第2話 アール・グレイ

 次に目覚めたとき、ミコノの目に飛び込んできたのは知らない天井だった。

 温かみのある黒い木材で作られた古い天井は、それだけでも研究所の冷たい部屋ではないと分かった。

 やわらかい毛布を避けて、おもむろにベッドから体を起こしたミコノ。

 部屋を見回す。

 それなりに大きな振り子時計、床に敷かれたカーペットと暖炉の反対に置かれた机。

 それら家具の意匠は精密で、部屋を囲う壁紙は豪勢だが主張は控えめ。

 やわらかく、しかし沈み過ぎないベッドの寝心地はこれまでに体感したこともないほど極上で、ふたたび毛布に飲み込まれて二度寝したいほどだ。

 そんなベッドは部屋の扉とは正反対の位置に置かれていて、そのすぐ隣には重厚なカーテンが窓を覆っている。

 そのカーテンの隙間からは暖かい陽光が漏れ出していて、時計の針を見ると正午を回っていた。

 だんだん意識がはっきりしてくると、華美な部屋に触発されて脳内に割り込んできたのは、あのシュレディンガーという男が駆る暗銀甲冑の姿───。

 そうだ。あの後、どうなったんだろう。

 ベッドから体を起こして恐る恐るカーテンを捲る。

 暗がりに慣れた目が陽の光に刺された後、少しずつ外の景色がはっきり見えてくる。

 窓の向こうには美しい緑の丘陵が広がっていて、そこを越えた先には赤い瓦屋根が燦然と輝く街の風景がある。

 冷たい風が吹きすさむ黒々とした山に囲まれた故郷とは全く違う光景だった。


 そんな街の風景に妄想で生み出した人々の喧騒を重ねわせていると、突然部屋の扉を叩く音が響いてミコノを現実に引き戻した。

 びくりとして扉の方へ振り返る。

 すると扉の向こうから「失礼致します」という凛とした声。

 ドアノブが回り、開かれた扉と共に現れたのは執事服に身を包んだ長身の女性だった。

 一房に結った銀髪と、その下に覗く蒼白の肌。

 切れ長の目は薄紫で、全体的に仄暗い印象を放っている。

 そんな彼女の出立ちを一言で表すならばプロフェッショナルだろうか。

 なんらか達人めいた雰囲気があった。


「お目覚めになられたようですね」


 何者か図りかねていると、執事服の女は強張ったミコノの表情から察してか、やわらかく自己紹介する。


「わたくしはご当主───ノエル・フォン・グレイ様にお仕えするメイド、ミラージュと申します」


「ノエル......? ってことは」


「はい。ここはグレイ旧伯爵家の屋敷にございます。ご当主からお話は伺っております。なんでも、追っ手を捌いたあとにミコノ様は気を失われたとか」


 道理であの戦いの直後のことを思い出せないわけだと腑に落ちたミコノ。

 その後、ノエルによってこの屋敷───いや惑星シュターデに連れてこられたのだった。


「彼、ノエルはいる?」


「居ります。お呼びしましょうか?」


「いえ、自分で歩けるわ」


「わかりました。ではこちらへ」


 そういわれて、風情のある廊下を見回しながら気を使ってゆっくりと歩いてくれるミラージュの背中を追う。

 寝ていた部屋は二階にあって、階段を下り、だがエントランスを見てからさらに下った。

 さっきまで屋敷の廊下だったのに、地下へ入った途端、金属のトンネルへ豹変する。

 すこし狭苦しく感じるトンネルは十分な照明があるとはいえ、おどろおどろしい雰囲気があった。

 そんな冷たいトンネルの突き当りで待っていたスライドドアが開くと、とたんに機材の喧騒と共に機械油や熱した電気コードの臭いが顔面に覆いかぶさった。


 広大な地下空間。

 無数のクレーンか何かが天井からぶら下がっていて、向かって右手側には巨大な仕切り板のようなものが、三つの空間を作っている。

 その真ん中には、列車の中で見た相済茶色の巨人───ブラックアウトが直立の姿勢で収まっていた。

