推し活!異世界でNo.1 聖女を育てるには?

茜屋降

異世界転移

 推しのためなら死んでも叶わない、などと言う奴がいる。

 俺もその一派であり、推し事を遂行するために、死ぬもの狂いで働いている。SEとして、一日中を会社で過ごす。家に帰らぬ日が三日続くなどは当たり前、家に帰る時間があれば、推しに会いに行く。

 生き方に不満を持ったことはないし、特段、不安を感じたこともない。

 はずだった。



 その日は、推しの地下アイドルの特典会。地下アイドルの特典会と聞けば、何かいかがわしいことを想像する人も多い。実際、そういった過度な接触を伴う特典を提供するアイドルもいるにはいる。

 だが、そういったアイドルは俺の趣向には合わず、推しもいわゆる清純派に該当する売り方だった。そのせいか、握手一つとってもべらぼうに高い。今月だって、給料の三分の一が飛んで行った。

 それでも推しと対面し、二言三言会話をする。

 俺のことを覚えていてくれる、見てくれる、となれば値段のことなど、全く気にならない。むしろ安いくらいだった。


 その日もいつも通り、人生の栄養補給を済ませ、大事なチェキを抱え、早々に退散するはずだった。


 見覚えの無い奴がいた。推しは地下アイドルだ。ファンも少なければ、界隈も狭い。新顔を除けば大抵は見知った顔ぶれだ。特に、大金が飛ぶ特典会となれば、その傾向は強まる。にも関わらず、推しの列に見知らぬ奴がいる。

 そいつは体育で使うダサい白スニーカーを履いていてた、服は丈があっておらず、所々くすんでいた。目線も一か所に定まっていない。興奮しているようにも不安がっているようにも見える。警官が見れば真っ先に職質をするようなやつだ。



 声を掛けようとは思わなかった。ちょっとした好奇心で、少し眺めていようと思っただけのはずが。

 気づけば、走り出していた。

 pcの入ったバッグを乱暴に投げ捨てて、重いブーツを脱げ捨て、走っていた。

 そいつが取り出したのはナイフだ。偽物かもしれない、ちょっとしたドッキリかもしれない、ただ疑念を晴らす余裕などなかった。


 推しと危険人物の間に、飛びこむように身体をねじり込む。

 ナイフが到達する前に。


 どうにか………間に合った。



 ようやく気付く。ナイフは俺に刺さっている。危険人物の腕を捻じり上げるよりも早く、会場スタッフが引き離すよりも早く、ナイフの切っ先は俺へと到達していた。


 死への恐怖で、視界が歪む。

 思考の片隅で、そんなわけないだろ、ちょっとした怪我なんだという楽観が生まれる。血がドクドクと流れる。俺の腹部から滴る血が膝元を濡らしていく。

 ぐっしょりと濡れたスーツは重い、それ以上に身体が重い。


 騒ぎが伝染する会場は、喧騒に揺れている。そのはずなのに、音の発生源はゆっくりと遠のいていく。


 視界が濁る。

 光が瞬く。


 手足が痺れ、末端から徐々に感覚が薄れていく。

 自分が溶けて崩れていくような錯覚が生まれる。


 なにより、職場の人間に申し訳なく思う。

 引継ぎ大変だろうな。


 立つ気力も失せ、倒れこんでしまった。

 そこでようやく、推しの顔が映った。


 推しの顔は恐怖に歪み、ショックで放心状態と化している。


 そこでようやく、思った。


 もったいないな。最後がこの顔か。






 その時の感覚をどう形容すればよいか分からない。目を覚ました、というよりも、我に返ったという感じだ。

 最初から、自分の意思でそこに立っていました、といったような、そんな風に、俺は異世界へと転生していた。



 鬱蒼と茂る森林と、どこまでも続く野原の境で、俺は立ち尽くしていた。


 都会の喧騒から離れ、複雑怪奇なコンクリートジャングルから抜け出した、だのに、俺の耳に残るのは暗い会場で鳴り響く重低音だ。耳を澄ませば、今でも推しの歌声が聞こえてくる気がする。

 風が野草をすり抜ける音に紛れて、確かに聞こえてくるはずなのだが。



「あの、ええと、旅人の方ですか?」


 背後からの声が歌をかき消した。

 振り返ってみると、そこにいたのは、一人の少女だった。


 若草色の髪は上品に結わえられて、お日様を煮詰めたような目の輝きが、こちらを見下ろしている。どこか垢抜けないような彼女の恰好、背丈は、俺の前世の推しにそっくりで、気づけば、一筋の涙が頬を伝った。




 と、俺と彼女の出会いを情緒的に語ってみたのだが。

 端的に言う、神様はクソだ。

 こともあろうに、俺は悪魔で、彼女は聖女。言うなれば、俺は油で、彼女は水だ。まぁ、正確にいえば、聖女見習いなのだろうが、そんなことどうだっていい。俺はこの世界で悪魔として生まれてきてしまった。



 俺は彼女と別れてすぐ、ゴブリンの群れに拉致された。そこで判明した事実は二つ。俺は悪魔という種族で、この世界に混沌を起こすために生まれてきたらしい。二つ目、どうやら、俺は高位の魔族でこの世界の人類の敵として、相当に恵まれた生まれらしいこと。


 緑肌に小さな体躯を持つゴブリンは、俺にへつらいながら、そのように話してきた。最後に、村を襲う手伝いをしろとも。


「ですから、我々といたしましても、高位の悪魔であるあなた様と共に、この平野のの掌握を目指してですね」


 明朗な日本語に反して、垢抜けない胡散臭さがポイントだ。異世界語の翻訳者は良い仕事をしたと思う。いるかは知らんが。


「あなたには、王となる資質があるんですよ?神から賜りし力を使わないのは悪徳です」

「なぁ?」


 俺は悪魔らしい。黒い翼も、漆黒の肌も長い爪だってありはしない。


「は、はい。その悪徳とはですね、決してあなたのことを愚弄したわけではなく………」

「そうじゃなくて、どうして、俺が悪魔だと分かったんだ?」

「匂いです。魔力の匂いと言うべきでしょうか。同族であれば、決して、見逃すことのないような凶悪な匂いがあなたからは漂っているのです」


 どうやら俺からは悪魔スメルが漂っているらしい、心外だ。


「その匂いってのは、聖職者、例えば聖女には分かるものなのか?」


 長老ゴブリンは眼を白黒しながら答えた。


「私としても、ほんの数十年しか生きていませんが、魔力をもとに、存在を気取られた経験はありません」

「なら、俺は完全な人間として生きていけるのか?」


「これは仮定の話ですが、あなたが悪魔としての力を使わないのであれば、そうでしょうな。しかし、逆に一度でも悪魔固有の力を振るえば、直ちにその力の源を聖職者どもは感知することとなるでしょう」


 なるほど、つまり、俺は普通の人間としてやっていけるわけだ。ちょっとした制約つきで。


 俺はゆっくりと立ち上がる。


「すまないが、協力してやることはできん。だが、色々と情報を貰った恩もある。この場所、この話は知らなかったことにしよう」


 長老ゴブリンは俺を追うようにして立ち上がる。


「冒涜です。神への冒涜ですぞ。そのような力を得ながら、その一切を隠そうとするおつもりですね」


 俺は元居た道を辿り、村を目指す。

 背後からは、ただ大きな声だけが響いている。


「いずれ、時代があなたを見つけることでしょう。あなたは選ばなければいけない。人と生きその一切を奪われるか、魔族と生きその一切を奪うか」


 俺には心から決めたことがある。

 俺はこの世界でも変わることはなく、推し事を完遂すると。

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