不妄語戒

 遅くなってしまったが近藤に電話をかけた。

「おう」と相変わらずぶっきらぼうだが、阿佐部からの電話を待っていたようだ。

 日課となっている情報交換だ。阿佐部から東京での捜査状況を報告する。「うん、うん」としか言わないが阿佐部からの報告に聞き入ってくれる。

 阿佐部の報告が終わると、県警での捜査状況を教えてもらう番だ。

「何もない」と近藤が短く言う。報告が無いことを申し訳なく思っているのだろう。「分からないのは、何故、あんなところに黄鶴楼を建てたのかということだ」と珍しく自分の意見を披露した。

「と言いますと?」

「黄鶴楼は宿泊施設だよな」

 近藤は言葉数が少ない。

「そのようですね」

「道路を遮って建物を建てて、孤島に見せかけてある。唯一の侵入箇所である港は地震の影響で崩壊した状態だ」

 阿佐部は近藤の言わんとしていることが理解できた。「なるほど。人を呼ぶ為の施設なのに、一旦、入って来た獲物を逃がさないようにしている罠に見えますね」

「獲物を捉まえる罠か。良いことを言う」

「あれだけ大掛かりな罠を仕掛けるとなると・・・」

 阿佐部が黙り込んでしまったので、近藤が言った。「建物の爆破は偶然じゃなかったのかもしれない」

「初めから仕組まれていたということでしょうか?」

「分からない」

「まるで彼らを殺害する為だけに建てられた施設のような気がしますね」

「うむ」

 だとしたら恐ろしいことだ。

「牧野が犯人で決まりでしょうか?」と尋ねると、近藤は間髪入れずに「違うだろうな」と答えた。

「違いますか?」

「違う。やつじゃない」

「何故、牧野じゃないのでしょうか?」と聞いてみると「護摩行をした」と答える。

「護摩行ですか⁉」

 テレビのニュース番組だったが、プロ野球選手が燃え盛る炎の前で、一心不乱に祈る姿を見たことがある。「あんな派手なやつじゃない」と近藤は言う。

「仏様の知恵の炎により心の中の煩悩を焼き払うのだ」

「はあ・・・」どう反応して良いのか分からない。

「そこで見えたのは羅刹女の姿だった」

「羅刹女・・・ですか?」

「羅刹女は初め、人の精気を奪う鬼女だったが、仏様の説法に接し、神女となった神様だ。非常に美しい容貌を持っている」

「美しい女神・・・ですか」

「仏教を守護する護法善神の一人だ」

「柴崎亜由美のことなのでしょうか?」

「あの女が女神とは思えないな」

「では、どういう意味を持っているのでしょう?」

「それがどういう意味を持つのか知らん」だが、「仏の教えだ。疎かにしてはならない」と近藤は言う。

 電話を切ってから阿佐部は考え込んだ。女性だ。事件の裏に女の陰があるということか。


 名刺にあった電話番号は福永昌弘名義で開設された電話番号であることが分かった。牧野は福永昌弘から買い取った個人情報で携帯電話を開設したのだ。事件後、ほどなく電話契約は解消されていた。

 電話会社に確認を取ったが、電話の申し込みや取消は書類の郵送だったようで申込者の顔は分からないと言うことだった。事件の背後に、福永の名を騙った牧野がいることは分かっているのだが、それを証明する証拠が見つからない。

 自分がやったと牧野が認めているのは、福永昌弘の名刺を作ったことだけだ。

「うぬぬぬ・・・やつを追い詰めるネタが欲しいですね」竹村が歯噛みする。

「事件を振り返ってみましょう。柴崎の供述に嘘はなかったと仮定して自分なりに考えてみました。先ず、最初に内村――いや、柴崎亜由美でしたね。亜由美が塔から転落して死亡しました。これは恐らく、誰かに突き落とされたものでしょう。彼女は殺害されたと考えています」

「ええ」竹村と吉田が同時に頷いた。

「次に長谷川真理子が部屋で首を絞められて殺されていました。そして、同じように首を絞められて殺された水谷の遺体が玄関前の丸池で見つかりました。そこから、疑心暗鬼になった黄鶴楼の住人たちの殺し合いが始まります。犯人が意図したものだったかどうか分かりませんが、殺す手間が省けたとでも考えていたかもしれませんね。村田こと鈴木が日野さんを包丁で殺害、そして残った柴崎と鈴木が決闘を始め、柴崎が生き残りました」