 高いヒール状の踵、ビニールのような袋をかぶせられている手の指先には爪が鋭く伸びる。

 しなやかな流線形で、かつ部位の末端が棘々しい全容は骨と鎧が一体化しているというべきか。

 機体の頂点にある頭部に視線を移すと、まず目が留まったのが刃の様に突き出た虫の顎のような頬で、左目しかない眼孔は悪魔のような印象であった。


「装甲軽度損傷二十五、大破モジュール一箇所、その他は戦闘機動による関節駆動系の軽微損耗のみです」


「弾薬と替えの銃身は、倉庫にまだあったよな?」


 そのブラックアウトの足もとでは、ノエルがオレンジ色の髪をしたメイドと何かの話をしている。

 そんな彼が資料を目にしようとした流れでミコノの姿に気が付いた。


「ミコノ、起きていたんだね。ずいぶんと疲労が蓄積していたみたいだけど、体は何ともない?」


「ええその......、おかげ様で」


「断りもなしに家に運び込んですまない。混乱させてしまっただろ?」


 気にしないで、と首を横に振ったミコノ。

 ノエルは改めて自己紹介をすると、次いでメイドたちを紹介した。

 屋敷のメイドは三人がいる。

 一人はミラージュ。

 もう一人がさっきノエルと話をしていたオレンジ髪のライト。

 そして、いまノエルに呼ばれてブラックアウトのコックピットから降りてきた緑髪のレフトの三人だ。


 ミコノはメイドたち三人の姿を見て違和感に駆られる。

 全員もれなく容姿端麗だったが、どうにも人形のように目鼻が整っているのだ。

 つまり造り物のようだと言いたかったわけだが、本人たちにそんなことを言えるはずもなく、抱いた感覚はそのまま飲み込んだ。


「ここで立ち話もなんだし、部屋の方へ行こう。飲み物も欲しいだろう?」


 そう促され、ミコノは屋敷の客間へ通された。

 差し出された紅茶を飲み干して一息つくと、はじめにノエルが問うた。


「あの時は慌しくてしっかり話ができなかったね。君はインフォーリング機関に誘拐されて故郷を離れて、研究所とやらではどんなことをされていたんだ?」


「研究員はの実験だと言っていたわ。そこで私たちの能力を利用するために、この角を必要としたの」


「それで、左の角が?」


 無言でうなずくミコノ。

 角の断面をそっと撫でると、話をつづけた。


「でも、ごめんなさい。切り取られた角が具体的にどんな使われ方をするのかまでは知らないわ」


「なるほど。それで、ほかのシャーマン巫子もミコノと同じような、いわゆる未来視の力を持っているのかい?」


 ミコノはうなずいたが、力強い肯定ではなかった。


「村の中じゃ私の力が一番強かった。だからみんなが私の脱走に強力してくれたの......」


「ふむん。それなら連中があれだけの戦力を投入してまでミコノ一人を追っていたことにも納得できる」


 少しの静寂。時計の振り子の音が響く。

 ミコノは言い出しかねていた。研究所に残った同胞を助けてほしいと。

 図ったようにミラージュが紅茶のお替りを持ってくると、緊張で乾ききった喉を潤してから、ミコノは静寂を破った。


「そ、それで、その───」


「ああもちろん。君の仲間も助けに行く」


 まだ言ってもいないのに即答したノエルに、ミコノは思わず言葉を詰まらせた。


「で、でも、お金とかは持ってないの」


「お金はいらない。あっ、だからと言って別にやましいことなんて考えてないから」


 前も似たようなやり取りをした気がする。

 そうは思いつつ、すでにノエルの人となりをある程度知っているミコノは、彼のことを少し信頼した。


「それじゃ、なにかお礼になるようなものを......」


「いや、僕にとっては、君たちのために戦ったことそのものが報酬さ」


 その意味を理解しかねたミコノは問うた。


「そうだな、理解してもらうためにも、まずはグレイという家名について説明しよう」


