第3話 文明の利器

 翌日。

 ミコノの体調を気遣って外出の予定を明後日あたりにずらすことも考えていたノエルだったが、元気に朝食を平らげた彼女の表情は色づいて明るかった。

 そんなミコノはせかせかと外出の支度を整え、一行は屋敷を出発する。


「忘れ物はないね。じゃあ鍵閉めるよ」


 そういって、屋敷の防犯システムを作動させて玄関の鍵を閉めたノエル。

 この外出には、屋敷のメイドたちもついてくることになった。

 そんな当主とメイドたちに連れられて、ミコノは屋敷の窓から見えていた赤い瓦屋根の街───ローゲルダッハを歩く。

 ふと空を見上げた時、大気層の向こうに霞んで見えるのは巨大な鏡のようなもの。

 そういえば脱走のさなか、ノエルと出会った岩の星にも似たようなものがあった。

 ミコノは、あの巨大な存在が気になって問うた。


「あの鏡みたいなのはなに?」


「鏡? あぁ、人工太陽衛星ソレスのこと?」


「ソレス......?」


「テラフォーミング・環境調節維持システム一体型インフラのことさ。この心地よい朝の風を作り出しているのはあの鏡なんだよ。なにせ、シュターデは太陽から遠いから、ソレスがないと日中最高気温はマイナス八十二度にもなる。本来は吹雪の惑星だったところを人間の住みやすいように改造したってことさ」


「そ、そんなことができるの?」


 これまで美しいと感じていた草原や、吹き抜ける心地よい風が造り物だったと知って唖然とするミコノ。

 その様子を見て、ノエルは関心を寄せた。


「じゃ、ミコノの故郷はナチュラル・ハビタブルなんだ? 大きな嵐が来たりするのかい?」


「ええ、台風と呼んでいるけど、そういう大嵐が定期的に来るわ───。ちょっと待って、じゃあここでは強い雨や風が吹くこともないの?」


「ないよ。ソレスが元気な限りはずっと快適さ。まぁでもテラフォーミングのコンセプト次第だね。観光地なら、快適性をあえて低めにしていることもあるし」


 自分の立っている世界に圧倒される感覚がして、思わず立ち眩みするミコノ。

 外の世界の人々にとって惑星は恐ろしい自然などではなく、制御できる岩の塊に過ぎなかったのだ。

 ミコノの故郷にはアニミズム的な自然崇拝観がある。

 いわゆる万物には神が宿るという考え方で、人間はそんな神々の性質を注意深く探りながら同居しているのだと。

 いや、その価値観の在りようはもっと生活習慣に根付いたもので、それを敬虔な信徒とみなすことも学問的に捉えることも硬すぎる表現であるか。

 ともかく培われてきた価値観と目の前の光景とは多分な齟齬があり、それ故にミコノは困惑していた。

 自然をないがしろにしているなどで怒りに震えたのではない。

 自然の脅威を押さえつけてしまう文明の力に恐れたのだ。

 故郷はそんな存在からの暴力を受けたのだと。

 はたまたそんな心情を知る由もないノエルは、それほど外界との接触がない僻地惑星も面白いと一層関心を寄せた。


 パンの焼ける匂いと人々の喧騒をかき分け、一行はローゲルダッハに隣接した小さな宇宙港にたどり着く。

 外の惑星とを往来する定期便は六時間毎にごく小さな宇宙船が来る程度で、それゆえシュターデ住民が外惑星に赴くことはほとんどない。

 にもかかわらず、シュターデ民が外宇宙の事情に詳しいのはやはりソレスの存在によるところだ。

 インフラ、と称されるように、ソレスは惑星環境を調整するだけでなく、各動力へのワイヤレスエネルギー供給機能とネットワーク提供機能をもつ。

 つまりソレスがある惑星では車はガス欠しないし、どんなところにいてもネットに繋がるのだ。


 中世を題材にした映画やアニメを見ると、よく電線とよばれるケーブルが蜘蛛の巣の如く街中に張り巡らされているシーンが登場する。

 大昔は線で繋いだ方が何かと安定したし速度も出たらしい。

 インフラもケーブルに依存してたのだそうだ。

 マニアの間はよく、そんなに線を張り巡らせて中世の人々は維持管理ができていたのか?という議論がSNS上で交わされることがあるが、これに対して歴史学者の「できたわけないじゃない」という答えは界隈において有名である。


