第三幕 許されざる者たち

蟲毒

 見渡す限り水平線しか見えない。

 宇和島港で借り切った漁船は風を切って海面を滑るように進んでいた。

「蟲毒って知っているか?」舳先に立って水平線を見つめる近藤が、振り返りもせずに阿佐部に尋ねた。

「コドク? 独りぼっちの孤独のことですか?」

「違う。虫を三つ書いて、ポイズンの毒で蟲毒だ」

「虫三つ? 知りません。そんな漢字があるのですか?」

 近藤は小難しい話が大好きだ。

「ある。木が三つで森、車三つで轟だろう。日が三つで晶だし、虫が三つの漢字もあるんだ。蟲毒ってな、毒虫を百匹、ひとつの器の中に放り込んで最後に生き残った一匹から取った毒のことだ。強力な毒で人を殺すことができるらしい」

「へえ、その蟲毒がどうかしたのですか?」

「柴崎がその最後に生き残った一匹の毒虫のような気がしただけだ」

「なるほど。無人島に極悪人を放り込んで、最後に生き残った一人って訳ですね。柴崎は最強の悪党なのかもしれません」

 愛媛放送局を訪ね柴崎の証言映像を確認した。そして、阿佐部と近藤は五主島に向かうことにした。もう一度、柴崎の証言を確かめる必要があると感じたからだ。

 宇和島港で漁船をチャーターした。

 捜査費用で落ちるかどうか、ちょっと心配だった。自腹となると痛い出費だ。

 小ぶりな漁船だ。港で若者が阿佐部たちを待っていた。阿佐部の姿を見つけると、身のこなしも軽やかに甲板から埠頭へ降り立った。

「こっちです~刑事さん」

 若者が手を振る。日焼けした顔に白い歯が映える。満面の笑顔だ。照れ屋なのかもしれない。短く刈った髪が天を向いて逆立っている。細い眉毛に細い顔、体つきも細くて、線のような若者だ。

「テル! 皆様を船に乗せてさしあげろ。直ぐに出航するぞ」

 船室から中年の男が顔を出した。船長だ。日焼けした顔が真っ黒だ。もじゃもじゃの頭に白いものが混じっている。色黒さを除けば、漁師というより学校の先生のような風貌だ。

 テルと呼ばれた青年の手を借りながら、ゆらゆらと揺れる漁船に乗り込んだ。後から乗り込んだ近藤の足が埠頭を離れた時には、船は既に動き出していた。

 どうやら気の短い船長らしい。

 慣れた操舵で、船は宇和島港を後にした。

 こうして小一時間、海の上を走っていた。見渡す限り海面が広がるだけだ。不安になった阿佐部は操舵輪を握る船長に「五主島はまだですか?」と尋ねてみた。

 船長は「もうじきだ。ぼちぼち、島影が見えてくる頃だ」と答えた。そして、「ほら、あそこ。島が見えてきた」と海上を指さした。

 だが、何も見えなかった。

「何処ですか?」

「ほら、あそこ」と会話している内に阿佐部の目にも島影が見えて来た。

 柴崎の話から、海上に突き出た屏風のような島を想像していたが、目の前の島は海の上に大地が乗っかっているように見えた。思い描いていたおどろおどろしい雰囲気は感じられなかった。

「あれが五主島ですか?」

「そうだよ」

「昔、島では海賊やその家族、女、子供まで皆殺しにされたらしいですね」と船長に聞くと、「皆殺し? さあ、そんな話、聞いたことない。海賊が住んでいたんで、海賊島って言われていたことはあったらしい。そもそも、そんな呪われた島に、戦後、人が移り住む訳ないだろう」と冷たく返された。

