柴崎高尚の証言(二)
嫌がる亜由美を連れ出した。
船酔いで食欲が無いと昼食にはほとんど手をつけず、部屋で休んでいたいと言う亜由美を無理やり引っ張り出した。
折角、無人島に来たんだ。島を見て回るつもりだった。
先ずは屋敷の中からだ。水谷の話では一階には食堂と厨房の他に、大浴場とジムがあると言っていた。そこから見て回ることにした。
「嫌だ~面倒くさい」なんて言っていたが、亜由美のやつ、興味津々だったよ。
大浴場は男湯と女湯に別れていた。大浴場とは名ばかりで、二人も入れば一杯になってしまう小さなものだ。温泉でもないし、この大きさなら、部屋にバスルームがあるので大浴場を使う必要はなかった。
ジムはルームランナーが一台と、後はバーベルが幾つか置いてあるだけの簡素なものだった。意外に使えないと言う印象だった。長い滞在になるかもしれない。ちょっと心もとなくなった。まあ、それでも、無いよりはましだ。そう諦めるしかない。
屋敷がダメなら島だ。
次は、塔を見学することにした。水谷が「自由に見学してもらって構わない」と言っていた。危険な場所があるので、塔に登る時は十分、注意して下さいとも言われた。
屋敷の玄関から廊下を真っ直ぐに進むと塔の内部へ出る。鉄筋コンクリート製で、内部はがらんどうになっていた。以外に狭かった。壁に階段が螺旋状につけられていた。それを登ってゆくと展望スペースに出る。
展望スペースからの眺めは最高だった。
「やっほう~! こりゃあ、最高だ!」って欄干に駆け寄ると、腰の高さまでしかなかった。体勢を崩すと真っ逆さまだ。
「危ないわよ。高いところは苦手なのよ。見ているだけで背筋がぞくぞくしてしまう」と言って、亜由美は近寄って来なかった。
廃村と地震で崩壊した港を除くと、後は島の緑と青い海原がどこまでも広がっていた。まるで南国のリゾート地の風景だ。
「ねえ、そこ。何か光っていない」と亜由美が俺の足元辺りを指さした。
「どこだ?」と聞くと「そこ。瓦の上」と答える。
探してみたが、何も見つからなかった。「瓦に太陽の光が反射したんだろう。欲張りだから、何でも金目のものに見えてしまう。強欲な女だな」
「余計なお世話。おかしいなあ・・・」と亜由美は首を傾げていた。
展望スペースの一画に小部屋があった。機械室のようだった。小窓から中を覗き込むと、ステンレス製のラックがあり、ちかちかと点滅するランプのついた機械が収納されていた。
黄鶴楼では部屋でインターネット回線を使うことが出来た。携帯電話が使えるし、WiFiも繋がる。部屋でテレビを見ることも出来た。
きっと塔の上に無線のアンテナが立っていて、展望スペースの無線装置を通して屋敷内の通信網に繋がっていたのだ。そこから無線ネットが屋敷全体をカバーしていたのだろう。だからインターネットが使えた。テレビの方は母屋の屋上か何処かにパラボナ・アンテナが設置されていて衛星放送を受信出来るようになっていたのだと思う。
やけに詳しいって? 俺みたいな学の無いやつが詳し過ぎるってか? 馬鹿にするな。こう見えて電気関係は詳しいんだ。電気屋で働いたことがある。
水谷によれば、屋敷には自家用発電機が備え付けられていて、水は地下水をポンプでくみ上げているということだった。黄鶴楼は最新の設備を備えた別荘だった。
「もう飽きた」と亜由美が言うので、塔の見学を切り上げた。
屋敷を出て廃墟となった村に向かった。黄鶴楼に来る時は上り坂だったので遠く感じたが、今度は下り坂なので早かった。
港の近くに、廃墟となった家屋が点在していた。
「薄気味が悪い」って亜由美のやつ、言っていたが、俺はなんだかぞくぞくした。廃屋って何だかぞくぞくしないか? ほら、秘密基地みたいに。
それに、この辺が黒髭から聞いた、昔、島人が皆殺しになった場所じゃないかって思った。掘り返せば赤い土が出て、骸骨が出て来そうな気がした。
廃屋を見て回った。始めこそ、亜由美は廃墟の見学に反応していたが、その内、気味が悪いとしか言わなくなった。