「はい。その通りです」

「日野と鈴木の二人は誰が殺したのか、はっきりしています。鈴木と柴崎です。誰が殺したのか分からないのが亜由美、長谷川、水谷の三人です。

 黄鶴楼は陸続きの半島の先にあったのですから、外部から簡単に侵入することができました。当時、屋敷にいなかった人間であっても犯行が可能です。いや、犯人は彼らが孤島にいると思わせようとしていた。ということは外部の人間ではないか。そう思っています。

 外部からやって来た犯人が三人を一人ずつ殺して行った。そして、残った住人が殺し合いを始めた。先ほども言いましたが殺す手間が省けただけかもしれません。ですが、犯人はこの三人だけは、どうしても自らの手で殺害したかった。そう思えるのです」

「柴崎亜由美、長谷川真理子、水谷信二の三人を殺すことが、犯人の目的だった」

「はい。三人以外、残りの人物は鈴木のように人を殺めて逃げているような人間です。最終的に、みな殺してしまうつもりだったのかもしれませんが、それは黄鶴楼を爆破して、まとめて殺してしまう計画だったのではないでしょうか?

 犯人は彼らに孤島にいると信じこませた。居場所はあの屋敷、黄鶴楼しかなかった。他に行くところなどありません。建物を爆破してしまえば誰も助からない。犯人はそう考えた。あくまで犯人の目的は亜由美、長谷川、水谷の三人を自らの手で殺すことだった」

「柴崎亜由美、長谷川真理子、水谷信二の三人に対して恨みを持つ人物、それが犯人だという訳ですね」

「想像に過ぎませんが、犯人はあんな巨大な建物を建てておいて、それをあっさり爆破してしまうような人物です。牧野は大企業のお偉いさんかもしれませんが、巨大な別荘や塔を建てておいて、それを破壊するとなると、ちょっと違う気がします。もっと、もっと、財力のある人物が、彼の背後にいるような気がします」

「牧野も小物だと言うことですね」

「そんな財力のある人物と言えば・・・」阿佐部はそこで言葉を切った。

 近藤との会話からずっと考えていたことだ。黄鶴楼は犯罪者たちを撲滅する為の巨大な罠だった。彼らを殺す為だけにつくられた。

「現状、捜査の過程で浮上した人物の中で、想像に合致する人物と言えば成田孝臣ですか・・・」竹村がその名を口にした。

 成田孝臣は町の不動産屋だった会社を一代で大手企業、ナリタ・エンタープライズに育て上げた立志伝中の人物だ。カリスマ経営者として辣腕を振るい、今は第一線を退いてナリタ・エンタープライズの会長職を勤めている。

 彼ならば愛媛県の半島の先に巨大な施設を築き上げ、それを一瞬で爆破してしまうことなど簡単だろう。

 暫し沈黙の後、竹村が言う。「動機は何なのでしょうか?」

「分かりません。地蔵の前掛けを準備した人物が成田会長だと聞いて、彼が犯人ではないかという考えが芽生えました。私の想像通りだとすると、亜由美と長谷川の周辺を洗って行けば、水谷に行き着き、そして、成田会長に行き着くのではないかと思います。もし、万が一、その通りになれば、私の想像が当たっていることになります」

「成田孝臣が背後にいるとなると、少々、厄介ですね」竹村が嘆く。

 捜査に無用の圧力が加えられてはたまらない。

「竹村さん。僕が今回の事件とナリタ・エンタープライズを結び付けて考えたのは、実はもうひとつ理由があるのです。黄鶴楼で殺害された鈴木雅哉です。あの、村田と名乗っていた鈴木は、リサさんの事件を起こした時、勤めていた会社がナリタ・エンタープラズだったのです」

「そうだったのですか⁉」

 リサ・チャンの殺人事件は千葉県警の担当だ。事件当時、鈴木がどこの会社に勤めていたかは公表されていなかったので竹村も知らなかった。愛媛県警は鈴木の捜索に当たり、関連情報を知らされていた。

「すると、他にもナリタ・エンタープラズに関係がある被害者がいるのかもしれませんね」と竹村が言うと、「ああ、そう言えば」と、それまで黙って話を聞いていた吉田が口を挟んだ。

 阿佐部と竹村が視線を向けると「日野の飲酒運転の被害者、和田さんが住んでいた川崎のマンション、確かナリタ・エンタープラズが建てたマンションですよ。入り口に施工主としてそう書いてありましたから」と吉田が言った。

