第四幕 歪んだ正義

江戸小紋

 福永に会いに成田実業に向かった。

 成田実業の福永昌弘という人物が和田家と東口良治の両方と接触をしていた。今回の事件の背後で暗躍していた可能性があった。

 住所は分かっている。成田実業は豊島区のオフィス街の一角に自社ビルがあった。

「福永昌弘さんにお会いしたい」と受付に伝えると、暫く待たされてから、人事課の課長が対応に降りて来た。そして、「当社に福永昌弘という人間はおりません」と怪訝な表情を浮かべながら言った。

 成田実業に福永昌弘という人物は存在していないと言う。

「企画本部本部長の福永さんです。こちらにいるはずです。最近、退職されたのですか?」と食い下がってみたが、「現在も過去も、当社に福永昌弘と言う人間が在職した記録はありません」と冷たく言われた。

「福永さんの名刺を持っている人が何人もいるんですけどね」と東口良治から預かった名刺を見せた。

「最近は名刺をパソコンに読み込んで簡単に偽造することができます」と人事課長は迷惑そうに言った。

「これは殺人事件の捜査です。隠し立てをすると、後々、問題になるかもしれませんよ」と脅してみたが、「そうおっしゃられても、いないものはいないのです」と困惑の表情を浮かべるだけだった。

 人の好い農家の親父といった風貌で、冷や汗を浮かべている様を見ると嘘をついているように見えなかった。警視庁の刑事が来たというので社内の記録を当たってみたが、福永昌弘という人物が会社で働いた記録がなかった。そこで、人事課長が対応のために降りて来たのだという。

「他に御用がないのでしたら、これで失礼します」と人事課長に逃げられてしまった。

 狐につままれたような気分だった。収穫もないままに成田実業を後にした。

 車に戻る。「どういうことでしょう?福永昌弘という人物はいなかったのでしょうか?嘘を言っているようには見えませんでしたけど」吉田が言う。

「まあな。だが、分からないぞ。サラリーマンなんて会社のためだったら平気で嘘をつく、そんな連中がごろごろしていそうだからな」

「さて、どうします?一旦、本庁に戻りましょうか?」

「いや、愛媛県警からの頼まれごとを済ませてから戻ろう」

 すかさず「すいません」と阿佐部が後部座席から謝る。

「気にしないで下さい。無神経な人ですから」と吉田が助手席から笑顔で振り返る。

 竹村は「神経を何処かに置き忘れて来たお前に言われたくないね」と吉田に嫌味を言ってから「新宿の花里工房に行って見ようと思います」と阿佐部に言った。

「花里工房」

 近藤は阿佐部の願いを聞き届けてくれたようだ。

 愛媛県警から花里公房という染物屋を尋ねて注文主を聞き出してもらいたいという依頼があったと言う。黄鶴楼で見つかった遺体は前掛けをしていた。柴崎の証言いよれば、もともと黄鶴楼とは反対の坂の上の旧校舎らしき建物の庭にあった五体の地蔵がしていたものだと言うことだった。

 阿佐部が近藤に頼んだ依頼というのはこの前掛けのことだった。

 地蔵の前掛けは、誰か殺される度にその首に掛けられていた。犯人が用意したものである可能性が高い――そう阿佐部は考えた。前掛けの製造元を追えば犯人に繋がるのではないかと考えたのだ。

 そこで、愛媛県警の科捜研に前掛けの鑑定を行ってもらった。

 前掛けを鑑定したところ、江戸小紋という染物で作られた特注品であることが分かった。染物屋の特定を進めたところ、東京都新宿区にある花里工房という染物屋で染められたものであることが分かったのだ。

 近藤から「どうやら江戸で染められたものらしい」という報告を聞いた阿佐部は、警視庁に染物屋の捜査依頼を出すように頼んでおいたのだ。

 こうして一行は新宿へ向かった。

 都電荒川線の面影橋駅前に車を停め、そこから神田川沿いの遊歩道を進んだ。遊歩道では桜の季節になると満開の桜を楽しむことができる。やがて、一軒のモダンさが感じられる古風な民家が見えて来た。花里工房だ。

 工房を尋ねると、作務衣を着て日本手ぬぐいを頭に巻いた主が三人を迎えてくれた。思ったよりも若い。まだ三十代だろう。小柄で四角い男、細い目、いかにも職人を思わせる顔立ちだ。主は「十二代目、花里千衛門です」と名乗った。

