聖女見習い
誰かが言った。推しているのではない、推させてもらっているのだ、と。
緩やかに続く農道を歩き、流れる案山子を見るともなしに眺めていると、やはり疑問が生まれてしまう。
この世界にアイドルはいるのか?
もしいないのであれば、俺の人生は大幅な方向転換を迫られることになる。推し事、という言葉のない世界。最も近似する言葉はなにかといえば、ストーカー、粘着男、変態などが該当する。
行く末は犯罪者だ。
悪魔などという高尚な生物が、覗きで捕まった日には、ゴブリン長老も憤死すること間違いなし。
よし、まずは、この世界の情報を集めることを目標にしよう。
そして、出来るならアイドル文化を見つけよう。
などと、無駄な思考を垂れ流している内に、村へとたどり着いた。
しかし、村というにはいささか規模がデカい。深さ2mの堀に囲まれている。
村の中はレンガ造りの家々が立ち並ぶ。
奥の広場には、雑貨市やら、金物屋などの姿が見え隠れし、小さいながらも、村の中で様々なものが充足しているのが伺い知れた。
門は開いている。先ほど、流れの商人が何食わぬ顔で通っていたのだから、と俺も堂々と通り過ぎようとしたのだが、
「おい、ちょっと待て」
捕まった。
「はい、何でしょうか?」
「こんな辺鄙なところに手ぶらで来る奴がどこにいる?何か身分を証明するものを見せろ」
困った。
門番のおじさんは、鉄製の鎧を身に着けた厳格そうな人物だ。
袖の下など通るはずもなく、そもそも持ち合わせの金すらないのだ。
どうする、どんな嘘がいい?
異世界から来たなどと正直に言えば、どうなる?それが普遍の現象であれば、問題はない。ただ、転生が過去に何度も起こったのなら、この世界の文明はもっと進んでいるべきなのではないか?
シャツの下を冷や汗が伝うのを感じる。
動悸が高まり、手が震える。俺は嘘を吐くのが苦手だ。罪悪感もそうだが、バレたとき、が脳裏をよぎって、居ても立っても居られないのだ。
一旦撤収して、作戦を練り直すか?いや、それでは余計に怪しまれる。であれば、信頼される言葉を、表情を取り繕うべきだ。
異変を感じた門番がいよいよ、人を呼ぼうとしたとき、声が響いた。
「あ、いたいた。彼ですよ。彼があの」
聞き覚えのある声だ。
この世界に聞き覚えのある声といったら二つしかない。長老ゴブリンの声は忘れてしまったので、実質一人だけ。聖女見習いの声だ。
門番の後ろから、彼女はひょっこりと首を出した。
前よりも近い。
「いやー、いきなりゴブリンに連れ去られてしまって心配したんですよ?で、どうやって切り抜けたんですか?」
想像よりも、少しだけお転婆だった。捲り上げた袖口からは細い小麦色の腕が伸び、その手は俺の服を引っ張った。
「とにかく、中に入って、話を聞きますから。さっ、入って入って」
「いや、そんな勝手に」
困惑する門番をよそに、彼女は問答無用で、俺を門の内へと入れてくれる。
危機感の欠如ではないのだと思う。
彼女の天性の爛漫さがそうさせるのだろう。
村の中を案内を受けながら歩き進む。
―あれが、シーゼさんの家で、彼、先日、腰痛で倒れたんですよ。それで、流れの治療師に治療魔法を頼んだら、なんと、金貨二枚も取られたんですって、流石に信じられないって話してたんですけど、腰痛が治るどころか、身体の節々の痛みが全て治って、前よりも元気になって、だから、値段相応だねと笑ってたら、目の前にその治療師がいて、深いローブを被ってたので顔は見なかったんですが、綺麗な白髪が裾から覗いていたんで、もしかしたら聖女様じゃないかって噂で………
長い。長い上に、イマイチ話しが入ってこない。しかし、彼女が嬉しそうに話す姿を見ればこちらまで微笑ましい気持ちになってくる。
しかし、そうか。この世界にはやはり魔法が存在するようで、その代償か、科学文明は地球よりも少々遅れている
貨幣経済はあるが、資本主義の赤ちゃんといった風情で、まだまだ、アイドルには程遠かった。それならば、踊り子に期待すべきだろうか、いや、吟遊詩人にもアイドルとしての側面を感じられる。
いっそのこと聞いてしまうか?