「お前、よく見ていたな」と竹村が感心する。

「細か過ぎることだけが僕の取柄ですから」

「そう卑下することはないぞ。人間、ちっちゃくても志は大きく持て」

「別に人間が小さいとは言っていませんけど」

 竹村は「はは」と大笑すると、「先ずはもう一度、柴崎亜由美と長谷川真理子の周辺を洗ってみましょう。そうすれば、水谷に繋がり、成田孝臣に繋がって行くはずです」と阿佐部に言った。


 水谷の素性が割れた。

 亜由美の結婚詐欺の発端となった井藤健太の自殺のことを洗いなおしたところ、水谷の存在が浮上して来たのだ。水谷は健太がアルバイトをしていた居酒屋の経営者だった。

 健太は亜由美に貢ぐために居酒屋のレジの金に手を付けた。当時、健太がアルバイトをしていた居酒屋で店長として雇われていた浅原という男から話を聞くことができた。

 浅原は五十代、痩せて俯き加減の陰のある男で「結局、これしかできないもので」と別の居酒屋で雇われ店長をしていた。ぽつぽつと言葉を区切りながら当時のことを話してくれた。

 店仕舞いを頼まれた健太はレジにあった売上金を着服した。二、三十万円はあったと言う。レジの金が無くなったことに気がついた浅原は健太を問い詰めた。健太は押し黙ったままで何も答えなかった。

「いいか。金は元に戻しておけ。そうすれば何も無かったことにしてやる。社長にバレると面倒なことになるぞ。あの人は金の亡者だからな。絶対に許してくれない」浅原はそう言ったが、金は亜由美に吸い上げられた後だった。健太にはどうすることも出来なかった。

 レジの金が入金されていないことに水谷は直ぐに気付いた。水谷は浅原を問い詰めた。止む無く事情を話すと、

――俺の金を横領しただと、ふざけるな!

 水谷は烈火のごとく腹を立てた。その場で電話をかけて健太を呼び出すと、「直ぐに金を持ってこい! さもなければ、お前を刑務所にぶち込んでやる。金がない? ふざけるな! じゃあ、生命保険に入れ! お前の命で弁償しろ! いいか!盗んででも明日までに、きっちり金を揃えてもって来い‼」と脅しつけた。

 その後、地下鉄駅に向かった健太は、電車に飛び込んで自ら命を絶ってしまった。青白い顔をして居酒屋を出て行った健太の顔が忘れられないと浅原は言った。

 だが、それだけでは終わらなかった。

 水谷は健太の母親に賠償を迫った。健太は母子家庭だ。水谷は家に押し掛けると母親に健太が売上金を盗んだことを伝え、「金を弁償しろ!」と迫った。しかも、母親には「健太が盗んだ金は百万円だった」と嘘までついた。

「奥さん、随分、無理をして金をつくったようだ」と浅原は気の毒そうに言った。母親から金をせしめた水谷は浅原に「どうだ⁉ よく覚えておけ。こうやって金は稼ぐもんだ! これが本物の知性ってやつだ」と豪語したらしい。

 そんな男だ。天罰が下る。

 ほどなく、水谷は居酒屋を手放し、無一文になることになる。「騙された! だから、うますぎる話だと思ったんだ‼」水谷は真っ赤な顔でそう言った。

 浅原も詳しいことは知らないと言う。絶対に儲かるという投資話があって、手持ちの金は勿論、居酒屋も抵当に入れて大博打を打ったらしい。それが全て裏目に出たというのだ。

 それもこれも、水谷の強欲のなせる業だ。水谷は一夜にして文無しになってしまった。

 結婚はしていない。女がいたらしいが、金の切れ目が縁の切れ目で、全てを失うと水谷を捨てて出て行ってしまったようだ。

 実家は九州の何処かだそうで、もう何十年も音信不通だという。天涯孤独、行方不明になっても誰も探さなかった訳だ。

 浅原ともそこで縁が切れた。

 こうして金に困った水谷は、黄鶴楼のマネージャーの仕事についたのだ。若い頃、ホテルで働いていたことがあるそうで接客は得意だった。

「先輩、水谷信二の素性が判明しましたが、何か、ちょっと、今までと違うような気がしますね」浅原から話を聞き終わり、居酒屋を出た吉田が言った。

「違う?何がだ?」

「今までのやつらは、窃盗犯や、人を殺していたりして、それこそ“ディス・イズ・犯罪者”ってやつらだったでしょう。水谷は悪いやつですけど犯罪者って言うには小物過ぎる気がします」

