柴崎高尚の証言(四)
いつの間にか寝てしまった。
日中、島を歩き回ったものだから、睡魔に襲われてしまったようだ。
二○四号室の鍵を預かっていた。鍵が無いとマスターキイを手に入れることが出来ない。マスターキイを狙って殺人鬼が襲って来るかもしれない。今晩は寝ずに起きているぞ! と思ったのだが、シャワーを浴びてさっぱりすると瞼が重くなった。ちょっと一休みのつもりで横になると、そのまま寝入ってしまった。
枕元の時計を見ると午前二時を回っていた。
ベッドから起き上がると、真っ先にクローゼットの様子を確認した。クローゼットのセイフティボックスに二○四号室の鍵を保管しておいた。
大丈夫だ。変わりはない。セイフティボックスはロックされたままだった。
携帯電話のゲームを遊んだが、直ぐに飽きてしまった。眠くなるだけだ。電波が届いていないので電話もネットも使えない。
辺りの気配に耳を澄ませた。
絶海の孤島だ。動物や虫の鳴き声以外、風や波の音が聞こえてくるだけだ。都会の喧騒に慣れた身には静寂が返って怖かった。
再び、ベッドに横になる。ダメだ・・・寝ちゃあ・・・と思いながら、再び、睡魔に襲われた。
どれくらい時間が経ったのか分からない。どんどんとドアをノックする音で目が覚めた。
「起きて下さい!」と廊下で誰かが怒鳴っていた。
寝ぼけ眼でベッドから起き上がる。のぞき穴から外の様子を伺うと、四角い顔の見慣れぬ男がドアを叩いていた。
「誰だ⁉ あんた」とドアの前で叫んだ。
見たことがない男だ。一瞬、島に逃げ込んだ矢野という殺人鬼のことが頭を過った。迂闊にドアを開けると、襲われそうな気がした。
すると、「日野です。料理人として雇われている日野です」と男がドアの向こうで怒鳴った。
料理は堪能したが、日野自身には一度も会っていなかった。いきなり日野と名乗られても信用できなかった。迂闊にドアを開ける訳には行かなかった。
用事があるのなら、水谷に言ってくれと追い返そうとしたのだが、その水谷が起きてこないと言う。日野は途方に暮れていた。
時計を振り返ると九時を回っていた。朝食は八時からだ。すっかり寝過ごしてしまった。昨日、色々あったので、水谷も寝過ごしてしまったのだと思った。
「昨晩、遅くまで働いていたようなので、部屋で寝ているだけでしょう。長谷川さんに言って部屋の鍵を開けてもらってはどうです?」と言ってから、長谷川がマスターキイを持っていないことに気がついた。
水谷と長谷川のマスターキイは隣の二〇四号室のセイフティボックスの中だ。部屋の鍵は俺が持っているし、暗証番号は村田しか知らない。
「それが、長谷川さんも起きてこないのです! 今日は誰も朝食を食べに来ません。私、もう、困ってしまって・・・」と日野が言う。
水谷が起きてこないだけでも変なのに、長谷川まで起きてこないという。何だか様子がおかしい。
仕方がない。ドアを開けることにした。ドアロックを外してドアを開けた。
日野の顔を見るのは初めてだった。短く刈り上げた角刈りの頭に四角い顔、細い目と、思い描く料理人のイメージそのものだった。赤黒く染まった肌の色と鼻先から、酒好きなのが伺い知れた。
日野に、マスターキイを水谷と相談の上で、二〇四号室のセイフティボックスに仕舞い、部屋の鍵は俺が、暗証番号は村田が知っていることを話した。マスターキイを手に入れるには村田を起こす必要がある。
二人で村田の部屋に向かった。南西の角部屋が村田の部屋だ。ドアをノックすると、起きていたようで、何だ? と返事があった。
「ドアを開けろ!」と言うと、「何故、ドアを開けなきゃならない。廊下で話をしているのが聞こえたが、水谷も長谷川も起きてこないって? なんか変だ。ドアを開けて欲しいなら、水谷と長谷川を連れてこい。四人、揃ったら開けてやる」なんて言いやがった。
「だから、二人の様子を確かめる為に、マスターキイが要るんだ!」と言っても、「お断りだ。俺は部屋から出ない!」と埒があかない。
「じゃあ、暗証番号を教えてくれ。そしたら、俺が部屋に行って、セイフティボックスからマスターキイを取り出して水谷と長谷川の様子を見てくる」と言うと「バカか⁉ お前は。お前にマスターキイを渡したら部屋に閉じこもっている意味がないだろう?」と部屋の中から言い返す。
「食事くらいするだろう? 出て来て協力しろ!」と言うと「水曜日には食料品の補給船が来る。そしたら、それに乗って、この島とはおさらばだ。それまで、水さえあれば、二、三日、食べなくても平気だ」と俺の話に耳を貸さない。
すると、端で見ていた日野が見かねて言った。「部屋の鍵があれば大丈夫ですよ」ってな。日野が言うには接客マニュアルというのがあって、それによると、客室のセイフティボックスはホテル同様、宿泊者が暗証番号を忘れてしまった場合や、貴重品を入れたまま宿泊者が帰ってしまった時の為に、デフォルト・パスワードっていう、万能のパスワードがあるっていうことだった。