 竹村が警察バッジを見せながら言う。「お忙しい中、すいません。十二代目ですか?」

「はい。うちは江戸時代から続く染物屋です。代々、千衛門を引き継ぐことになっていて、私で数えて十二代目になります」花里は得意そうに答えた。

「今日は、これを見て頂きたいのです」竹村は携帯電話に保存してあった画像を見せた。愛媛県警から送られてきた前掛けの画像だ。

 花里は「ああ」と頷くと、「これは私が染めたものです。間違いありません。これがどうかしたのですか?」とあっさり認めた。

「あなたが染めた染物で間違いありませんか?」

「はい。懇意にしている方から、仏教の五戒を入れた前掛けを染めて欲しいと頼まれて作ったものです」

「懇意にされている方とは、どなたでしょう?」

 花里は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが隠し立てする必要はないと思ったようで、「成田孝臣さんです」と答えた。

「成田孝臣さん?どういう字を書くのでしょうか?」

「ご存じありませんか?」

「えっ?」

「成田孝臣さんと言えば、あのナリタ・エンタープライズを一代で大手企業に育て上げたカリスマ経営者として有名な人です。現在は第一線を退かれて、ナリタ・エンタープライズの会長をなさっています」

「ナリタ・エンタープライズ!」

 黄鶴楼の発注者のひとつとして、ナリタ・エンタープライズの名前が出て来ていた。それに竹村たちが探し回っている福永という人物は、ナリタ・エンタープライズの子会社、成田実業の名刺を所有していた。

 花里は、「成田会長は先代、十一代目の花里千衛門の代からのお得意様です」という。「先代の時代に、ナリタ・エンタープライズさんは創立二十周年を迎えました。記念品やノベリティ・グッズなど大量に製作され、そのひとつに風呂敷がありました。良いものを作ってくださいと、うちに注文がありましたので先代が心を込めて染めたところ、成田さんは大層、気に入られたようでした。先代から私に代替わりしましたが、以来、変わらず、花里工房を贔屓にして頂いています」

「なるほど。それで、この前掛けについて詳しいことをお聞きしたいのですが」

「半年くらい前ですかね。成田さんから少なくて申し訳ないが、と断りがあって、注文を受けたものです。仏教の五戒を染物にしたいというお話でした。文字を絵柄として染めることができるのか? と問い合わせがありましたので大丈夫ですよ、とお答えしたところ、直ぐに、染め賃はいくらかかっても構わないので良いものをお願いしますとご注文がありました。お地蔵さんに掛けたいというお話でしたので、一枚一枚、丁寧に染めさせてもらいました」

「成田さんご本人から、依頼があったのですか?」

 竹村の質問に、花里は「いやあ~」と手を振ってから「成田さん、直々にお店にいらっしゃったこともありますけど、ご注文は、大抵、成田さんの秘書のような仕事をしていらっしゃる牧野さんから連絡があります」と答えた。

「牧野さん? 牧野、何さんとおっしゃるのでしょうか?」

「牧野忠義さんです。ナリタ・エンタープライズの企画室の室長さんです。最終的に成田さんからのご注文は、全て、企画室を通して連絡があります。確か、頂いた名刺があったと思います」

「その名刺をお貸し頂けませんか!?」竹村は勢い込んで言った。

「それは構いませんが・・・」花里は語尾を濁した。

 得意先に迷惑がかかるようなことにならなければ良いがと心配を始めたようだ。


 ナリタ・エンタープライズに牧野を尋ねる前に、一旦、警視庁に戻った。

 武部に報告を行うと、「そうか。イーストゲートと東口は空振りか。福永昌弘という男が鍵になりそうだな。やつの名刺を調べてみろ。指紋が出るかもしれない。ナリタ・エンタープライズを尋ねるのはもう少し、周りを固めてからにしろ」と指示を受けた。

 流石に大手企業だ。捜査には慎重を期す必要がある。

 和田家から借り受けた名刺から福永のものと思われる部分指紋が見つかっている。だが、身元を特定するまでには至らなかった。渋る東口から脅すようにして借りてきた名刺から、更に手掛かりが出るかもしれない。

