第2話 境内にて
ちらほらと帰宅する人も出てきたこともあって、宴はお開きになった。
もうじき日付も越えそうな時刻。
鏡は、ここから徒歩十分ほどの位置にある民宿に戻ろうと支度を済ませた。
「あれ、長井くんは?」
さっきまで飲んでいた生徒の長井紫雨の姿が見当たらない。
お手洗いかと思ったが、戻って来る様子もない。
村長さん辺りに聞いてみようかと村長さんを探した。
適当に歩いていると、暖簾のかかった部屋の入口に着いた。その中から――村長さんと村長さんの奥方が口論している声が聞こえた。
「どういうつもりじゃ!!! なしてこがんこつした!?」
「仕方なかでしょう……こんまま放たっといたらどうなったもんか……」
詳しいことは聞き取れない。村長さんは酷い剣幕だし、奥方はそんな村長さんを宥めているようにも聞こえる。
常人であれば入りづらい空気。だが、鏡はそんなものを気にすることができるほどできた人間ではなかった。
「あのー村長さんちょっとよろしいですか?」
暖簾をくぐって口論する二人の元に割って入った。
「うちの長井を見ていませんか? どこにもいないんですよ」
鏡が言うと、村長夫妻は顔を見合わせる。
「あ、……あぁ、長井さんなら、酔いつぶれてしまったみたいでして、私の娘がいる離れで休んでいますよ」
「離れの方ですか」奥方が教えてくれたので、鏡は頭を掻きながら続ける。「すみませんね、ちょっと様子を見てもよろしいですか?」
「ダメですッ!!!!」
鏡の言葉を遮るように、奥方が叫んだ。木造の壁がぎぃん、と軋むほどの声に、思わず鏡もたじろぐ。
「か、……家内がすみませんねぇ先生。お嬢さんはうちの娘が見ていてくれるんで、今日はもうお帰りになっててくださいな」
奥方を宥めるように、村長が言った。
「……そうですか。では、早朝に迎えに来ますので」
おやすみなさい、と一言添えて、鏡は村長宅を出た。
「……さてと」
夜空を見上げると、満点の星空が広がっていた。
都心ではなかなかお目に架かれないほどの星の数だ。
しかし――そんな満点の星空を覆うように西の空から黒い雲が迫って来ていた。
「一雨来そうだねぇ」
生憎傘は持って来ていない。
鏡は、その足を民宿ではなく――この村の中心のとある場所へと向けた。
夜の田舎は暗い。
周囲を田畑に囲まれた通りであれば、時折設置してある街灯以外に何の明かりもない。
都心や郊外は、民家や街灯、車のヘッドライトによって明るく照らされているのだと、鏡はフィールドワークに来るたび思う。
夜とは、恐怖の時間だ。灯りが無くては一寸先も見えない。自分の目の前に何かがいたとしても、この暗さでは何もわからない。
「夜は人間という動物からすれば恐怖の対象でしかないのにね。やっぱり陽が落ちても働く現代人はおかしい。うん、学長辺りにこの理屈で進言してみようかな」
田畑に囲まれた道を抜けると、山の麓にたどり着いた。山へと続く石階段に鳥居。日本人ならば、誰がどう見ても神社であるとわかる出で立ちだ。
鏡はその階段を上って行く。夜遅く、足元が暗いこともあってやや上りにくいが、そこはなんとかして上った。
本殿まではそこまで遠くはなかった。
恐らく夜に人が来ることは想定されていないであろう境内に明かりはなく――しかしそこには大勢の村民が集っていた。
「あれ、皆さんお揃いですね。どうしたんですか? 二次会ですか? 僕呼ばれてないですけど」
暗くてよく見えないが、村民たちが誰かを捕えているようだ。
「か、鏡先生、これは……」
村民の一人が言葉を濁した。
村民が取り囲んでいるのは、中年太りのスーツを着た男だった。縄で拘束され、身動きが取れない様子だ。
「これまた神域で物騒なことをするんですねぇ。バチが当たるんじゃないですか、これ」
鏡が言うが、誰もが口を閉ざす。
その沈黙を破るように、一人の男が口を開いた。
「……この男さえいなくなれば、この村は平和になるんですよ」
それを合図に、村民たちは口々に言葉を零した。
「こいつは! 俺たちの村を切り拓いてホテルを建てようなんて村長に持ち掛けたんっだよ!!!」
「ホテルを建てるために代々受け継いだ土地を手放すだなんて……そんなことできるわけないわよ……」
「それに、ホテルを建てれば入って来るよそ者が増えるじゃろ? うちの村を荒らされちゃたまったものではなかろうに」
ホテル開発。この捕らわれた男は、その責任者というわけか。
「喜ばしいことじゃないですか。観光客が増えれば村の収入も増え、みなさんの暮らしだって豊かになるんですよ。現にみなさん、僕の力を得て喜んで村おこし、してましたよね?」
「そういうわけじゃあねぇんだよ、先生」
村の若者の一人が前に出た。
「俺らは、この村のありのままの姿が良いんだ。ホテルなんか建てるんじゃなくて、この村の自然や人を見てほしいんだ」
青年は、声高らかにそう語った。
確かにこの村の自然は美しい。日本からは消えつつある田園風景や古めかしい寺院。
鏡の地元もこの村ほどのものではないが田舎なのだが、帰省する度に田畑は減り、幼い頃に見た景色が消えていくのを感じていた。
この村は貴重な場所だ。村民たちは、そんな自分たちの村の景色を愛しているのだ。
だが――――
「あまりに――虫がよすぎやしませんか?」
ひび割れたレンズを押し上げ、鏡は言葉を続ける。
「村の景観を損なうようなものはダメで、村を売り物にして人を呼ぶのは構わないだなんて、みなさんのこの村に対する誇りは一体どこにあるんですかね?」
「なっ」
青年が顔をひきつらせた。
「そんな中途半端な選択をして尚、祠まで壊すだなんて、ここの方々は、故郷に誇りを持っている良い方ばかりなのに見下げ果てましたよ」
鏡の言葉に、村民たちは息を飲む。
「おかしいなとは思っていましたよ。村の大事な祠が壊れたというのに、あなた方は呑気に宴なんか開いて。アレは、この神社を囲むようにして作られた五つの祠のうちの一つ、五芒星を描くように張られた結界の要の一つ。それを破壊するということは――――」
「神様を怒らせちゃった、ってことだよねっ」
「そうよね。ふふっ」
二人の少女の声に、鏡も村民たちも振り返る。
いつの間にか、本殿の前に二人の白いワンピースを着た少女が立って笑っていた。
「あ……あの祠は、地震で壊れたんだ! 自然災害で壊れたんだから仕方ないだろ!!」
「うふふっ、嘘を吐いたら閻魔様に舌を抜かれちゃうよ?」
「皆があの祠を壊しちゃったんだよね。だから、バチが当たって地震が起きちゃったの」
ねー、と、二人が顔を見合わせて言う。
「なんでまた祠なんて壊しちゃったんですか」しわくちゃになったタバコを取り出し、火を点けながら鏡は続ける。「全員死んじゃいますよ」
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