつらはむしろ、殺しても金になる。
だが問題はブラックアウトのコンディションだ。
バリアが展開できない今、トレーサーとの戦術的優位性はあまりない。
むしろ非装甲箇所が多いマシーネ・ヘッドは最初から物理装甲で防御することを前提としたトレーサーに比べて脆弱であるとも言える。
「数ばかりか!」
大気のない宇宙空間では冷却もままならない。
一度熱を帯びたものはそう簡単には冷やせず、赤熱化した銃身は投げ捨てて新しいものと交換する。
特にビーム兵器は熱量も大きい。
こう標的が多いと持て余す可能性すらある。
≪やっぱりあいつらの情報通りだ。あの機体、ブラックアウトだぜ≫
≪あ?なんだよそれ≫
≪ヘルネハイム系列のマシーネ・ヘッドだよタコが。ありゃ高く売れるぜ、コレクター共が欲しがってる≫
≪お前ら、手筈通りに行くぞ!≫
宇宙海賊のトレーサーが四方に飛ぶ。
包囲するつもりだと察したノエルは囲まれまいとさらに後退速度を上げる。
だがその時だった。無線からミコノの叫ぶ声が貫いたのである。
≪ノエル! 進路を変えなさい!≫
「ん!?」
だが突然の通信、言葉の意図を考えてしまったことが回避の遅れにつながった。
直後、強烈な衝撃が機体を襲う。
デブリと衝突したのかと辺りを見回したノエルだったが、目の前を二つのデブリが横切り視界に横線のようなものが増えていく。
それで何が起きたのかを察した。
「ワイヤートラップか!? くッ!」
海賊は、二つの大きな残骸の間にワイヤーを張ったトラップを無数に設置していた。
それも無数にだ。
ノエルは海賊に追い立てられ網に掛かってしまったのだ。
ワイヤーの両端に繫がれた残骸は振り子のようにぐるぐるとブラックアウトを取り囲み、やがて紐の尺がなくなると一つは背後のシールドにもう一つは真正面にやってきて激しく衝突する。
背後は言わずもがな、しかし真正面から突っ込んできた残骸には両足で蹴りを入れるようにして防ぐ。
フレームがひしゃげるほどの脚部負荷に警告音が鳴り響き、千切れた駆動系から血のような液体が真空へ噴出する。
しかし問題はそれだけではない。
残骸の重みが生んだ慣性に引きずられて機体がグルグルと激しく回転しだした。
「ぐっ! あぁぁぁッ!」
身体が引き裂かれるかのような強烈なGに悶えながらも、各部のブースターを限界まで噴射して何とか暴れる機体を落ち着けたノエル。
しかし強引に回転を止めてしまったことでワイヤーの締りはさらにキツくなる。
「こんな紐、機体の膂力で───、クソッ!切れない!」
いくらパワーを駆動系に注ぎ込んでもギリギリという装甲を締め付けるような音が構造を伝ってコックピットに響くばかり。
合金を編み込んだ牽引用ワイヤーの剛性はブラックアウトの膂力だけでは引き千切ることはできなかった。
せめて何かワイヤーに傷を入れなければ、千切ることはできない。
だが、回転する視界が緩やかになったころには、ブラックアウトはすでに海賊のトレーサーに囲まれていた。
≪よっしゃぁ! 捕まえたぜ!≫
≪手足を破壊しろ! 胴と頭は残せよ!≫
この重量、動き出したら簡単には止まれなくなる。
しかもスフィンクスに援護射撃を求めているが、妙なことに通信が繋がらない。
「さっきは繋がってただろ!」
しかしノエルはモニターに映る残骸を見て通信が繋がらない原因を突き止める。
ワイヤーで繫がっている残骸に電波妨害装置が仕込まれているのだ。
「モノはそこら中にあるんだ、何かできるはずだ......!」
油断が墓穴を掘ったという状況、諦めかけた自分を叱咤したところでノエルはデブリ雲の向こうに見えた『鏡』に活路を見出した。
すぐさま制御盤から引っ張り出したキーボードを叩きスフィンクスに向けた援護の分を書き上げる。
「届いてくれ......!」
電波による通信はできない。ならば光点滅信号ならどうだろうか。
もちろん、こうもデブリが多い環境では伝わる確証もない。
しかしそれでも、この方法に望みを賭けてエンターキーを叩いた。
* * *
その時、スフィンクスの艦橋に座すメイドたちはミコノの未来予知によってノエルの身に起こった状況を把握していた。
未来予知をしたとき、見えた光景のことでノエルへ警告を送ったミコノだったが一歩遅かったようである。
現状は予知通りとなってしまった。
メイドたちは歯がゆい思いをしていた。
スフィンクスにも武装は存在するが、機動兵器のインファイトに追随できるような戦闘艦ではない。
一度的になったら最後、一瞬で撃沈されるのがオチだろう。
ブラックアウトからの通信を待っていたライトだったが、光信号通信の方に反応があることに気付き、センサーを介したモニター上で見えるデブリの向こうで素早く明滅する一点の光からメッセージ解読を試みる。
その明滅は事前に同じ暗号キーを共有したシステム同士でしか読み取れない光であり、当然肉眼には見えないものだ。まして海賊機に認識できるものですらない。
暗号の解読を完了したライトはすぐさま内容を読み上げた。
「“鏡を割れ”、との打電です」