廃墟めぐりに飽きて港に出ると、黄鶴楼とは反対方向、島の西側へ続く道があった。こちらも坂道になっていた。
亜由美は「もう疲れた」と帰りたがったが、「行ってみよう」と強引に引っ張って行った。
坂を登りきると、高台になった場所に建物があった。公民館に見えたが、学校だったのかもしれない。黄鶴楼同様、山裾を切り崩して、地面を平らに造成して建てられたものだ。建物の背後に崖が衝立のように聳え立っていた。
鉄筋コンクリート造りの建物の前には、小さいが広場があった。運動場だ。かつてここで子供たちが走り回っていたのかもしれない。
坂道はここで行き止まりだ。「もういいでしょう。私、疲れたから、先に帰る」と、俺が止めるのも聞かずに亜由美は黄鶴楼に戻って行った。
俺? 探検を続けたよ。
公民館だったのか校舎だったのか分からないが、壁は剥げ落ち、床は泥まみれで、家具は全て持ち去られていた。瓦礫が散乱し、床に軍手が片方だけ落ちていたり、空気の抜けたバレーボールが転がっていたりしていた。破れた漁網があったりしたので、一時期、漁港の倉庫代わりに使われていたのかもしれない。
隣の部屋に軟式野球のボールと金属バットが落ちていた。建物前の狭い広場で野球を楽しんでいたのだろう。やはり、校舎だったのかな。
金目のものを探したが、何もなかった。
建物を出て前の広場を見て回った。崖際の雑草の茂った場所に地蔵が立っていた。数えてみると五体あった。
風雨に晒され、顔の表情さえ分からなくなっていたが、妙に綺麗な前掛けをかけていた。前掛けに文字が書かれていた。
何て書いてあったかって? う~ん。四文字の言葉で、最初が不可能の“不”っていう字だった。ああ、終わりの文字も一緒で、
五戒? 仏教において、信者が守るべき基本的な五つの戒のことだって?
不邪婬戒
不妄語戒
不偸盗戒
不飲酒戒
不殺生戒
の五つかって? ああ、それだ。
思い出した。不飲酒戒の前掛けを駆けた地蔵を中心に、両脇に不殺生戒、不邪婬戒、両端に不偸盗戒と不妄語戒の前掛けを掛けた地蔵があった。
地蔵があるってことは、海賊が処刑されたのはここかもしれないなって思った。
狭い島だ。あっという間に探索を終えた。
港の周りに僅かばかりの平地が広がっているだけだ。探索する場所なんて、もう何処にもなかった。黄鶴楼に戻ることにした。
朝食は午前八時から、昼食は十二時からで、夕食は午後六時からだ。食堂で揃って食事を取ることになっていた。
部屋に戻ってから、ひと眠りした。腹が減ったので時計を見ると六時前だった。食堂に降りて行った。
夕食の時間になっても亜由美が降りて来なかった。
何をやっているんだ、あいつ、と思ったね。
「私が呼んで参りましょう」と水谷が食堂を出て行った。
村田は亜由美のことなど待つつもりが無いようで、もう食事を始めていた。嫌なやつだよ。
厨房に籠りっきりで顔を見ていなかったが、日野が腕を振るった料理は美味しかった。絶海の孤島らしく海の幸に溢れた料理だった。魚が上手かった。
長谷川が給仕をしてくれた。サービスは悪くなかったが、マスクで表情が見えないし、とにかく無口で一言もしゃべらない。日野も長谷川も、水谷も高給で雇われたのだろうが、こんな辺鄙な島に流れて来るには、それ相応の理由があったんじゃないだろうか。
水谷が戻って来て言った。「内村様は、お部屋にいらっしゃいませんでした」
変だなって思った。あいつ、先に屋敷に戻ったはずだ。
「何処に行ったのかご存じありませんか?」と水谷に聞かれたが、俺に分かるはずない。亜由美が戻って来るのを見たかと聞くと、見ていないと答える。
長谷川に聞いても、首を振るだけだった。
きっと、風呂にでも入っているんだ。あいつ、長風呂だからと言ったけど、ちょっと心配になった。俺たちがそんな会話をしているところに、「そういえば、さっきからネットが繋がらないんだけど」と突然、村田が口を挟んだ。
亜由美のことなど、どうでも良いといった感じだった。嫌なやつだよ、本当。陰気な顔で黙々と食べているのを見ているだけで腹が立った。