 島影はどんどん大きさを増して行く。島の埠頭が見えてきた。

「やはり違うな」舳先で足を踏ん張っていた近藤が呟く。

「違いますね」

 阿佐部が答える。柴崎の話だと、島の埠頭は地震で崩壊しており、船が近づけなかった。目の前の埠頭は、かなり古くはなってはいたが、地震で崩壊した跡は見られなかった。

 船長が巧みに操舵し、粛々と漁船と埠頭に寄せた。ボラードにロープを掛けて漁船を係留する。阿佐部と近藤は島に上陸した。

 確かに昔、島に人が住んでいたようだ。港の周りに廃屋だろう、空き家となった民家が点在していた。柴崎の証言と同じだ。

「柴崎の証言通りですね」

「そうか? 港に周りに朽ち果てた民家がある点は同じだが、やつの話では港はすり鉢の底にあって、港からV字に道が伸びていたはずだ。ここは港から真っすぐ道が伸びているだけだ。何処の島だって、港に周りに民家がある」

 無人となった民家の町を抜ける。

 町を通り抜けると、高台となった場所に学校だったのだろう、鉄筋コンクリート建ての建物が見えてきた。公民館と一緒になっていて島の行政の中心だったようだ。

 二人はのろのろと坂を登って行った。

「段々畑なんてありませんね」

 柴崎の証言では民家を抜けると、雑草の生い茂る段々畑の跡があったはずだ。

 坂を登り切る。かつては校庭だった場所に出た。土地の限られた場所だ。校庭は気の毒になるほど狭かった。だが、島の人間にとっては貴重な広場だったことだろう。校庭の片隅には島の電力を一手に担っていた発電所があった。まさにここが島の心臓部だったのだ。

 港から続いた村はここで行き止まりになっていた。

「高い塔を持った屋敷なんて、ありませんね」

「崩壊の跡もない。まあ、ここは柴崎が言う五主島じゃないことくらい、最初から分かっていたことだ」

 近藤が吐き捨てる。

 ここに柴崎の証言通り、瓦礫の山が広がっていたら、大事件として捜査が行われていたことだろう。五主島は柴崎の証言とは似ても似つかない平和な無人島だった。だから、阿佐部も近藤も、柴崎の証言を虚言だと見なして愛媛県警から放り出したのだ。

 愛媛放送局でも柴崎を拾い、インタビューを撮ったものの、五主島に確認に来て証言の信憑性を疑ったようだ。結局、柴崎を保護することなく追い出してしまった。

「近藤さん。念のため、もう少し島を探索してみますか?」

「もう、良いだろう。船長の話だと人が住んでいたのは港の周りだけらしい。帰りに船で島の周りを一周してもらおう」

 阿佐部と近藤は漁船に戻った。港を出て島を一回りしてもらったが、巨大な塔が爆破され、倒壊した形跡は見つからなかった。無駄足だったようだ。こうなると船賃が痛い。

 やはり柴崎の証言は虚言だったのだろうか。柴崎は命を狙らわれていると言っていたが、単なる交通事故死だったことになる。

 島を逃げ出してからの柴崎の足取りは確認してあった。

 黄鶴楼が爆破された後、柴崎は戸板に乗って海へ漕ぎ出した。数日、海上を漂流したようだ。もうダメだと観念し、意識を失った。そして、気がつくと、漁船に拾われていた。

 漁船では島での出来事を黙っていた。

 海上を漂流していたことについては、クルーズ船から転落してしまい、近くに見えた島まで泳いで行った。島は無人島だった。そこで戸板を見つけた。何日、待っても助けが来ないので、仕方なく戸板に乗って海に出た。そう話した。

 港に着いてから、直ぐに病院に搬送された。

 二、三日は意識があったり、無かったりした。腕の切り傷以外、主だった外傷はなく、脱水症状と栄養失調による体調不良だった。点滴を受けている内に体力を取り戻した。

 柴崎が回復したことを知り、最寄りの警察署から警察官が事情を聴きに来ることになった。それを知って柴崎は病院を逐電した。

「俺は人を殺した。警察につかまりたくなかった。入院費用にしても、払えるあてがなかった。踏み倒して逃げるしかなかった」そう柴崎は言っていた。

 逃げ出してみたものの、無一文だ。柴崎は浮浪者となった。

 都内、大田区のアパートの二階に部屋を借りていた。そこに帰るという選択肢もあったが、いつ何時、自分が犯した罪が明るみになって警察に逮捕されるか分からない。何せ人を殺しているのだ。帰るに帰れなかった。