「少しいいか?」
「は、はい」
「真剣な話なんだが」
「なるほど、真剣に聞きます」
彼女はグッと身を乗り出した。
「アイドルって知ってるか?」
「それは、人でしょうか、モノでしょうか」
知らないか。やはり、そう全てが都合よく進むわけでもない。
「ショックを受けないでください。私に、そのアイドルというものが何か教えてください。出来る事があるかもしれません」
「そうだな、アイドルはまず、歌って踊る」
「ほう、吟遊詩人の孫ですな」
「次に、握手で金を取るな」
「それはその、いかがわしい意味ではなく、本当に握手で?」
頬を朱に染め、俯きながら聞いてくる。
まずい、俺の印象がセクハラおじさんで固定されてしまう。
俺はすぐさま、首を縦に振った。
俺の身振りを見て、彼女はホッと息を吐いた。打って変わって、彼女は天使のような笑顔で手を差し出してくる。
俺は少し逡巡し、手を握る。
「まいどありー、なんつって」
天才だ。アイドルの天才がいる。アイドル界のラマヌジャンといっていい。
「しかし、アイドルとは、不思議な職業もあったものですね」
「そうだな、目指す気はないか?」
気づけば、意思よりも言葉が先んじていた。無一文で故郷もない男が何を言う。なんて無責任な。しかし、出た言葉の責任は取らねばなるまい。
はいと言って欲しいのか、いいえと言って欲しいのか、自分でも良く分からずに答えを待った。
「面白そうな話ですけど、無理なんですよね。私、夢があるんです」
当然という気持ち、安心する気持ち。ぽっかり空いた胸を微風を通り過ぎたような気分だった。
「夢か、どんな夢だ?」
「この話、村の人にはしないでくださいね?恥ずかしいので」
流れの者にこそできる話。そういうこともあるだろう。今日明日の関係だから、恥もかき捨てだ。
「私、聖女になりたいんです」
彼女は一人、きゃーっと、下を向いた。耳まで真っ赤だ。よほど恥ずかしい話らしい。
「その、なんだ。俺はここよりももっと辺境の地から来たんだ。だから良く分からない」
初めて、彼女は俺のことを睨んだ。
「はぁ、私の恥ずかしさを返してください。じゃあ、詳しく話しますね」
ぶっきらぼうに、されど、淡々と彼女は話を始めた。
「聖女見習いは誰でもなれるんです。でも、聖女は年に三人だけ、厳しい審査のもと決められるんですよ。もちろん、審査にはセス教の教会長だったり、枢機卿の方々、先輩の聖女が関わります。偉い方の推薦も必要です。かといって、民との関りももちろん必要で、地域でも一角の人物だけが候補に選ばれるんですよ。学問はもちろん、舞踊に誓詞、奉神歌も納めなければいけません。年に三人といいましたが、最高で三人です。選ばれない年なんてのもあるくらいで、とにかく、聖女ってのはすごいんですよ?」
まさか
「審査では何をするんだ?」
「オリジナルの舞踊を節を付けて歌い踊ります。しかし、審査では素行も含め、様々な基準で評価されるそうです」
まさか
「審査はどうすればできる?」
「推薦人を揃えるのはもちろんのこと、功績が必要です。魔を滅したでも、聖水や聖印を多くの人に広めたでもいいです。名声もある程度は必要でしょう。街での聞き取り調査も為されると聞いたことがあります」
やっぱり
「ほぼアイドルじゃないか!」
思わず、大きな声が出てしまった。
失念していた。アイドルという名前でないにしろ、もっと似た形態のものがあったじゃないか。
つまりあれだ、客を集めて、名を売り、審査員の前で歌って踊る。多少の宗教色が含まれるにしろ、大筋は同じなはずだ。
そもそも、アイドルの直訳は偶像だ。元が宗教語であることを考えれば原点回帰といえよう。
俺は思わず倒れ込んでしまった。
この世界でも推し活をできることを考えれば、喜びもひとしおというもの。
「あ、あの大丈夫ですか?」
おずおずとこちらを覗きこむ、推しの姿。
いや、落ち着け、彼女はいわばアイドル候補生。自分のような部外者が、彼女の人生に土足で踏み込むなどあってはならないことだ。
ともあれ、原石といえど、宝石は宝石だ。
「なれるとも」
「何にですか?」
「アイドルに」
「なりませんって」
いけないな。聖女=アイドルという図式が頭の中で出来上がってしまっていた。
「すまん、言葉を間違えた。聖女に」
瞬間、彼女は茹だるような朱色へと染まっていく。首まで真っ赤になりながら、何かを堪えるようにして言った。
「それは、本心ですか」
俺は自信をもって答えた。
「ああ」
彼女は駆けだした。返事もせず、どこかへと走り去ってしまう。
俺は妙な清々しさが心地よく、硬い土を背に、しばらく空を眺めていた。
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