三話 一

 見せるもんも何も無いし、普段の状態であれば魔力は使えない。

 なのでまあ、スキルなんて間違っても使うことはない。

 汚いという概念が無い、物が少な過ぎる部屋を少しばかり掃除して、午後七時……

 インターホンが鳴った。


「……はい」

「月雪澪です」

「はい」


 玄関のドアを開けると、制服姿の月雪澪がいた。


 上がってもらって、椅子も何も無い部屋に直に座る。

 月雪澪は正座で座った。


「月雪さん、なんでここに来たんだ?」

「昨晩のお礼がしたくて」


 さて、しらばっくれよう。


「……その、俺……ジャナイヨ?」

「貴方じゃないんですか?」


 とは言うが、俺であることを疑っていない声音だった。

 ここで誤魔化してもどうせ後で証拠とか見せられて詰められるだろう、と思い、下手な演技は辞めることにした。


「まあ、いや……その……俺なんですけども。本当に、お礼とか大丈夫ですって」

「いえ。そういうわけには行きません。恩は忘れてはならないと思っています」

「恩……か」


 そう言われましても、と思ったが、ここで問答を続けるほど愚かではなかった。

 とっととお礼とやらをして帰ってもらおう。


「じゃあ、礼って一体なんなんだ?」

「こちらです」


 月雪澪は一度ハンカチで手を拭いて、学生鞄から……


「……プリン?」

「つまらないものですが……」


 と。ぱっと見全然つまらなくないものを差し出してきた。


 現代社会に馴染めていない俺でも聞いたことがある。

 よく電車の中でJKが話しているプリン。

 一個千二百円だとかの世界だ。毎日これを食べる人も少なくはないので、結構驚いている。


「……ほ、本当に食べていいのか……?」

「はい」


 プリンの容器を持ち、滑らかな内容物を眺めた。

 スイーツのことについてはあまりよく分からないが、持っただけでぷるんと揺れた。

 めっちゃ美味しそうだ。後で妹にプレゼントしよう。


「では、失礼しました」

「あ、ああ」


 そうして、月雪澪は去っていった。




 now loading……




 それに気付いたのは、すぐのことだった。


「あ?」

 ハンカチが落ちていた。

 無地、白色、触り心地がとてもいいハンカチ。

 状況から察するに、月雪澪が落としていったものだろう。


 彼女とは一切世間話もしないし、まだまともに出会って二日程度である。

 流石に学校で届けたら邪推されるだろうな……と思いながら、ハンカチをジップロックに入れた。


 探索者はジップロックやタッパーを多く持っている。これは、剥ぎ取った肉等を清潔に保管するためだ。

 また、ビニールの使い捨ての手袋も持っている。


 流石に直で触るのは気が引けたので、ジップロックに入れて、床に直接触れないようにしておいた。

 一旦の処遇を決めた後、月雪澪にチャットを飛ばす。


『ハンカチ忘れてるので届けたいんですが、今どこにいますか?』

『すみません。駅のホームにいます。取りに戻るので大丈夫です』

 と。戻ってこようとする。


『いや、丁度電車に乗る用事があったから、ついでに届けに行きます』


 そう言うと、『分かりました』と返信があった。




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 改札を抜けたすぐそこで、月雪澪は待っていた。

 元が有名人な彼女なので囲まれているかと思ったが、意外なことに、囲まれては居ないようだ……

 まあ、現代社会では一目見ただけでセクハラになる世界だ。

 特別理由もない限り、有名人なんて地雷原でしかない。

 近付くと制裁、撮ると制裁。中々恐ろしい世界である。


「……こんばんは」

「こんばんは」

 と。俺の場合は用事があるので、声をかけに行く。


 ポケットからジップロックで保護されたハンカチを取り出して、ジップロックを開け、中のハンカチを渡す。


「これ、どうぞ」

「ありがとうございます」


 どうせ弾まない会話に精を出しても仕方が無い。

 が、流石に少しくらいは雑談しておこう。


「やっぱり、迷宮都市すか?」

「はい。あそこならモンスターが強いので」

「イレギュラーの死亡率が格段に低いですしね」


 同じ目的地か……


「影宮さんもそこですか?」

「まあそうすね……というか、前怪我したばかりなのに大丈夫なんですか?」


 「大丈夫です」と返される。

 まあ大丈夫というなら大丈夫だろう。ああいう都合の悪いイレギュラーなんてそうそう起こるはずがない。