 最初は気楽だった。金がないので置き引きに窃盗など、なんでもやった。人を殺しているのだ。今更、罪がひとつ、ふたつ増えても気にしなかった。軽犯罪を繰り返しながら、宇和島市内から松山市へ移動した。都会であればあるほど人目につきにくい。

 ところが、数日前から、視線を感じるようになった。辺りを見回すと、近くに停まっていた車が急発進したりした。最初は気のせいだと思ったが、逃亡者だ。感覚が鋭くなっている。夜間に後をつけられたり、ねぐらの周辺で人の気配を感じたりすることが何度かあった。

――殺される!

 直感がそう訴えていた。

 柴崎以外に生き残ったやつがいた。それは日野や村田が前掛けをしていたことで明らかだ。そいつが犯行を隠す為に柴崎の命を狙っている。

 いや、島で死んだ五人の関係者かもしれない。柴崎が彼らを殺したと思い、復讐を企てている。いやいや、柴崎たちを島に送ってくれた黒髭の船長かもしれない。食糧の補給に行って黄鶴楼が消滅しているのを見た。そして、柴崎が島から逃げ出したことを知って追いかけて来た。

 村田の殺害は正当防衛だ。そのくらい、柴崎にも分かった。だが、残念ながら、それを証明することが出来ない。証拠は全て瓦礫と化した。

 迷ったが殺されるくらいならと愛媛県警に駆け込んだ。

 そして、死んだ。

「浮かない顔をするな。あの時点でやつの話を信じる根拠なんて無かった」と近藤は言う。

 証言だけ聞いて虚言だと判断し、県警を放り出した訳ではない。ちゃんと裏を取っていた。建築確認申請を確認したところ五主島に巨大な塔が建てられた記録など無かった。それでも念のために、水上警察に頼んで五主島に確認に行ってもらった。阿佐部たちが見た通りだ。何も無かった。

 結果、柴崎の話は虚言だと判断して釈放した。

「柴崎の証言で、ひとつ気になったことがあったのです」

「何だ?」

「近藤さんは覚えていませんか?矢野治の事件を――」

 矢野治は五主島の出身、島人が島を離れた際に、一緒に宇和島港に移住した。その矢野が家族を殺害して逃亡するという事件があった。

「ああ~あれね。それがどうした」

「私が刑事になる前の事件でしたので、詳しくはありませんが、近藤さんはご存じなのでは?」

「先輩から聞いたことがある。矢野が逃げ込んだのは五主島じゃなくて、鬼ヶ城山だという話だった。そういう情報があって山狩りが行われた。丁度、冬の寒い時期で、寒くて大変だったそうだ。山で遭難しかけた人もいたくらいだ。でも見つからなかった」

「結局、鬼ヶ城山ではなく、宇和島市内に潜伏していたのでしたよね。調べました。市民からの通報で潜伏が知れ、確保されました。矢野が逮捕されるまで一年近くあったようですので、尾ひれがついて、噂が独り歩きしてしまったのでしょう。五主島に逃げ込んだというのも、そのひとつのようです」

「都市伝説だな」

「よそ者の柴崎が昔の事件のことを知っていたとは思えません。誰かから聞いた」

「そうなるな」

 近藤は甲板作業を行っていたテルと呼ばれる若者に声をかけた。「この辺りで巨大な塔が建っていた島はないか? 蟹みたいに軒先がぎざぎざとした塔だ」

 テルは甲板作業の手を休めずに答える。「蟹みたいな巨大な塔? いやあ~島では見たことがないかな~」

 近藤が言葉尻を捉まえて言う。「うん。どういうことだ? 島ではって。島じゃなければ塔が建っていたってことか?」

「うん。島じゃなければ見たことがあるよ」とテルはあっさり答えた。

「見たことがある~⁉」

 阿佐部と近藤は同時に声を上げた。

「ああ。でも島じゃないよ。岬にあったんだ。それが、ある日突然、無くなった」とテルは言う。

「何だって! それ、詳しく教えろ」

 近藤が掴みかからんばかりにテルに詰め寄る。テルが二歩、後ずさった。

 豊後水道の愛媛県側は宇和海と呼ばれており、入り江が混じった複雑なリアス式の海岸線になっている。宇和海の奥、宇和島湾は、日振島を始めとする大小様々な島と北は佐田岬半島、南は由良半島に囲まれている。