「成田実業を尋ねた時、人事課の課長から名刺をもらいましたよね?」

 武部への報告を終えて席に戻って来た竹村に阿佐部が尋ねた。

「ええ、もらいました」竹村は名刺箱の中から成田実業で会った人事課長の名刺を取り出した。

「昨今、彼が言ったように名刺はパソコンで簡単に作ることができます。成田実業の人間の名刺を持っていれば名刺をスキャンし、パソコンで加工して、本物そっくりに作ることができるはずです。福永の名刺はありますか?」

「これです」

 証拠袋に入った名刺を渡すと阿佐部が二枚の名刺を並べて比べ始めた。福永の名刺はパソコンで偽造したにしては、よく出来ていた。紙質は上等だし、字体も、会社のロゴも、本物そっくりだった。人事課長の名刺と比べても見分けがつかない程、精巧に出来ていた。

「あまりにも良く出来ています」

 端から竹村と吉田が覗き込む。二枚の名刺を見比べてみたが、名前が違う以外、そっくりだった。

「これだけ精巧に出来ているとなると・・・」

 竹村にも阿佐部の考えていることが分かって来た。

「えっ⁉ 何です? これだけ精巧に出来ていると何です?」吉田が焦る。

「分かるまで名刺を見比べていろ」と言うと、竹村は成田実業に電話をかけた。

 人事課の課長を呼び出すと、名刺の印刷を依頼している印刷所の連絡先を聞き出した。そして印刷所に電話をすると、福永昌弘の名刺を印刷していないか調べてもらった。

「かなり古いものでなければ原版が残っていると思います」電話口で待たされたが、応対に出た女性から「確かに、成田実業株式会社企画本部本部長、福永昌弘様の名刺の原版が残っておりました」と返事があった。

 福永昌弘の名刺はパソコンで偽造されたものではなかった。印刷会社に発注されたものだった。

「どなたが名刺を注文されたのでしょうか?」

「名刺作成依頼の伝票が残っているはずです。時間を頂ければ探しておきます」と女性が言うので竹村は「お願いします。今から、そちらに向かいます」と言って電話を切った。

 武部に報告し、背広の上着を片手に、阿佐部に「行きましょう」と声をかけると、「俺が運転する」と吉田に言って捜査一課を飛び出した。

 阿佐部と吉田が慌てて後を追った。

「竹村さん、だてに年食っていませんねえ~」吉田が軽々と追いついて言う。

「年寄扱いするな! こう見えて、ぴっちぴちだぞ」

「お腹の周りがびっちびちの間違いなんじゃありませんか? ほら、もう息が切れてきたみたいだ」

「う、うるさいな・・・お前・・・」

 車を飛ばして川崎に向かう。印刷所に着いた。

 竹村は応対に出た女性事務員に「電話をした警視庁のものです。お願いした名刺の注文伝票を見せてもらえませんか?」と掴みかからんばかりの勢いで尋ねた。女性がたじろぐ。

「先輩、落ち着いて下さい」見かねて、吉田が小声で囁く。

 熱血漢の竹村にクールな吉田は似合いの相棒だ。

「はい、探しておきました」と女性が差し出したファイルの中に、福永の名刺の注文伝票があった。

 注文主を確認した。

 注文主の欄には、成田実業の親会社であるナリタ・エンタープライズの企画室・坂本葉子という名前が記されていた。

 またナリタ・エンタープライズだ。花里公房に地蔵の前掛けを注文したのも、ナリタ・エンタープライズの牧野という人物だった。

「ナリタ・エンタープライズからの注文だったのですか?」

 事務員は「ええ」と頷いてから、「ナリタ・エンタープライズさんから成田実業さんの社員の名刺の注文は珍しいので、変だなと思った記憶があります」と答えた。

「ナリタ・エンタープライズが成田実業の人間の名刺を注文することは無いのですか?」

「それはもう。親子関係と言っても別会社ですから・・・」

「それで、確認しなかったのですか?」

「別会社とは言え、親会社からのご注文でしたから特に確認は致しませんでした」

「なるほど。この伝票、お借りできますか」

 必要な情報は手に入れた。伝票を借りると印刷所を後にした。勿論、向かうはナリタ・エンタープライズだ。武部には慎重にと言われていたが、企画室の坂本葉子を尋ねるつもりだった。

