第5話 小さい頃から抱いてきた夢

その日の夜、バーに現れた美沙は、いつもとは違っていた。カウンターのいつもの席に座ると、彼女はすぐにグラスを頼み、ノートを取り出すこともなく酒を飲み始めた。そのペースは明らかに速く、セドナはカウンター越しに様子を伺っていた。


「美沙さん、今日はずいぶんとペースが速いね。」セドナは軽く笑いながら声をかけたが、美沙の表情は曇ったままだった。


「…今日は、いろいろあって。」彼女はグラスを傾け、苦い顔で酒を飲み干す。


「そうか、何かあったんだね。話したくなければ無理に聞かないけど、少しでも軽くなるなら話してみない?」セドナは静かに声をかけ、彼女が話しやすいように努めた。


美沙はしばらく黙っていたが、もう一杯グラスを頼んだ後、ぽつりと話し始めた。「…小説を書いているんです。ずっと、子どもの頃からの夢で。でも…」


セドナはグラスを注ぎながら、彼女の言葉に耳を傾けた。「小説家になりたいんだね。それで、今日は何かあったのかな?」


「何度も…何度も挑戦してきたんです。でも、いつも結果は同じ。落選ばかりで、自信がなくなってきて…。何度やってもダメだと、もう私には才能がないのかもって思えてくるんです。」美沙はそう言って、グラスを一気に飲み干した。


「それは辛いね。頑張ってきたことが、何度も否定されるような気持ちになるのは、本当に苦しいと思う。」セドナは彼女の気持ちに寄り添うように言った。「でも、それでも夢を追い続けているっていうのは、すごいことだよ。」


「すごいなんて…そんなことないですよ。何もできていないのに。」美沙は自嘲気味に笑い、また酒を口に運ぶ。「私、子どもの頃から本を読むのが大好きで、将来は自分がいろんな物語を書いて、周りの人たちに届けたいって思ってたんです。でも…」


セドナは彼女の言葉に頷きながら、「その気持ちは大事だよ。美沙さんが小さい頃から抱いてきた夢だよね。それだけ思い入れがあるなら、諦めたくないって気持ちも強いんじゃないかな。」


「そう…ですね。でも、もう自信が持てなくて。どれだけ書いても、どれだけ応募しても、結果は変わらなくて。どうしてこんなにダメなんだろうって、自分が嫌になるんです。」美沙は少し震える声で言いながら、目を伏せた。


セドナはしばらく黙った後、彼女にもう一杯注ぎながら、「美沙さん、もしよければ、占ってみようか?小説のこと、これからのことについて。タロットで簡単に見てみよう。答えがすぐに出るわけじゃないけど、少しでもヒントになるかもしれない。」と提案した。


「占い…ですか。でも、私、怖いです。もし、これ以上何も見つからなかったら、もう本当に自分を信じられなくなりそうで…」美沙は不安そうな顔をしながら、セドナの顔を見た。


セドナは穏やかに微笑んで、「大丈夫だよ。占いは、未来を決めるものじゃなくて、選択肢や方向性を示す道しるべだから。どんな結果が出ても、それをどう受け止めるかは美沙さん次第だよ。心の準備ができたら、やってみよう。」


美沙は少し迷った後、ゆっくりと頷いた。「…わかりました。やってみます。」


セドナはカウンターの下からタロットカードを取り出し、シャッフルを始めた。「じゃあ、まずは深呼吸して、今考えていること、そしてこれからどうなりたいかをイメージしてみて。」


美沙は少し目を閉じ、息を整えた。セドナは一枚のカードを引き、テーブルに置いた。カードには「塔」が描かれていた。


「塔…」セドナはカードを見つめ、慎重に言葉を選びながら説明を始めた。「このカードは、変化や破壊、再生を意味する。今まで築いてきたものが壊れるかもしれないという意味でもあるけど、それは新しい何かが生まれるための兆しでもあるんだ。」


美沙はカードをじっと見つめ、「…やっぱり、ダメってことですか?」と不安げに尋ねた。


「いや、違うよ。」セドナは力強く言った。「このカードが示しているのは、今の状況が変わる可能性があるってこと。確かに、今は苦しい時期かもしれないけど、その先には新しいチャンスが待っているかもしれない。今までの自分の殻を破るための大事なタイミングなんだ。」


「でも、どうすれば…?」美沙は再び視線を落とし、悩んでいる様子だった。


「まずは、自分が本当に書きたいものを見つめ直すことかもしれない。」セドナは続けた。「結果がどうであれ、美沙さんが何を伝えたいのか、そこに向き合うことが大切なんだ。塔が崩れることで、また新しい建物を建てるように、美沙さんも自分自身を再構築するチャンスがあるはずだよ。」


美沙は少しだけ考え込んだ後、「…わかりました。もう一度、ちゃんと考えてみます。書くことが好きなのは変わらないから、それを信じてみたいと思います。」と、少し微笑んで答えた。


「それでいいんだよ。焦らずに、自分のペースでね。」セドナは優しく微笑み、美沙にグラスを差し出した。「今夜はゆっくりして、また新しい一歩を踏み出そう。何度でも挑戦していけるから。」


美沙はその言葉に少し勇気をもらい、再びグラスを持ち上げて「ありがとうございます、セドナさん」と感謝の言葉を口にした。

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