 そういった半島のひとつに塔が建っていたと言う。

「滅多に、あの辺は通らないけど、半年くらい前かなあ・・・塔に気がついて、次に通った時にはもう無くなっていた」

 宇和島港の近くだと言う。近藤は港に寄港する前に、寄ってくれと怒鳴るようにして頼んだ。

 漁船は宇和島港を目指して進む。

 阿佐部も近藤も、船室で黙り込んだままだった。柴崎の証言は正しかったのか? 本当に陰惨な連続殺人事件が起きたのか? あの時、柴崎の証言を信じずに放り出してしまったことは正しかったのか? 柴崎は殺されたのか? 様々な思いがぐるぐると頭の中を渦巻いていた。

 小一時間、洋上で揺られた後、「見えて来ましたよ」とテルが呼びに来た。二人は船室を飛び出した。

 島だ。島が見える。

「おい。島が見えるぞ」と近藤が言うと、「あれ、島じゃないんです」とテルが訂正した。

「島じゃない!」阿佐部と近藤が声を揃えた。

「この辺りの海岸は海に突き出た半島が多いんだよ」

「あれが半島⁉ 島じゃないのか」

 辺り一面、海で、洋上にぽつんと島が浮かんでいるように見える。

「ううん。あれ、陸続きの半島だよ。この方向から近づくと確かに島に見えるね」

 なるほど。島影のようなものは実は陸なのだ。柴崎の話から、てっきり島だと思い込んでいた。島を探していたので見つからなかったのだ。柴崎自身も島だと信じて疑わなかったようだ。

 実際、洋上から眺めると海に浮かんだ島にしか見えない。

「あそこだよ。変な形の塔を見たのは――」とテルが指さした。

 船が半島に近づく。

 柴崎の話通り、断崖絶壁が海から屏風のように立ち上がり頭上を圧するかのようだ。海辺にわずかだが平地が見える。

「港がありますね」阿佐部が言う。

「おい。あそこ、あの港に寄ってくれ」と近藤が言うと、「親父に言って来ます」とテルが船長のもとに走って行った。

 漁船はスピードを落としながら港に近づいて行った。

 テルが戻って来て言う。「船長の話だと、あの辺りに、昔、人が住んでいて漁村があったそうでうす。だから、港があるみたい。でも、過疎化で、みんな、いなくなっちゃったって」

 柴崎の証言通りだ。

 阿佐部に近藤、テルの三人で舳先に立って前方に目を凝らした。もう島、いや半島の先端しか見えない。漁船を圧するかのように崖のように岩肌がそそり立っている。

 船が港に近づいて行く。

「あっ!」とテルは何かに気がついた。「船長! 船長! 埠頭が崩れています。うかつに近づくと、エライことになります!」と叫びながら船室へと駆け込んで行った。

 崩れた港、それも柴崎の証言にあった。海中に崩れ落ちた埠頭に乗り上げると、船は座礁してしまう。

「テル! 指示をくれ」船長が船室から怒鳴る。

 テルが転がり出て来て海中を覗き込みながら「船長、チョイ面舵、もうチョイ、もうチョイ」と叫び続けた。船長は巧みに船を操る。小回りの利く漁船だ。クルーズ船だとこうは行かなかっただろう。沖に船を泊めて、ボートで接岸したと柴崎は証言していた。

 流石はベテラン船長だ。漁船は埠頭に接岸した。

 一仕事終えた船長が船室から出て来た。

「岩だらけの港に船をつけるなんて、見事なものですね」と阿佐部が褒めると、「いや、なに」と白い歯を見せて笑うと「案内にテルをつけるよ。テル! 皆様を陸にご案内して差し上げろ。ああ、そうだ。この辺は昔、海賊によって村人が皆殺しになったという話があるから、お化けには気をつけな」と言った。