要は二○四号室の鍵さえあれば、パスワードは要らないってことだ。
日野の言葉が終わるや否や村田の部屋のドアが勢い良く開いた。村田が憤怒の表情を浮かべていた。ざまあ見ろだ。
「ふざけるな! 騙したな。デフォルト・パスワードだと。デフォルト・パスワードさえ知っていれば俺が設定した暗証番号は意味が無いと言うことじゃないか!」そんな風に怒鳴っていた。
その通りだ。
村田の顔を見た日野は「良かった。これで三人揃いました。さあ、金庫を開けに行きましょう」と意に介さなかった。
俺たちは二〇四号室へ向かった。
俺が持っていた鍵でドアを開けて部屋に入った。クローゼットのセイフティボックスにマスターキイがある。村田はクローゼットを開けるとセイフティボックスに暗証番号を入力した。セイフティボックスが開いた。
セイフティボックスの中から、村田はマスターキイを取り出すと、ひとつを日野に手渡した。ひとつはやつの手の中にある。後で取り上げる必要があると思った。
マスターキイを受け取った日野は、先ず、対面にある長谷川の部屋に向かった。
「長谷川さん!大丈夫ですか? 部屋にいるなら返事をして下さい。でないと、マスターキイでドアを勝手に開けますよ!」日野がドアを叩きながら怒鳴った。だが、反応がなかった。
女性の部屋に押し入るのは気が引けた。たが、そうも言っていられない。ドアを開けるしかなかった。
日野はマスターキイを使って二○三号室のドアを開けた。
「すいません、長谷川さん。入ります」声をかけながら、ゆっくりとドアを開いた。
昨晩、ドアロックを掛けておけという話をしたのに、長谷川の部屋のドアにはドアロックが掛かっていなかった。
部屋に入ろうとした日野が「うっ」と呻いた。
日野の体が邪魔で中が見えなかった。「おい、どうした?」と村田が日野の背中に怒鳴った。
「長谷川さんが・・・殺されている・・・」
日野がそんな風にうめいた。
何だと! と叫びながら村田が日野を押しのけて部屋に入った。
俺は遠目に部屋の様子を伺っていた。部屋の中に入るなんて冗談じゃなかった。わざわざ死体なんて見たくもない。
遠目でも長谷川真理子が死んでいることは分かった。普段着のままベッドの上に横たわっていた。苦しんだのか、はたまた抵抗したのか、シーツがくしゃくしゃに乱れていた。
ベッドの上に仰向けに倒れていた。
入口と反対の壁側に枕があるのだが、足元側、入り口の方に頭を向けて倒れていた。しかも、ベッドの端から頭がはみ出していた。力なく首を捻じ曲げ、顔が入口を向いていた。目をかっと見開いたまま死んでいた。うつろな目で生気がなかった。真っ赤に充血し、目玉が零れ落ちそうなくらい目を見開いていた。
まるでドアから出て行った犯人を恨みの籠った眼で睨みつけているかのようだった。
初めて長谷川の顔を見た。いつもマスクをしていたので、どんな顔をしていたのか知らなかった。まあ、例え、覚えていたとしても、あの凄惨な表情だ。同一人物かどうか断言できなかっただろう。ああ、そうだ。長谷川と言えば特徴なおかっぱ頭だ。おかっぱ頭だけが、生前の面影を伝えていたね。
首に赤い筋が残っていた。首を絞められて殺されたのだ。ドアには鍵が掛かっていた。これは密室殺人だ。そう思った。
死体を見て驚かされたことが、もうひとつあった。何かって? 遠目に服の柄に見えたが、長谷川が前掛けをしていたからだ。
――不偸盗戒
だったよな。そう書かれていた。
どういうことだ? 何故、地蔵の前掛けがここにあるんだ? って不思議に思った。亜由美に続いて、長谷川まで前掛けをしている。なんか変だ。誰が、何の為に、こんなことをやっているのだろうか? 俺には分からなかった。
死体が怖くないのか村田が長谷川に近づくと首筋に手を当てた。「脈が無い。死んでいる・・・お前だな!お前が、この女を殺したんだな‼」あいつが俺に向かって吠えた。
冗談じゃない。俺じゃない。長谷川を殺したのは。
「さっき廊下で言っていたよな。セイフティボックスには万能のパスワードがあって、それさえ知っていれば開けることができるって。ということは、空き部屋の鍵さえあれば、マスターキイを取り出すことが出来たって訳だ。部屋の鍵を持っていたのはお前だ!」
村田のやつ、そう言うんだ。確かに、その通りなのだが、俺は万能のパスワードなんて知らなかった。それを知っていたのは水谷と日野だ。俺にはセイフティボックスを開けることなどできなかった。そう言ってやった。
すると、お前ら、グルなんだな! と村田が喚き始めた。違う。水谷はともかく、日野と会ったのは今朝が初めてだ。