 ローゲルダッハの隣に控えるこの小さな宇宙港には軌道エレベーターはもとよりマスドライバーすら存在しない。

 船が宇宙へ上がるには抗重力装置の存在が必須となるが、昨今の宇宙船において自力で重力圏を離脱できないモデルなどないと言っていいだろう。

 一行は宇宙港より大きく見える格納庫に足を運ぶ。

 大きな両開きの隔壁を開け放つと、機械油の臭いがほんのりと流れた先に白亜の船体が姿を現す。

 やや平坦に突き出た船首、その両側面を覆う分厚いガラスのような装甲。

 芸術の如き船が古くて小汚い格納庫で窒息しそうになっていた。


「スフィンクスだよ。グレイ家が代々使ってきた宇宙船だね」


「硝子みたいで綺麗ね」


「ヘルネハイム系の意匠だね。ブラックアウトの姉妹機にもそういう透明な装甲が付いてるのもいたらしい」


 ノエルがリモコンを操作すると船首をくぐった先の船底部が展開し、降りてきた外装が緩やかなスロープとして一行を出迎えた。

 その坂を上って船内へ乗り込むと、まず見えてきたのは広々とした貨物室だ。

 がらんとした貨物室をさらに進んで梯子を上ると、いよいよ船内の居住空間がお目見えする。

 だがミコノは、通路の突き当りで壁面に刻まれた文章のようなものに目が留まった。


「ノエル、これはなんて書いてあるの?」


「あぁそれかい。『朝は四本、昼は二本、夜は三本。これは何か』だね。ちなみになんだと思う?」


「んん? うーん......」


「答え、言おうか?」


「いや、待って! 自分で考えたいわ」


 ネットで調べれば何でも出てきてしまう昨今。

 今更この謎について真剣に考えるミコノのことが珍しく、ノエルは微笑みながら艦橋に向かった。

 艦橋への扉をくぐると、そこに広がっていたのは球形の壁面だった。

 それはブラックアウトのコックピットに似ている。

 真っ暗な艦橋だったが、一行が足を踏み入れると自動的に仄かな明かりが点いた。


「スフィンクスの準備をするために、結局昨日は徹夜になってしまったな。付き合わせてすまなかったミラージュ」


「お気になさらず。わたくしのような最新世代のレプリカントは一週間のあいだ不眠不休でもパフォーマンスを低下させないよう、神経系を最適化した設計となっておりますので」


「い、いま何て? 設計......?」


 昨日抱いた違和感が再び蘇り、ミコノは思わず訊いてしまう。


「そうか、レプリカントも初めて見るんだね」


 今日すでに何度目か、またも目を丸くしたミコノにミラージュが柔らかく説明した。


「わたくし、そしてライトとレフトは、ユタニ社が製造する人造ヒューマノイド───レプリカントです。マシーネ・ヘッド開発で培われた神経工学技術を応用し製造されたとされています」