 かつて、この惑星系にはヘルネハイムという王国が存在していた。

 他の惑星にまで勢力を拡大したヘルネハイム王国にとって、地方統治を行う方法として貴族主義は願ったりな形態だった。

 かねてより、貴族とは王と民を繋ぐ中間権力として存在することが絶対王政構造における理想系である。

 グレイ家は、そうした地方統治伯爵位貴族の一つだった。


 しかし、四十年ほど前のことである。

 当時のプロフェシア球状星団で巨大軍産複合体からなる企業連合が大規模なクーデターを引き起こし、星団国家を武力制圧。

 ヘルネハイム王国もこの煽りを受けて滅びることとなり、同時に仕える王を失った貴族たちの爵位も力を失った。


「僕が産まれた時点でグレイ家は名ばかりになっていたが、それで祖先の築いた功が無くなる訳じゃなかった。貴族の家に生まれた子は、その時から祖先の栄光を汚さない振る舞いが求められる。それは今の僕とて例外ではないんだ」


 ノエルは紅茶を一口啜ると、小さく呼吸してから話をつづけた。


「つまり、まぁなんというか、下心が全く無いかと言われればウソになる。僕は、ミコノや君の同胞を助けることで自分のノブリス・オブリージュを成そうと考えている。純真ではなくて申し訳ない......」


 恐る恐る打ち明けたノエルの言葉に、ミコノは静かにうなずいた。


「助けてもらう立場なのに咎めるなんてできないわ。ありがとう、ノエル......」


 ノエルは立ち上がると「そうは言ったけど」と続けた。


「ブラックアウトも修理に出さなきゃいけないし、ミコノも自分の服が欲しいだろう?」


 そういわれて、着ている服がノエルの物であるらしいことに初めて気が付くミコノ。

 てっきりミラージュのものかと思っていた。


「とにかく、ミコノさえよければ明日にも出かけようと思うんだけど......」


「構わないわ」


「じゃ、僕は外出の準備をしてくるから、ミコノは屋敷でゆっくりしてて」


 そういうと、ノエルは足早に客間を後にした。

 しかし、流れに身を任せた先で出会ったのが彼でよかった。

 話に熱中していて、すこしぬるくなった紅茶を啜った。




───

おまけ


世界観小話

『ブラックアウトが左腕に装備している兵装』


ブラックアウトが左腕に装備しているアサルトライフル砲。

90ミリ口径の砲弾を発射し、銃身内部に施条を持つためアサルトライフル砲という部類として呼称される。


正式な製品名を『Ash-90』とし、そのうちブラックアウトが装備しているものはマグナム装薬の使用を前提としてボルトやレシーバーを強化した『Ash-90Ma』という強装弾対応モデル。通常装薬砲弾でも問題なく作動する。


エリツカヤ社が星団歴2185年から製造しているマシーネ・ヘッド用兵装である。


特徴として、人間用の小銃をそのまま巨大化したような内部構造をもち、ロングストロークピストン・ガス圧作動方式に類似した連射機構を備える。

他には、パーツのほとんどが機械的に構成されており、トリガー制御を除いて電子制御系を殆ど搭載していないなどがある。

なお、万が一電装系が破壊された場合を想定した物理トリガーメカも組み込まれている。


このような動力や電装系を極力排斥し、機械的な構造を重視した堅実な設計が評価され、低めな価格設定と優れたパフォーマンスから高いシェア率を実現している一方、マシーネ・ヘッドが使用する火砲としてはチェーン駆動方式と比較して確実作動性に劣る上、万が一動作不良を起こしてしまった際に人間と違ってマニピュレーターでは対処が困難だとする意見も存在する。


メーカー推奨のマグナム砲弾もまたコストパフォーマンスが良好で、ノエルはこれを敵機の装甲破砕に用いる。

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