「落ち着いて下さい。何故、私たちが長谷川さんを殺さなければならないのです?」と日野がなだめると「昨日、亜由美ってやつが塔から転落死したよな? あれ、お前らの仕業じゃないのか? それを、この女に見られて、口封じのために殺した。違うか?」と声を張り上げた。
日野は「転落死? 一体、何のことです? 誰が亡くなったって」と亜由美が死んだことを知らない様子だった。
「お前たちじゃないなら、一体、誰がこの女を殺したんだ? いや、殺すことができたんだ? マスターキイを使ったのでなければ部屋は密室だったことになる。どうやって部屋に入ったというんだ?」
村田の言う通りだ。だけどな、その時、俺は気がついたんだ。村田に言ってやった。「分かったぞ。お前の言う通り、部屋は密室だった。部屋に入るにはマスターキイが必要だった。それこそ、お前が犯人だっていう証拠だ。お前がこの女を殺したんだ!」ってね。
村田は顔を真っ赤にして言った。「何を言っているんだ? 俺がこの女を殺した⁉ 馬鹿らしい。俺は部屋に入ることができなかった。マスターキイを持っていなかった。どうやって部屋に入ったっていうんだ?」
そう、そこだ。村田がセイフティボックスにマスターキイを仕舞った時、ちらっと思ったんだ。こいつ、ちゃんとマスターキイをセイフティボックスに仕舞ったのかな――ってね。「お前、俺たちが見ていないのを良いことにマスターキイをひとつ、セイフティボックスに仕舞わずに隠し持っていたんじゃないか? その隠し持っていたマスターキイを使って部屋に入り、長谷川を殺した。きっと、そうだ!」
どうだ? 俺の推理、なかなかのものだろう?
「馬鹿らしい。さっき、セイフティボックスを開けた時、マスターキイは二つともセイフティボックスの中にあったのを見ただろう?」って村田は言ったが、俺は見ていなかった。村田がセイフティボックスを開けてマスターキイを持ってきたのを見ただけだ。セイフティボックスの中にふたつ、ちゃんとマスターキイがあるところなんて見ていない。
村田、お前だ。長谷川を殺したのは。亜由美を殺したのも村田だ。塔の展望台から亜由美を突き落としたんだ。それを、長谷川に見られた。口封じのために長谷川を殺した。
そう言ってやった。すると、ふざけるな! と村田が俺につかみかかってきた。
止めて下さいと日野が止めに入った。これがもの凄い力で、あっという間に引きはがされて、俺は廊下に投げ飛ばされた。
この野郎と村田が日野に掴みかかった。次の瞬間、村田の体が宙を舞った。ふわりと浮くと、床にたたきつけられていた。一瞬のことだった。投げられた村田自身、何が起こったのか、理解できなかったと思う。
「悪いね。いい加減にしな。そう興奮してちゃあ、落ち着いて話ができないじゃないか」日野がドスの利いた声で言った。
角刈りの頭に四角い顔、細い目、料理人のイメージそのもののだが、見方を変えると武闘家に見える。柔道か、合気道か分からないが、よほどの熟練者なのだ。俺や村田のような細身の人間であれば、投げ飛ばすことなど造作もないようだった。
日野にすごまれて俺は思わず、はいって返事をしてしまった。日野がこの場のリーダーに収まった瞬間だった
正直、怖かったね。こいつなら平気で人を殺しそうだ。亜由美と長谷川を殺したのは、こいつじゃないかと思った。
「水谷さんの様子を見に行きましょう。これだけ大騒ぎをしているのに、起きてこないなんて変です」と日野が言いながら俺たちの背中を押して、部屋から追い出した。
スタッフを統括する立場にある水谷が起きてこないなんて、確かに変だった。日野が長谷川の部屋に鍵をかけて水谷の部屋に向かった。水谷の部屋は東の山側の角部屋だ。
水谷の部屋の前に着くと「水谷さ~ん! 起きて下さい。どうかしましたか? いるのなら返事をして下さい。ドアを開けますよ~良いですか?」とドアを叩きながら日野が怒鳴った。
その様子を見ていて水谷もベッドの上で顔を歪めながら死んでいるんじゃないかって、そんな気がした。
「ドアを開けます」日野はマスターキイを使ってドアを開けた。
目の前に水谷の部屋が広がる。ベッドの上に・・・と覚悟したけど何もなかった。シーツが乱れていただけでベッドの上には何もなかった。
「バスルームかもしれません」
日野がバスルームをのぞいたが、水谷の姿は無かった。
「あの野郎、どこに行ったんだ⁉ 水曜日に迎えの船が来るまで、島から出ることはできないなんて言っておいて、一人で島から逃げ出したんじゃないのか? 何か、島から脱出する方法があったんだ。あいつ、長谷川を殺して、一人、島から逃げ出した。きっとそうだ! そうに違いない」
村田の野郎がそんなこと、喚いていた。俺もそう思った。水谷は逃げ出した。亜由美と長谷川を殺して。何故? そんなこと、俺には分からない。とにかく、そう思った。
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