第二話 熱海のナンパ
その1 「お風呂上りにナンパ」
熱海駅に青スカジャンのお姉さんを降ろしたところで、適当に海に沿っている走っている今この頃。連絡先を交換しない代わりに、一期一会の出会いとして、俺のことを強く思い出に残したいだとは予想外だった。
初めてのナンパで、なんていい出会いをしてしまったんだ。人助けする「ただの良い人」から脱却できるどころか、そんなにも印象的に思ってもらうことができるだなんて。ありがとう、横須賀で出会った、名も知らぬお姉さん。
本当はこんな風に、もっと、お姉さんのことで物思いにふけりたいものの、再び海を見たとき、なんだか恐ろしいものを感じた。
それは、月光だけが輝く夜中だった。
はたから見ればただの夜のはず。しかし、一緒にワイワイしたお姉さんと別れ、道の中ぽつんと独りになってしまった自分にとって、ほとぼり冷めた孤独を夜空がジロジロ見つめてくるように感じ、身が縮んだ。
さすがに宿を探すことにした。宿代は、社会人になってからここ二年で貯めた貯金や、クレジットカードで何とかなるだろう。
一旦路肩にバイクを停車させ、バイク用スマホホルダーにマウントさせたスマホを操作する。
とはいえできれば安く、熱海の海や自然に近い所がいいなぁなんて思いながら操作していると
ブォォォォン!
オレンジ色の風が後ろから迫ると、そのまま追い越し、視界から小さくなっていった。
ボディは俺の相棒と同じく、前かがみに腰を曲げて乗るタイプで、スポーティー。
しかし違うのはそのカラー。グレーの車体の上に、銅色に近いオレンジ色を前からかけられたよう。
ヘッドライトは、鋭く見開く俺のとは対照的に、少し目を細めるようにしていた。
あれは間違いなく、バイクメーカーのKawasakiが2018年に発売した「Ninja 400」だ。
そしてライダーの様子も見えた。黒いヘルメットからはみ出たロングヘアーは、暗い海と鮮明に対をなすオレンジ色。一瞬ながら見えた体格も踏まえると、女性で間違いない。
青スカジャンのお姉さんに初めて出会ったとき、ウケを狙うべく「ライムライダー」だなんて自称してしまったが、それになぞらえ、彼女のことを仮称「オレンジライダー」と呼ぶことにする。
オレンジライダーのお姉さん、果たしてまた出会えるのか。オレンジ色のロングヘアーを脳裏に浮かべながら、自然と思いを馳せていた。
改めて、スマホでどこに宿泊するか決め、予約したところで再びバイクを走らせた。
何にも追われていないはずなのに、夜空に小さく煌めく星々と、自分一人だけが走る道のせいでなのか「早くここから去って行け」と追い立てられているような気がした。夜とはこんなに奇妙なものだったのだろうか。
海が間近に迫るこの道路ともおさらばし、右に曲がって住宅街をグネグネ進み、坂道上って山側へ向かってゆく。
その勾配は、跨らせてもらっている相棒を試しているようで、無性に挑発的になってしまい、少しばかりアクセルをひねりすぎてしまった。しかし、上から見つめる空の黒さがそれを許してくれないことに気づき、はっとしてしまう。こんな真夜中にアクセルをひねるのは、近所の迷惑にもなるため、絶対我慢した方がよいだろう。
サイドミラーに反射して見える腕のCASIOの短針が、ちょうど6と01の間を刺したとき、ついに宿に到着した。
さっそくチェックインと、駐車場にバイクを止めさせてもらう許可をとり、再び外へ出て駐輪すると、他の宿泊客に配慮しつつ足早に、用意して頂いた部屋へ入った。
七畳ほどだというその和室は、こじんまりとしていて趣があった。
部屋に荷物を置き、クローゼットにあった備え付けの黄緑色の浴衣を抱えたところで、急いで部屋の鍵をかけ、出て行った。
熱海に来たからにはやりたいことがある。それは、お風呂に浸かること。熱海といえば温泉で有名だ。この宿は他に共用バスなどもあったが、宿といえば大浴場、というのが俺のこだわりのため、そのまま静かなる急ぎ足で大浴場へ直行。服を脱いで体を洗ったところで、湯船につかった。
ほっこりとしたその湯加減は、皮膚や筋肉はもちろん、背骨にあばら骨、腕の骨に脚の骨、つま先の骨まで温めてくれた。なるほどこれが「体の芯から温まる」というのか。
すると壁が薄いからなのか、隣の女性用の大浴場から音が聞こえてきた。
「……フフフ~、フフフフ~ン」
演歌っぽく悲しげで、艶やかな鼻歌だった。その時、横須賀から熱海まで走った疲労で口が緩み、神経がまいっていたからなのか、口が開き、心の声が漏れてしまった。
「いい曲だなぁ~」
「え?」
あちらにいる色っぽく大人な声の女性も、俺の声が聞こえるようだ。
「もしかして、俺の声が聞こえてたり……?」
「はい。あの、先ほどはすみません」
「いえそんな。こっちは横須賀から来て、もう疲れ切っていたからさ、ちょうど美しい歌で癒されたよ」
今ここでナンパが出来ることを頭の中で思いついていると、壁の向こう側の彼女は構わず返してくる。
「美しい歌だなんて、私にはもったいないですよ」
「いやいや。よく鼻歌とか歌うの?」
「ええ。何なら昔は、歌手として歌っていたくらいですから」
お姉さんはもともと芸能人だったようだ。そこでその話から、彼女とお風呂の外で会えるように繋げてみる。
「あの、お名前は? もしかしたら知ってるかも?」
「八ツ代アキラ、だったわね」
「……聞いたことあるような、ないような。お風呂上って、会えたら分かるかもしれないなあ。どうかなお姉さん。壁越しに話すのもあれだし、脱衣所の外でお互いに対面しない?」
「……そっか。じゃあそうしましょうか」
あっさりといけてしまった。対面せずに声だけで話す故、話している間はあまり緊張しなかったのは良いが、スムーズに行ったからなのか、湯船の水面に波紋を立てて心臓が打ち始めた。
膝が震えるのを感じつつ、大浴場から上がり、脱衣所で持ってきた宿の浴衣に着替える。
そして脱衣所の出口を出ると、そこにいたのは。
同じく黄緑色の浴衣に身を包み、自分の胸骨ほどまでの背丈しかない女性だった。それでも、ふんわりとしたショートの金髪のせいか、不思議と大人の色気や余裕を感じる。
「ごめんね。もうちょっと大人っぽいと思ったでしょ」
「いえ、そ、そんなことは、な、ないっすよ!」
正直、声と見た目とのギャップによる初対面後の驚きと、「ちゃんとナンパし、楽しい時間を共に過ごせるだろうか」という初対面前の緊張がぐちゃぐちゃ混ざり、頭がどうにかなりそうだった。
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