「鏡?」
ステーション残骸の映像を拡大したミラージュは映し出されたデブリの群れの中に陽光を受けて輝く板のようなものを見つける。
それは居住空間に自然光を取り込むための宇宙用集光鏡であった。
その鏡を見てはっとしたミラージュ。
姉妹より先にノエルの意図を理解した彼女は、船の火器管制を担当するレフトに鋭く指示を飛ばした。
「VLS、一番二番発射用意! 目標、集光ミラー残骸へ照準!」
鏡にミサイルを撃ち込めというミラージュの意図を図りかねたレフトだったが、ノエルの指示と合わせて何か目的があるのだろうと信じて二発のミサイルを照準システムにアサインする。
「相対距離速度修正、照準よし!」
「撃て!」
ミラージュの指示で二つの発射管から隕石破砕用のミサイルが真空へ飛び立ち、宇宙用推進剤を噴射しながら狙いを定めた集光鏡へ飛んでいく。
ノエルの窮地以上の未来を見せてくれない能力に焦慮するミコノは艦橋の全天周囲モニター越しに飛んでいくミサイルに希望を託すことしかできなかった。
* * *
刻一刻と取り囲み近づいてくる海賊のトレーサーに焦燥感を覚えつつも、ノエルは視界の端にそれを見た。
残骸に混じって慣性航行する円筒形の物体。
通信がスフィンクスへ届いたのだと、したたかに手を打った。
二発の隕石破砕用ミサイルが集光鏡に接近すると、一瞬の閃光ののち鏡面を粉々に砕いた。
それが動き出しの合図である。
≪なんだ!? なんの爆発だ!?≫
≪ほっとけ! 石ころが鏡にぶつかったんだろうよ!≫
ノエルは制御盤のスライダーを調節してブースターのリミッターを緩和すると次の瞬間、推力を全開にしてブラックアウトを弾き飛ばす。
向かう先は、あの割れた鏡。
粉々に砕かれた鏡面は鋭利な破片となって宇宙に飛散し、紅い陽光を受けて粉雪の様に輝いている。
紐に縛られた体のまま、ブラックアウトが残骸の隙間を最小限のカーブで飛び抜ける。
≪クソ、てめぇ待ちやがれ!≫
≪こいつ、鏡に突っ込むつもりか!?≫
捕まっていた最中に弾き出した最適なルートをなぞって鏡に突撃する。
真空に飛び散った鏡の破片を手前、おもむろに身を捩ったブラックアウトは隻眼を瞼で覆う。
盾のある背中を破片の方へ向け、機体はそのままの進路で弾丸の如きスピードで砕かれた鏡へ突っ込んだ。
無数の鋭い破片が盾に打ち付けられる様はさながら豪雨を受ける傘のようで、ぶつかった破片はさらに細かく砕かれて水しぶきのように散っていく。
破片の浮かぶ一帯を突っ切ったブラックアウト。
鋭利な破片によってちりぢりになったワイヤーを引きちぎり、解放された人型のシルエットが赤色巨星ノクロイトの輝きを背後に殺気と共に浮かび上がる。
≪まさか狙ってやったってのか?≫
≪機体の捕縛はもういい!ぶっ殺せ!≫
動き出した海賊たち。
しかしすでにステーション残骸はブラックアウトのキルゾーンとなっていた。
放たれた荷電粒子光線が賊のトレーサーを次々と射抜いていき、追い打ちの様にスフィンクスからの艦砲射撃も重なる。
≪逃げ場がねぇ!≫
≪やってられるか! 俺は逃げ───≫
絵に描いたような十字砲火がステーション残骸に殺到し、海賊が一人残らず抹殺されていく。
ビーム兵器にデブリ程度の遮蔽物は意味を成さず、一帯を埋め尽くすようなビームの雨に打たれ海賊たちは瞬く間に宇宙の藻屑と化した。
* * *
窮地を制したブラックアウトが船に戻って行く様を見届け、遠方から戦闘の様子を傍観していた宇宙船が一隻。
その艦橋で艦長席に座していた男がオペレーターに問うた。
「結果は」
「光ニューロ・ブレインの戦型照合完了しました。やはり強化人士九号を退けたマシーネ・ヘッドと見て間違いありません」
そのすぐあと、扉を潜って大柄なパイロットスーツ姿の男が無重力の艦橋に身を流す。
噂をすれば、とオペレーター全員が男の姿を横目に見やった。
男は艦長に近づくと、座席の背もたれを掴んで慣性を殺す。
「艦長、なぜ我々で仕掛けない。今度こそ俺の『シュヴァリエレ』で奴を───」
「馬鹿を言うな強化人士九号。宇宙空間でどうやって小娘を捕らえる? 万が一にもあの船を破壊してみろ。お前はこの先ずっと中途半端な失敗作のまま終わることになるぞ」
「貴様......」
失敗作というワードが神経に触れたか、強化人士九号───シュレディンガーは殺気立って艦長を睨みつけた。
「まあそう焦るな。この先、あの船が大気圏に降下したタイミングで仕掛ける。雪辱したければその時に、な」
「チッ......」
猛獣をなだめるかのように視線を送った艦長。
留飲を下げたシュレディンガーは、納得はしていないと主張するように艦長席の背もたれを蹴って艦橋を後にする。
その背中を見送った艦長は大きくため息を吐き捨てた。
「まったく、デュエリスト気取りの出来損ないには困ったものだ」
そうあざけると、艦長はスフィンクスの軌道を追跡するよう舵を取った。
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