 間もなく、二番線に、新宿、迷宮都市行きの電車が参ります。と、どこからか声がする。


 少し慌てながら階段を降りて、電車に乗った。




 now loading……




 フォン学園前駅の次の駅。

 都内、新宿近郊の地下に広がる大迷宮。

 生態系の多くを破壊し、人はそこに住み着いた。

 地下帝国、とか。迷宮都市、とか。そう呼ばれている。


 こんなことしてるのなんてぶっちゃけ日本だけだ。

 首都、中央機能の集まる場所の直下にこうも都合が悪く巨大ダンジョンが出来てしまったので、こうして中に都市を作ってしまっている。


 その巨大度合いは、世界三大ダンジョンの一つに入る。

 面積的には、都内から海底の地下、埼玉県北部西部、茨城県のほぼ全域、西に行けば名古屋手前くらいまでの大きさになる。

 だが運がいいのか悪いのか、傾いていた日本経済をダンジョン産業によって回復出来たという事実がある。


「……」

「……」


 電車内は、この時間だからか、思ったより空いている。

 最近は労働時間の分散が進み、電車はガラガラな時も多くなった。

 とはいえ、全くのゼロ、というわけではない。

 座れはするものの、ベラベラと喋れる程ではなかった。

 となると、スマホを見るくらいしかない。

 とはいえこの間柄だと、スマホを弄るのも気が引けた。


「……影宮さん」


 悩んでいるとその時、小声で話し掛けてくる。


「なんですか?」

「その。言いたくなかったら言わなくてもいいです。

 なんで、あの時の力を隠して生活してるんですか?」


 あの時の、力。


「あの力のことを知られたら、あんまりよくないんで、使ってないですね」

「……私のスキルより、よっぽど強く見えました。少し、興味があるんです」


 しかし、なおも教えてもらおうとする。

 あの力は軽率に使うものではなかったな、と今更ながら微妙に後悔した。


「あの事件の時、上から貴方の事が見えました」

「……魔物化、か」


 魔物の近くには、魔力がある。


「影宮さんの力なら、何もバレずに使えたと思います」

「まあ確かに、風の力でも、似たようなことは出来ますしね」

「何か事情があるなら、私、協力しますよ」


 ……俺はその発言に、面食らってしまった。


「……責任、か」


 ふと俺は、そう呟く。


「そこまでしなくても大丈夫ですよ。

 俺の事は、自分でやります」

「……いつでも、私や他の人を頼って大丈夫ですよ。責任なら、投げ出しません」

「そう言っても、この関係性だと、あんまり頼れないかな……」


「じゃあ、友達にでもなりますか?」

「え?」

「え?」


 あまりにも唐突な提案に、鳩が面食らった……

 じゃなくて、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔になる。


「友達?」

「はい」

「俺と? 似合わくないですか? フツメンですよ?」

「……その。実は私、こう……

 現人神扱いに近い扱いをされている、というか……

 しかも一人っ子だし、親も仕事で忙しくて、コネも無くて……

 ……なので。


 友達みたいな人、いなくて」


 ……

 ……


「安心してください。俺も、友達なんていません」

「……」

「俺、なんとなく言いたいことわかりましたよ。

 昨年度首席合格、六花の姫君とも呼ばれ、ドキドキしながらスキルの鑑定を終え、期待に応えながら丸一年。

 今年度首席合格の影宮という女の子はとても可愛くて、しかも、スキルも素晴らしいものだという噂が立っている。

 丁度同じクラスに同じ苗字の兄らしき人物がいた。


 安心して下さい。俺は友達の為なら、兄としての責任を少しばかり全うすることが出来ます」


「そうしたら……その……」


「そうですよ。タピオカミルクティー、パンナコッタ、ティラミス、ギャラクティカローリングダイナマイトパンケーキ……」


 ……

 ……


「敬語、辞めましょう? 私達、友達ですよね?」

「そうですね」


 小声ながらも、そうして俺達は、友達となる。


 俺は左手で、月雪澪は右手で、それぞれ、相手から遠い方の手を使って握手した。


 その直後のことだった。


 ガタン、と。電車があり得ないほど大きく揺れる。

 魔力が、空間に満ちる。

 そして。


 事件は、起こった。

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