司祭

 推しがあれば飯はいらない、などという言葉を聞いた覚えがない。

 

 推しがいれども飯はいる。人間という生物の欲深さに感服しがらも、俺は目の前のパンにありついた。

 硬い黒パンを具のないスープに浸し、少しずつ咀嚼を重ねる。その様子を司祭はニコニコとした笑顔で眺めていた。


「旅のお方、まさかゴブリンに襲われるとは。さぞ酷い目に遭ったでしょう。どうぞ、教会でゆっくりとお休みください」

 この世界の教会はそこそこに裕福だ。それに加え、そこそこに気前もいい。一日くらいの寝食ならば、喜んで提供してくれるらしい。それもこれも、聖女さまさまである。


 真っ白な漆喰彫刻が目に眩しい教会で、貧相な飯を食べる。床にはステンドグラスを抜けた色とりどりの光が散らされており、芸術の造詣がなくともその美しさを楽しむことができた。見上げれば、天使がラッパを吹く様子を再現したステンドグラスが太陽の光を柔らかく受けている。


 このような環境で飯を食えば、いくら飯が貧しかろうが、心が洗われるというものだ。なにより、自身が悪魔であるという事実を忘れさせてくれる。


「ところで」

 司祭が口火を切った。

 俺は姿勢を正し、向き直る。


「セラのこと、何かご存知ないですか?」

「セラ?」

「セラ・レスファンです」

 司祭は、若草色の、と髪を指さす。

 ピンときた、推しのことだ。


 思えば、彼女の名前を聞いてなかった。何となく、本名を尋ねることに罪悪感めいたものを感じていたのだ。自分が知っていいことなのだろうか、などと関係に一線を引くようにしていた。


 司祭に対し、俺は納得したように頷き返す。

「先ほど、あなたを迎え入れたあと、走り込むようにして自室に走っていきましてね。いえ、その、あなたが何かしたのだと疑っているわけではないのですよ。年甲斐もなく、いつも走り回っていますから」


 まぁ、あの尋常でない様子を見れば、心配に思うのも当然だろう。


「そうですね、。セラの秘密を一つ教えてもらったんですよ。それが後で恥ずかしくなったんでしょう」


 司祭は微笑みを崩さず、ハーブティーを口に含み、言った。

「それはまた、どうして?」

「さぁ、私にはさっぱり」

 司祭は見た目年齢五十を優に超えるご老公だ。全てを見透かしたような人物相手に、変に嘘を吐いたり、誤魔化したりというのは良くない気がした。

 正直に全てを明かすことに決めたのだ。

 もちろん、セラの名誉は守りつつも。


「セラはあなたを見殺しにしたと悩んでいました。ですので、彼女なりに、その帳尻を合わせようとしたのかもしれませんね」

 ゴブリンのことだ。襲われたわけでもないので、気にしていなかったのだが、彼女なりに悩んでいたようだ。

 そこで、彼女のとっておきの秘密を明かして、ちゃらにしようと思ったらしい。結果、本気で応援される、という手痛い反撃にあったわけだが。


「しかし、なるほど。あなたは良い人そうだ。いいでしょう。この村での滞在を認めます。寝食に困れば、しばらく教会にでも泊まりなさい」

 新事実、俺は村への滞在を認められてなかったようだ。

 それも当然の話。セラの横暴で危険人物の滞在が認められれば大変だ。


「はは、ありがたき幸せ」

 少々、おちゃらけた返事をしてみる。この世界の言語がどのように伝わっているか気になった。


「おや、意外に教養もおありなんですね。いや、意外と言っては失礼ですか」

 あははは、と司祭は上品に笑う。


 なにがなんだか分からないが、異世界の聖書的存在の一節に置き換えられたのかもしれない。やはり、この世界の住人が日本語を使っているということはなさそうだ。


 俺は残ったパンくずを口に押し込んだ。

 急速に失われる口の水分を、スープで補填し、立ち上がろうとしたとき………、

「セラの部屋に寄っていってはいかがですか?『熾こした火は消さねばなりません』でしょう?」

 まずい、俺は司祭の闘争心に火を付けてしまったのだ。このままでは教養バトルが始まってしまう。

 さっさと退散しよう。


「お言葉に甘えます。それではまた」

「ほう、その『それではまた』とは、もしかして、ヨフの預言記序文『我道に惑いて久しく………』」

 やはり、俺は変なスイッチを押してしまったようだ。


「私のような若人を虐めないでください。たまたまですから」

「ふふ、冗談です。セラも待っているでしょうし、行ってやってください」

 お茶目な人だ。しかし、冗談にしては真に迫り過ぎていた。やはり、この老人の前で見栄を張るのは止した方がいいな。




 この教会は高くそびえる鐘楼を持った石造りの白塔だ。正面からみれば、後で付け足したような宿舎が接ぎ木をするように併設されている。宿舎は廃墟と見まがう程に劣化しており、この教会の実年齢の高さを伺わされる。

 下手をすれば司祭よりも高齢かもしれない宿舎の、さらに昔に教会は建てられたのだろう。


 そんなオンボロ宿舎に、セラはいた。

 新米アイドルの暮らす共用宿舎と聞けば聞こえはいいが、実態は黴と虫の楽園であり、いくら彼女らが高い衛生観念を意識しようとも、鉛を金に換えることはできない。

 一歩歩くごとに、ミシミシと悲鳴を上げる廊下を抜け、付け根が劣化し持ちあげなければ開くこともできない扉を開け、ようやく、セラの自室の前へとたどり着く。



 二度のノック、返事はない。

 念のため、三度目のノックを試みる。


「放っておいて」

 声音が違う。セラの声だが、柔らかさがない。

 そういえば、俺は声を出していなかった。この扉をノックするのも、彼女の家族くらいだったのだろう。だからこそ、セラは俺を物凄く親しい家族の誰かだと勘違いしているのかもしれない。


 ただ、俺の名前を言っても伝わらない。俺たちは自己紹介だってしていなかったんだ。

「ああ、名乗ってなかったな。司祭に言われて来たんだが。自己紹介だけしていっていか?」


 暫しの静寂、ダン、彼女がベッドから崩れ落ちた音だろうか?次いで、ドタバタといった、部屋の中を走り回る音、ガラガラ、本が崩れ落ちたのか?

 ドン、と扉によりかかるような音が聞こえて、ようやく扉が開かれた。


「そ、その、何の用ですか?」


 扉の隙間から、セラの檸檬色の眼が覗いている。

 警戒心が強いのは良いことだ。


「挨拶していけと、司祭に言われてな」


 扉が閉まる。再びの騒音。

 猫と追いかけっこでもしているのか?というつまらないジョークを思い付く。心に仕舞っておこう。



 五分が経過しただろうか。もしかしたら、セラは俺と話すつもりはないのかもしれない。あっちいけ、の一言さえ億劫だったのだと、そう納得しようとしたとき、やっと扉が開いた。

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