 曰く、ミラージュは最新の第十四世代にあたる多機能モデルであり、都会では高級な職に就くこともしばしばあるらしい。

 しかし製造数が少ないため、普通に生活している間にはほとんど見ることもないモデルでもあるという。

 全身から溢れ出るミステリアスな雰囲気にも納得だ。


 するとそのミラージュの隣で、ちょっとぼさぼさな緑色の髪をしたレフトが挨拶した。


「しっかりとした挨拶が遅れちまいましたが、アタシはレフト、第十二世代型のレプリカントです」


 以後よろしく!と元気よく微笑むレフトだったが、そのフランクすぎる口調をオレンジ色の髪をしたライトが咎めた。


「レフト、お客様に失礼ですよ。申し訳ございませんミコノ様。私どもが無礼な態度を......」


「いつも通りにしてくれれば、私は大丈夫よ」


 姉妹のような二人は、実際に二人一組で製造されている双子モデルらしい。

 なんでも、一人に能力を詰め込みすぎるより、それぞれ長所を特化させた二人組であったほうが優れたパフォーマンスを発揮するのだとか。

 仕様的な話を置いておいても「いいじゃねーかよー」とライトの脇を小突くレフトの様子はまさに姉妹然としていて微笑ましい。


 だが、レプリカントという存在を先に知らなくて良かったとミコノは思う。

 そうであったなら、きっと自然に接することが難しかっただろうから。


「旅の顔ぶれも知れたことだし、スフィンクスを起こしますか」


 そう言ったノエルがミラージュに目配せする。

 すると、艦橋の中央にある操縦席にはミラージュが収まった。


「船を動かすのはノエルじゃないの?」


「僕の席はブラックアウトだからね」


「ブラックアウトも船に乗っているのね」


「昨日はその準備をしてたんだ」


 ミラージュが畳まれていた操作盤を引っ張り出して操作すると、周辺を覆う球体型の壁にホログラムの立体映像が浮かび上がる。

 するとブラックアウトのそれと同じように、周囲の景色───少し小汚い格納庫の内部が立体的に映し出された。


「スフィンクス、タキシング開始。ライト、牽引機のコントロールをわたくしに」


「了解しましたメイド長」


 テンポよく動き出す一連のシーケンスにわくわくしていたミコノだったが、反面見慣れた光景にあくびをしたノエルは徹夜の疲れに耐えかねている様子であった。


「ごめんけど少し寝させてもらうよ。そうだミコノ、部屋は二号室を使ってね」


「ええ。ありがとう」


「何かあったら起こして」と言って艦橋を後にしたノエルを見送り、動き出した宇宙船に釘付けなミコノ。


 いよいよ格納庫から姿を表した白亜の船体が、小さなランディングパッドに躍り出た。


「各手順に従って、エネルギー・サーキットを順次解放。右エンジン作動」


「右エンジン、エネルギー供給開始」


 ミラージュの指示に従って操作するライト。

 その手つきは慣れたもので、一切の滞りなくスフィンクスが目を覚ましていく。


「続いて左エンジン作動開始。両エンジン、離陸適正数値を維持。続いて抗重力システム作動。重力子制御、適正値前後での推移を確認。メイド長、離陸準備完了いたしました」


「ライト、ありがとうございました」


 そういうとミラージュは、左手に握る二本のスロットルレバーのうち外側のみを前方へ押し出した。


「離陸」


 重力子制御力場がランディングパッドの砂を押し出し、それなりに大きいスフィンクスの船体がまるで風船のように静かに浮き上がり始めた。


「それではみなさま、出発いたします」


 ミラージュが内側のスロットルレバーを最大まで押し出すと、宇宙船は滑らかかつ素早く加速を始める。

 そこに一切の振動はなく、スフィンクスは猛スピードで大気圏を駆け上がる。

 周囲を満たしていた霞んだ大気はものの数秒で晴れて行き、ミコノの目の前には輝ける星々の大海───宇宙が広がっていた。


 そのままシュターデの重力を振り切って飛ぶスフィンクスは、巨大なパラボラアンテナの皿に鏡を敷き詰めたような人工太陽衛星の脇を潜り抜け、虚空へ流れてゆく。


「それでこの船はワープ?とかするの?」


 目を輝かせて問うたミコノに、ミラージュはやわらかく答える。


「はい、これから高速道路に乗ります」


「高速......?」


 思ったより普通な単語が飛び出してきて拍子抜けしたミコノだったが、前方方向に見えてきたのは巨大なリング状の構造物。

 曰く、この輪っかが高速道路なのだそうだが、円の中心でぼうっと浮かぶ歪んだ空間のようなものが無機質で寒々しく、ミコノは腹の底が冷えるような感覚を味わった。


「高速道路と言いましたがワープに違いありません。ミコノ様はワームホールをご存じですか?」


「名前ぐらいならあるわ。でもよく知らない」


「簡単に説明しますと、ワームホールとはつまり球体の穴でございます」


「球体の穴? 上手く想像できないわ......」


 ミラージュは制御盤のボタンを流れるように弾くと、オートパイロット起動のアナウンスと共に操縦桿から手を離した。

 そして制御盤のアームに磁石で張り付けられていたメモ用紙を一枚破ると、その白紙に簡単な図を書いて説明し始めた。


「まず前提として我々が存在しているこの宇宙は『たて、よこ、高さ』によって構成される三次元の空間とされています。ではミコノ様、ここから一次元減らしてみるとどうなりますか?」