「皆殺し⁉」

 柴崎は黒髭の船長から、島で昔、海賊とその家族が皆殺しになったという話を聞かされたと言っていた。殺されたのは海賊ではなく村人だが、似たような話がここにあった。

 テルを先頭に、圭亮一行はぞろぞろと埠頭に降り立った。

 まるですり鉢の底にいるような気分だ。前面には崖が屏風のように立ちはだかり、背後は一面海だ。孤島だと思い込まされていたとしたら何処にも逃げ場のない、籠の中に入れられた心境だったことだろう。

「さて、どっちに行きます」とテルが聞く。

 港から道は左右に分かれている。柴崎の証言通りだ。

「塔のあった方に行きましょう」阿佐部が答える。

 三人は坂道を登り始めた。阿佐部がテルに尋ねる。「ここが半島の先っぽだとすると陸から来ることは出来ないのですか?」

「さあ。出来るんじゃないかな。でも、船で来た方が早いと思うよ。今日は、うちの船を借り切ってくれて毎度あり~です」テルが陽気に答える。なかなか商売上手だ。

 港の周りには廃屋がいくつか残っており、朽ち果てようとしていた。ここで村人が皆殺しにあったと聞かされると、一層、不気味な雰囲気だ。

「柴崎の供述通りですね」と阿佐部が呟くと「ああ・・・」と近藤が頷いた。

 もともと口数の多いタイプではないが、益々、無口になっている。

「廃屋の村を抜けると、段々畑が広がっているはずですね」

 廃屋の村を抜けると勾配がやや急になった。

「段々畑だ」雑草で覆われているが段々畑の跡が広がっていた。

 柴崎の証言通りだとすると、この道は黄鶴楼で行き止まりになっているはずだ。

 坂を登って行く。門が見えた。コンクリート塀が破壊されずに残っている。黄鶴楼だ。本当にここにあったのだ。阿佐部の顔に緊張が走る。黄鶴楼は本当にあった。

 柴崎の話が本当だったとすると、ここに五人の遺体があることになる。愛媛県警を揺るがす大事件になるはずだ。

「あったぞ」

「急ぎましょう」

 早足になる。

 何とか坂を登り切った。

 高い壁がそびえ立っている。まるで外敵に備えるかのようだ。門がある。門を潜る。屋敷に入って直ぐの場所に庭や築山が綺麗に残っていた。

 だが、その向こうには瓦礫の山が広がっていた。

 ここに屋敷と塔があったとは思えないほど粉々になった瓦礫が、文字通り山になっていた。そして、その背後には土跡も新しい、人工的に削られた崖肌が垂直に立ち上がっていた。

「こ、これは、大変なことになりましたね・・・」

 全てが柴崎の供述通りだ。

 瓦礫の山を前に、阿佐部と近藤は茫然と立ち尽くしていた。一人、テルだけが瓦礫の山へ登って、「ありゃ~こりゃすごい」と呟きながら辺りを見回していた。

 突然、「柴崎の供述だと玄関前に丸池があったはずだ。そして、そこに水谷の遺体があったと言っていた。丸池だ。丸池を探せ」と近藤が喚いた。

「分かりました」

 阿佐部には近藤の意図が理解できた。

 柴崎の証言によれば長谷川、日野、村田の遺体は建物の中だ。亜由美の遺体は裏庭にあって、瓦礫で完全に埋まっていた。いずれも重機が無ければ瓦礫を取り除くことなど出来そうもない。それに、うかつに近づくと瓦礫が崩れて危険だった。