「何が“ディス・イズ・犯罪者”だ。英語を使えば、賢く見えるとでも思っているのか? 俺のように本物の知性を磨け! 井藤健太の件では小物に見えたかもしれんが、陰でもっと悪いことをしていたかもしれない」

「本物の知性って・・・水谷みたいに。先輩の口から知性なんていう言葉が出るなんて驚きですが、まあ、おっしゃる通りかもしれません」

「一言多いけど、人間、素直さは大事だ」

「さて、これからどうします? 水谷の過去を洗ってみますか?」

「そうだな・・・どうします? 阿佐部さん」

 二人の漫才のような会話に聞き入っていた阿佐部は突然、話を振られ「ええ、ああ、そうですね。井藤健太の母親に会ってみましょうか」としどろもどろに答えた。

 近藤から羅刹女の話を聞かされてから、ずっと考えていたことだ。この事件の背後には女性の陰がある。その前提に立って事件を見直してみると、まだ話を聞いていない女性がいることに気がついた。

「井藤健太の母親ですか?」

「亜由美、長谷川、水谷の三人が標的だった。そんな話をしましたよね。井藤健太という若者を通して亜由美と水谷が繋がった訳です。水谷は井藤の母親から金を騙し取っていた。井藤健太を追って行けば長谷川に繋がるかもしれません。そうなれば自ずと犯人が絞られて来るのではないでしょうか?」

「なるほど」と竹村は頷くと、吉田に向かって「いいか、これが本物の知性ってやつだ。よく覚えておけ」と言った。

「嫌だな。また水谷と同じことを言っている」吉田が顔をしかめる。

「あんなやつと一緒にするな。人間、謙虚にならなきゃ。がはは」竹村が豪快に笑った。

 井藤健太の母、希に会いに行った。

 ごくありふれた二階建てのアパートの一室に井藤希は住んでいた。一人息子の健太を失ってからも同じアパートに住み続けていた。昼間は近所のスーパーでパートの仕事をしているということで夕方の勤務が明ける頃にアパートを訪ねて来てくれと言われた。

 井藤希は四十代のはずだが、三十代と言っても通る若々しさだった。それに、安アパートが不似合いに見えるほどの美人だ。くたびれた中年主婦を想像していた三人は、ドアを開けてくれた女性が井藤希だと一瞬、気がつかなかった。

 薄いグレーのジャケットにスカート、白のブラウスとフォーマルないでたちだ。スタイルも良い。見た感じ、丸の内でバリバリ働いているOLのように見える。

「井藤希さんですか?」と尋ねると、「はい」と頷いた。

「刑事さんですか。どうぞ――」と部屋に通された。

 部屋の中は小奇麗に片付いていた。あまりに片付き過ぎていて、どこかもの悲しさを感じさせた。母子家庭だ。食卓は二人掛けのテーブルしかない。「すいません。狭い家で」と恐縮する希に「お気遣いなく」と椅子に座らせると、対面に竹村が腰かけ、阿佐部と吉田は隣に立った。

「井藤健太さんの事故について、お話を聞かせて頂けませんか?」と竹村が言うと、希はにっこりほほ笑んで「分かりました。参りましょうか」と言う。

 そう言われるのも、牧野に続いて二度目だ。

「参る? どこに行くのですか?」

 試しに聞いてみると、「刑事さん。どこに行くも何も、警察に決まっています」と答える。

「いえ、話を聞くだけですから、署までご同行頂かなくても結構です」

「あら、私を摑まえに来たのではないのですか? てっきり、そうだと思って、今日、パートを辞めて来ました。お世話になった方々にも挨拶を済ませて参りました」

「いえ、あの、ただお話を――」と言いかける竹村に、希は晴れ晴れとした表情で驚きの事実を伝えた。

「刑事さん。私、ずっと、お待ちしていましたの。何時、刑事さんが尋ねて来るかと思って毎日、ドキドキしていました。もう何年も、こんなに心が騒いだことなんて、ありませんでした。案外、時間がかかりましたね。でも、もう良いのです。待つのに、ちょっとくたびれてしまいました。

 さあ、参りましょう。私が、あの三人を殺したのです。刑事さん。柴崎亜由美、長谷川真理子、水谷信二、あの三人を殺したのは、私です」そう言うと、希は竹村の返事を待たずに立ち上がった。

 羅刹女、非常に美しい容貌を持つ女神。井藤望が羅刹女だったのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る