 ミラージュは手に持ったメモ用紙を暗に主張すると、ミコノはそれを見て理解した。


「高さを引いて平面になるのね」


「その通りです。ではこの平面になった世界の、ここからこの場所へ行くとして───」


 メモ用紙の両端にバツ印を付け、それら二点が重なるように用紙を丸めたミラージュ。

「これら二点にトンネルを穿ってみましょう」といって、重なったバツ印をペンで穿った。


「おおよそ、これがワームホールの概略にございます。ですがわたくしたちの存在する宇宙は三次元です。この丸めた用紙に高さを加えるとどうなると思いますか?」


「ええっと......」


 さっきみたいに何かヒントはないものかと周囲を見回したミコノは、ちょうど進行方向に浮かぶ歪んだ空間───ワームホールに目が留まる。

 それは何というか、穴というよりは球体に見えた。

 そこでミコノは、最初に説明された「球体の穴」の意味を理解する。


「ご理解いただけましたでしょうか」


「ええ、なんとなくだけど」


「それで構いません。多くの道具はその理屈を完全に理解していなくとも生活に役立てることができますから」


 そう言うと、オートパイロットの進路設定をワームホール運航システムのガイドと同期させたミラージュ。

 リング状構造物の手前に浮かぶホログラムの誘導灯に従って動き出したスフィンクスが、ゆっくりと歪んだ空間に近づいていく。


「ワームホール利用にあたっての禁則事項は手動操作で進入しないことです」


「どうなるの?」


「まったく別の座標に流されるか、高次元に取り残されて身動きが取れなくなる可能性が高まります」


「そ、それって安全なの?」


 そう問うたミコノに不敵な笑みを浮かべたミラージュ。

 揶揄うのはその辺にして補足した。


「五十年も昔は事故もそれなりにあったようですが、現代でそのような事例は皆無でございます。では、ワームホールに進入いたします」


 スフィンクスが球体の穴に近づいていくと、やがて混ぜた絵具の様になって虚空へ消えた。




───

おまけ


世界観小話

『ブラックアウトが右腕に装備している兵装』


ユニバーサルアーマメンツ社傘下、マーテリー&フェリウス・ファインディングが星団歴2190年から製造しているマシーネ・ヘッド用武装。

正式な製品名は「RM120」。120ミリ口径のバトルライフル砲である。


ボルトが動力とつながったチェーンにて前後する、いわゆるチェーンガンの一種であり、ガス圧作動式などと異なって万が一不発弾に当たっても強制的に排出できるなど、動力機構に由来する信頼性が高い。

またチェーン駆動であることから連射速度を自由に変更できる。


特徴としては、やはりその口径である。

これは標準的な戦車砲サイズと同等であり、一発一発に高い破壊力を有する。

一方で装薬の燃焼スピードが比較的遅く、連射が効かないため瞬間火力は低い。

よって、もっと小口径かつ連射性能の高めな武装とセットで持つことが大口径砲のセオリーであり、ブラックアウトにおいてはAsh-90Maが装甲を破砕しRM120がフレームを破壊するという攻勢プロットに基づいて組み込まれている。


また、強烈な反動から照準制御プログラムへの負荷を軽減するため大型のマズルブレーキを備えており、チェーン駆動でありながら銃身上部にガスポートを持つ。

このガスポートは、銃身と沿うように搭載されているカウンターウェイトとつながっており、燃焼ガスが錘を前方に弾き飛ばすことによって反動軽減効果を狙う意味合いがる。このような仕組みをBalanced Automatics Recoil System(BARS)と呼ぶ。


実際にこの工夫によって射撃時のブレは他社同口径砲と比較すると極端に少ないが、代償としてそれなりの重量も持ち合わせることになった。

積載性能の低い脚部や非力な駆動系を持つ場合には注意が必要である。

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