「無線の中継設備の調子が悪いのかもしれません。中継アンテナを確認して参りましょう。ついでに亜由美さんがいないか、その辺を探して来ます」と言って水谷が出て行った。
直ぐに、「大変です!」と叫びながら、水谷が戻ってきた。裏庭に何かあると言うんだ。塔に向かう廊下を歩いて行く途中、廊下の灯りで裏庭に誰か倒れているのが窓から見えたらしい。
亜由美かもしれないので一緒に確認に行ってくれと水谷が言う。正直、行きたくなかった。だけど、亜由美と一番、親しいのはあなたですからと言われると断れなかった。
二人で懐中電灯を持って出た。
えっ⁉ 何故、行きたくなかったのかって? だって、亜由美だったら面倒臭いだろう? ほら、病院に連れて行ったりとか、なんだかんだしなければならない。簡単に救急車を呼べるような場所じゃないんだから。
屋敷を一歩、出ると気味が悪いほど真っ暗だった。田舎の夜は、本当、びっくりする程、何も見えないね。懐中電灯が照らす範囲など、ほんの僅かだ。
屋敷の裏は崖がせり出して来ており、崖と屋敷との間にスペースがある。そこが裏庭だ。裏庭は塔により東側部分と西側部分の二つに分断されている。
玄関から舗装された道路が続き、裏庭の東側部分に繋がっている。東側部分は車が入って行けるし、駐車スペースや倉庫があって、広々としていた。
西側部分は塔と崖、壁に囲まれた狭い庭だ。
水谷について行った。
「あっ!」と水谷が声を上げたんで心臓が止まるかと思った。
前の方に何か転がっていた。水谷が懐中電灯の灯りを向けた。人だ。亜由美だ。間違いない。体を捻じ曲げながら地面に横たわっていた。一目で死んでいることが分かったよ。だって上半身と下半身がありえない方向に捻じれていたから。生きているなら、あんな不自然な格好、苦しくて出来るはずがない。
水谷はゆっくりと亜由美に近づくと、蹲って首筋と手首に指を当てて脈を確かめて言った。「脈がありません。どうやら死んでいるようです」と。事故かと聞くと「倒れている位置から見て、塔の展望室から転落したのでしょう」って答えた。
変だと思ったね。あいつは高所恐怖症だ。一人で塔に登るはずがない。例え、登ったとしても展望台から落ちるような場所に行かないだろう。
「ここにいて死体を見ていてもらえますか? 塔に登って中継設備の様子を見てきます。でないと、携帯が繋がりませんので、警察に通報ができません」って水谷が言うので「冗談じゃない。死体と一緒にいるなんてごめんだ」と断った。
死んでいるのなら放っておいて大丈夫だろう? 動くはずないし、死体なんて誰も盗まない。違うか? そう言ってやった。
「ああ、そうですね。でも、この島には鼠がたくさんいて、鼠の被害で住民が島を捨てたと言われています。死体をあのままにしておくと鼠が食い荒らしてしまうかもしれません。倉庫にビニール・シートがあります。鼠が食い荒らさないようビニール・シートをかけておきましょう。私が倉庫からビニール・シートを取って来ますので、その間、死体を見ていてもらえませんか?」と水谷はしつこかった。まあ、それくらいならと死体を見ていることにした。
近くに倉庫らしいプレハブの建屋があった。
「じゃあ、お願いします」と水谷が食糧庫に向かって歩き出した。すれ違う時、水谷が妙なことを言った。内村様は何で、あんな変な前掛けをしているのでしょうか? ってね。
前掛けって何だ⁉ そう思った。見たくもなかったが死体を見る為に、一歩、近づいた。確かに変な前掛けをしていた。
ひょっとしてと思った。
嫌だったけど好奇心に勝てなかった。更に近寄ると、死に顔は意外に綺麗だった。半開きになった目で恨めしそうに俺のこと見つめているような気がした。
水谷の言った通りだった。
あの亜由美が何とも不格好な前掛けをしていた。そして、前掛けには;
――不邪婬戒
と書かれてあった。
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