 僅かに玄関前にあったという丸池の辺りは何とか手で瓦礫を取り除けそうだった。

 夢中になって瓦礫を取り除く。二人の様子を見て、「どうしたんですか?」とテルも不審顔で手伝ってくれた。

 最初は「こりゃあ、重機がいるな」と弱音が出たが、やがて「丸池だ!丸池の跡だ!」と近藤が声を上げた。

 瓦礫の下から円形を描いた縁石が出て来た。丸池の端に見えた。

「丸池ですね。水谷の遺体があるかもしれません」

 阿佐部の言葉にテルがぎょっとして手を止めた。詳しいことは説明していない。死体を探しているとは思っていなかったようだ。

 恐々、瓦礫を放り投げていたテルが「おわっ!」と悲鳴を上げた。「どうした!」近藤が駆け寄る。テルの足元、瓦礫の間から白いものがのぞいていた。

 阿佐部も近づいて、近藤と二人でしゃがみこんだ。慎重に瓦礫を取り除いた。

「遺体の一部ですね」

「間違いない」

「応援を、鑑識を呼ばないとなりませんね」

「うむ・・・」

 白骨化した遺体の一部だった。

 阿佐部は懐から携帯電話を取り出したが電波が届いていなかった。これも柴崎の供述通りだ。塔の上に無線装置があって、それが故障してから、電話は使えなくなった。そう証言していた。

「一旦、宇和島港まで戻りましょう」

「ここが半島の先っぽなら、どこか、道が通じているんじゃないか?」と近藤は言ったが、「そうですね。ですが、今は車がありません。歩いて帰る訳には行きませんので、船で宇和島港まで戻るしかありません」と阿佐部は答えた。

「そうだな」と言った後、「港から反対側の坂道を登ると、そこに学校だか公民館だかの建物があって、そこにお地蔵さんが鎮座していると柴崎は言っていた」と近藤が阿佐部に確認を求めた。

「そんなことを言っていましたね」

「それを見て帰ろう」と言う。

 意外だった。近藤が地蔵に興味を示すとは思わなかった。

 近藤が歩き始めたので阿佐部が後を追う。転がるようにしてテルが瓦礫の山から降りて来た。帰りは下り坂だ。自然と早足になる。

 一旦、港まで出ると、そこから反対方向に坂道が続いていた。道は港を起点にV字型になっている。柴崎の証言通りだ。降りて来た坂道より急だが距離は短い。

「さて、もうひと踏ん張りしましょう」

 坂道の往復に瓦礫の撤去。流石に疲れが出ていた。近藤は無言で坂道を登って行く。体力的に厳しいのかもしれない。一人、テルだけが悠々と坂を登って行く。途中で立ち止まって阿佐部たちを待つ余裕があった。

 坂を登り切った。

 狭いが広場があった。海側は金網で囲われ、山側は切り立った崖になっている。黄鶴楼と同じように山を切り崩し、土を盛って平地を造成したのだ。奥に鉄筋コンクリート造りの平屋の建物が見えた。

「近藤さん。地蔵はあそこみたいです」阿佐部が指さす。

 広場の隅、崖際の雑草の茂った場所に、地蔵が並んで立っていた。

「ああ・・・はあ、はあ」近藤が荒い息を吐く。

 広場の隅まで歩いて行った。

 地蔵が見える。雑草に埋もれているものもあったが、数えてみると五体あった。

 地蔵に歩み寄る。前掛けはしていない。

「この地蔵に前掛けが掛けられていたのですね。確か、いつつ・・・」

 阿佐部が言うと、「不邪婬戒、不妄語戒、不偸盗戒、不飲酒戒、不殺生戒の五つだ。不邪婬戒は不道徳な性行為を戒めたもの、キリスト教でいう汝、姦淫することなかれだな。不妄語戒は嘘をつくことを戒めたもの、不偸盗戒は盗み、不飲酒戒は酒、そして不殺生戒は殺しだ」と近藤がすらすらと答えた。

「近藤さん、詳しいですね」

「ふん。俺の実家は寺だからな。寺の次男坊、坊主のせがれが警官をやっている。皮肉なものだ。前掛けに書かれていた言葉は五戒と言って、仏法において信者が守るべき五つの戒を表している」