 品川にあるナリタ・エンタープライズ本社に車を走らせた。

 ビルを見上げながら「凄いですね~」と阿佐部が感心すると、「建設業者ですからね。見た目が大事だと言うことでしょう」と吉田が冷静に答えた。

 吹き抜けの広いホールがあり、高層階、中層階、低層階に別れたエレベーター毎に駅の改札のようなセキュリティゲートが並んでいる。

 その片隅に受付があった。

 受付で面会を申し込むと、幸い、坂本は在席していた。直ぐに降りて来ると言う。ロビーに設置されたミーティング・コーナーで待つように言われ、椅子に腰を降ろすと待つ程もなく若い女性がエレベーター・ホールに姿を現した。

 受付の女性と一言、二言、言葉を交わすと竹村たちに向かって真っすぐに歩いて来る。坂本葉子だ。

「坂本です」現れたのはまだうら若い、マッチ棒のように細い女性だった。

 長いストレートの髪がさらさらで胸の辺りまで伸びている。化粧のせいもあるのだろうが、細い顔に大きな目が目立つ。美人だ。

「お仕事中すいません。この名刺について、お伺いしたいのですが」竹村が印刷所から借り受けて来た伝票を見せると、坂本は「ああ」と口角を上げてにっこりと微笑んだ。

「これは牧野室長から頼まれて手配した名刺です」

「牧野室長?」

「はい。私の所属する企画室の室長さんです。牧野室長から頼まれて、この名刺を手配致しました」

 牧野だ。地蔵の前掛けの注文主だ。再び、捜査線は牧野で交差した。

「牧野さんから頼まれて、名刺を注文した訳ですね。それで、この福永昌弘さんという方は、どういう人なのでしょうか?」

「さあ、存じ上げません。室長に頼まれて名刺を手配しただけです」

「印刷会社で聞きましたが子会社の人間の名刺を手配することはないと聞きました」

「はい。私も成田実業の方の名刺を室長が手配するのは変だなと思ったのですが、何か事情があるようでしたので、ご指示通り、手配致しました」

「そう言うことが、よくあるのですか?」

「いいえ。私どもで、成田実業の方の名刺をお作りしたのは、その時、一度切りだったと思います」

 これは牧野から話を聞かなければならない。「それでは、牧野さんは今、ご在席でしょうか?」

「在社しておりますが、生憎、牧野は只今、会議中で席にはおりません」

「では、会議が終わられてからで結構ですので、是非、お会いして、お話をお伺いしたいと、そう牧野さんにお伝え願えませんか?」

「はあ、会議が終わるまで、まだ暫くかかると思いますけど・・・」

「会議が終わるまで、ここでお待ちします」

 竹村の有無を言わせぬ口調に、坂本は「分かりました」と頷くと、エレベーター・ホールへ消えて行った。

 坂本がエレベーターに消えてから、たっぷり一時間は待たされた。三人共、無言でじりじりしながら、牧野が降りて来るのを待っていた。

「竹村さん。そんなに怖い顔をしていると、周りの迷惑になりますよ。ほら、あの女性なんて、竹村さんの顔を見て、びっくりして走って行きました」

 ロビーの片隅で大男が怖い顔をして座っているのだ。通り過ぎる人間が驚いてしまう。吉田が諌めると、「そんなに怖い顔をしていたか?本当は優しいジェントルマンなんだけどな。いや、ジェントルデカか。今度から俺のことをジェントルデカって呼んで良いぞ」と竹村が肩の力を抜いた。

「ジェントルデカって・・・ちゃんとしろデカと言った方がぴったりですよ」

「ちゃんとしろデカだなんて上手くないねえ~そう言う時は、猪突猛進の猪デカとか、もっと良い返しがあるだろう」

「猪突猛進・・・竹村さんって、時々、難しいことを言いますよね」

 二人が与太話をしていると、背の高い白髪の紳士がエレベーターから降りて来た。真っ直ぐに竹村のもとへと歩を進めて来る。眼鏡を掛け、鼻筋の通った、涼やかな顔立ちだが、一重瞼の奥の目が蛇の様に鋭かった。

 竹村が誰だか知っているようだ。

 男は竹村の前で足を止めると、にこやかに言った。「私が牧野です。刑事さんですね。さあ、参りましょうか」

「参る?参るって、どこへですか?」

「どこへって、警察に決まっているじゃないですか」

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