根拠
「入ってください」
セラの服が変わっている。先ほどの服装が村娘Aだとするなら、今度はシスターAの恰好だ。馬子にも衣裳というが、印象ががらりと変わる。お転婆さが鳴りを潜め、清廉な趣へと形を変えた。
聞いていいのか駄目なのか。自分にはそんなことさえ分からずに、部屋へと入る。
女の子の部屋というには、少しさっぱりしている。ベッドにタンス、備え付けの本棚が少し。時代柄、紙が貴重なものであるとばかり思っていたが、大量の本を見るにそうでもないのか?
「元はここは書庫だったんです。中央の教会が図書館を立てるとかで、ほとんどの本を持っていったんですよ。だから、書庫を改装して部屋にしたんです。この本はその名残ですね」
俺の視線に気づいたのか、セラは補足を入れてくれる。やはり、これほどの本があるのは珍しいことなのか。
話しながら、セラはベッドに腰かけた。
「ええと、先ほどは突然逃げてしまってすみません」
「いや、俺こそ、急に寝転がってしまって悪かった。さっきは二人ともおかしかったんだ」
セラの眼からスゥっと光が抜けたように錯覚した。
「それは、先ほどの言葉はおかしかったから言ってしまったんですか?」
普通、言葉というものは多少の感情が含まれるはずだが、セラの言葉からは生気というものがまるでなかった。
「そんなわけない。あれは本心だ」
空気が弛緩する。
セラは辺りを見渡し、水瓶を手に取った。中を覗き、そっと元に戻す。
「三日前に汲んだの忘れてました」
タンスの隙間から覗いている白の袖口といい、私生活のだらしなさが窺える。心配だ。
「まぁ、お互い自己紹介をしようじゃないか。俺は押田衣斐だ」
「イーさんですね?私はセラ・レスファン。レスファンちゃんとお呼びください」
確かに、衣斐という名前は前世でも、それなりに珍しかったし、イーというあだ名もそれなりに付けられた。
周囲の人間に外国人だと勘違いされることもしばしば、仲良くなってから、日本人だと知られるということもあったのだが。
少し複雑な気分だ。
「じょ、冗談ですからね、レスファンちゃんとは呼ばないでください」
セラは少しずれたツッコミをする。
まぁ、この世界の住人には伝わらない話だ。
「ああ、分かってる。セラでいいか?」
「いいかと聞かれたら、駄目だと答えにくいです」
確かに、わざわざ推しの本名を下の名前で呼ぶファンがいたら嫌だな。
「分かった。じゃあ、とりあえずはミナと呼ぶことにする」
「どっから出てきたんですか?その女は」
「偽名だが?」
「勝手に人の偽名を決めないでください」
それもそうか。
「じゃあ、セラが決めてくれ」
「私は………、って偽名は別に要りません。お天道様の下を堂々と歩ける女ですから。もう、セラと呼んでください」
お天道様?一応は神道系の言葉のはずだ。もしや、太陽信仰があるのか?うん、やはり、セラを聖女にするなら、一度、この世界の宗教を学ぶ必要があるな。
「そ、それと、その、教えてください」
「何をだ?」
「根拠です」
「何のだ?」
セラは二人しかいない部屋をぐるりと見渡し、俺に近づいて言った。
「私が聖女になれるという根拠です」
そうだ。彼女は不安がっているのだ。いや、夢を持つ者は誰しもがそうだろう。自分の夢を確信を持って叶うと考える奴はそういない。
特に、夢が大きければ大きい程、それだけ、不安も大きくなる。
セラの蜂蜜を溶かし込んだような眼が、ジッとこちらを突き刺している。
期待に応えなければなるまい。
「俺がそう思うから、なれると思うからだ」
「ちょっと、声が大きいです」
少し、力が入り過ぎていたようだ。しかし、彼女にとって、お気に召す解答だったらしい。少し口角が上がっている。
「そ、そのー、もしよければ、もっとこう具体的な作戦?などはありますか。今度は小声で頼みます」
「ふむ、まずは握手券作戦だ」
「握手でお金は取れませんっていってるじゃないですか?」
セラは冗談は止してくださいと言って、にへらと笑いかける。
しかし、冗談で言っているわけではない。
「俺たちは握手を買ってるわけではない。握手券はおまけだ。俺たちが買ってるのはアイドルを応援する権利なんだよ」
「ええと、つまり?」
「握手券ってのは普通、他の商品のおまけで売られる。この商品を五個買うと一つ貰えるってな具合にな?」
「はい」
「商品を買うことが、アイドルの活動を応援することになる。だから、たくさん買ってやれば、それだけ、応援したということの証になる」
「でも、それは一人よがりなんじゃ?」
「そう、そこで登場するのが握手券だ。握手をするという名目のもと、アイドルと会い、会話をする。私はあなたを応援していますよ、というアピールができるんだ」
これにて、応援は双方向のものになる。ただのファンとアイドルの関係と言えばそれだけだが、俺たちは実際に交流を重ねられるわけだ。
「ちなみに、応援する人たちのことをファンという」
「なるほど、でも、どうして応援しようと思うんですか?家族親族友人がファンなんですか?」
「まぁ、実際のところ、ほとんどが赤の他人だな。ただ、一生懸命頑張る人は応援したいだろ?」
「まぁ、確かに」
セラは少し歯切れの悪い返事をした。
納得できないのも無理はない。
「本音を言えば、多少の下心もある」
「不純です」
「ああ、不純だ。ただ、一切の欲目なしに人と関わる人間なんていないだろう?誰だって多少の打算はある」
セラはそっぽを向いて、まぁ、そうですね。と返事をする。あるのか、やはり。
「つまり、男の欲望を、応援したい気持ちというオブラートで優しく包んだものが握手券というわけさ」
「イーはどうなんですか?」
「どうとは?」
「してたんですか?ファン」
答えに困った。
それは彼女の視線が、冷たい何かを孕んでいるからであった。
男の推し活というものは、女性のそれに比して白い目で見られがちだ。趣味はアイドルを推すことです、と答えた日には、現実を見ろ、という言葉で八つ裂きにされる。そんな趣味だ。
だからこそ、俺自身多少の後ろめたさというものもある。
「してるとも」
「今もですか?」
「ああ、セラのファン一号だ」
誤魔化すための台詞は存外に臭いモノになってしまった。
言わなきゃよかった、という後悔が胸元をえぐり取る。
恥ずかしさで、逃げ出したくなる。
否定されることが何より恐ろしい。
それでも、例え動機が誤魔化しであっても、言ってしまったからには全うしなければいけない。
こういう言葉は、言われた側はもっと恥ずかしいものだ。
逃げ出したくなるものだ。
だからこそ、俺だけは真剣に言葉を続ける。
「セラの夢を応援させてくれないか?」
セラは俺から視線を外さなかった。
恥ずかしさに逃げたりしなかった。
「もちろんです」
セラは笑顔で俺の手を取った。
誓いの握手のつもりらしく、軽く手のひらを撫でて離す。
この握手券は高くつくな、という冗談は胸に仕舞っておくことに決めた。
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