「へぇ~」近藤の実家が寺だという話を初めて聞いた。仕事上の相棒というだけで、特段、親しい間柄ではない。

 コンビを組んで二年近く経つが、近藤の家族構成すら知らなかった。年頃の娘さんがいるようだが、父親そっくりの容姿で嫁の貰い手がないという噂だった。小さな子供だと泣き出してしまいそうな強面の近藤にそっくりとなると、器量は押して知るべしだ。

 近藤の居ない酒席で「娘さん、可愛そうに親父さんにそっくりなんだよ」と刑事仲間の酒の肴になることが多かった。常に居丈高な近藤に対する反発から来ているのだろうが、近藤が気の毒に思えた。

 近藤は薄々そのことに気が付いているようだ。仲間内の飲み会に滅多に顔を出さない。阿佐部に対しても家族のことを話したがらなかった。だから、敢えて近藤に家族のことを尋ねたことがなかった。

 阿佐部と組む前、近藤は教育係を兼ねて若い捜査官と組まされていた。ところが、足手まといだと相棒をほったらかしにして、単独行動に走ってばかりいた。

 課長の篠原が匙を投げて、試に一課のエース、阿佐部と組ませてみた。以来、問題を起こすことなく、やっている。結局、腫物に触るかのように、そのままになっていた。

 正直、やりにくい面があったが、「あれで、近藤はお前のことを買っているんだ。悪いけど、もう少し我慢して付き合ってやってくれ」と篠原から頭を下げられると断れなかった。

 二年間、付かず離れずと言った距離感で近藤と接して来た。

 阿佐部なら近藤に放っておかれても困ることが無い。一人で捜査を続けるだけだ。近藤は思っていることを直ぐに口にする。分かり易い人間だと言える。それに、一人で勝手に捜査をしていてくれるので手がかからない。

 阿佐部はそう割り切っていた。

 近藤が一人で勝手に動きたがるのは、手柄を独り占めにしたいからではない。単に人付き合いが苦手だからだ。二年間、付き合ってみて、そのことが分かってきた。それが理解できるようになると、阿佐部の話を聞いてくれるようになった。

 要は刑事魂に溢れた子供っぽい人物、それが近藤なのだ。

「普通、地蔵と言えば六地蔵と言ってな。六つ、地蔵があるものなのだ。六道輪廻の思想から地蔵の数は六つが基本だ。だが、ここには五つしかない。五戒に合わせて五体なのかもしれない」平素、無口な近藤が饒舌に喋る。珍しい。

「もともと六体あったのを、ここを五主島に見せかけるために、地蔵をひとつ移動させて、五つにしたのかもしれませんよ。五主島に五つの地蔵。いかにもそれっぽくありませんか?」

「面白いな」近藤がにやりと笑う。

 風雨に浸食されて表情がよく分からなくなった地蔵の頭を撫でながら「地蔵が五体で、死人も五人か。あ、いや、柴崎も死んだから六人になったか・・・」と近藤が呟いた。

 黄鶴楼には六人の人間がいた。そして、死体は五体。普通なら六体ある地蔵が五体しかない。この符号は偶然なのだろうか?

「柴崎の証言では、最初に亡くなった内村亜由美は不邪婬戒でしたっけ? その前掛けをしていました」

「長谷川という家政婦が不偸盗戒、水谷というマネージャーが不妄語戒、日野が不飲酒戒、村田が不殺生戒だったな」近藤がそらんじた。記憶していたようだ。

「村田は人を殺して逃げて来たと柴崎に告げました。殺すなと戒めた不殺生戒と符号しています」

「なるほど。内村亜由美は美人局のような性的な犯罪を、長谷川は窃盗、水谷は詐欺などの犯罪、日野は酒だな。酒に関連する犯罪に関与していたことを暗示していていたって訳だな」

 近藤は理解が早い。

「犯人は五人を殺害する計画を立て、五つの前掛けを準備した。ところが、一人、余計に来てしまった。柴崎です。彼は計画外だった。四人が殺され、残ったのは不殺生戒の前掛けです。村田は過去に人を殺したことがあると言った。彼の為に用意された前掛けだった」

「面白いな」と近藤が不謹慎な発言をする。

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