その8 「二人乗りを、スカジャンお姉さんと」

 白い泡を立てて、桟橋から離れてゆくクルーズ船。尖がってはうねり、そしてまた尖がる水面は、沈む西日でキラキラしていた。


 熱心なガイドさんの案内と共に、船の小刻みなエンジンが響き、様々な軍港を巡ってゆく。

 どの軍港にも留まる潜水艦や艦船、それに空母は、不安定な水の上に身をどっしりと構えていた。それほど安定するためには、海に隠れて見えない船底が大きく、たくましく、しっかりしていないといけないのだろう。


 目に見えるところで、緑の革ジャン着てチャラチャラしていても、目に見えないところで大きく、たくましく、しっかり。バイクに跨ってナンパしてゆくうえで大事にしたい事だ。


 隣のお姉さんは、肌寒い潮風で黒いポニーテール、碧いスカジャンをたなびかせ、スマホで写真を撮っていた。そのときの童心に返った様子は、切れ長な目つきをも幼くしていた。


「お姉さん、めっちゃ撮るじゃん。たまにはカメラを介さずに自分の目で見て、自分の耳で波の音、船の音を聴くのも良いんじゃないかな。」


「そっか。」


「うん、自分の五感でしっかり感じたものは、身になっていくから。」


 橙色に陽が落ちる光景につられ、チャラ男な見た目に似合わず、詩的っぽくなってしまっただろうか。高校で美術部にいたときはいつも、五感で感じることを大切にしていたが、お姉さんがデザイナー志望であるために漏れてしまった。


 桟橋に戻ってくる頃には既に暗く、最後の橙が海へ隠れようとしていた。


 船から降りると、今日の朝にお互いが会ったデッキのもとへ、二人で歩いて行った。

 夜と遜色ない光景で、青から黒い海になっていた。


「あ、忘れてた!」


 お姉さんがいきなり立ち止まり、声を上げた。ポニーテールが遅れて後ろへ振れ、ぴたりと止まる。


「何を?」


「帰りの新幹線のチケット……本当は今日買おうと思ってたんだけど忘れちゃった。」


「え! 明日予定あるなら大変じゃん! 今から買わないと!」


 お姉さんにつられ、俺も焦ってしまう。


「いや、あ。口座の残高が足りない……。」


「そんな。一緒にいろいろ食べたり、過ごしたりしちゃったばかりに、ごめん。」


「別にそういう訳では……。昨日引き出した口座のお金を、スカジャンとかに盛大に使ったのが仇になった訳で、一緒に居たことがそんな。」


 一文無しになり、新幹線に乗るのが絶望的な彼女のために、何かできることは無いか考えていると、ある乗り物の存在を思い出した。新幹線以上に体を外に露出し、エンジン唸らせて走る「あの」乗り物の存在を。


「そうだ。俺が新幹線になる。」


「え?」


「つまりその、俺のバイクで二人乗りしてもらえれば、行けるよ。金取るつもりはもちろんないし、下手したら新幹線より早く到着できるかもしれないし。」


 なぜわざわざバイクに跨り、ナンパをするのか。それは女性を後ろに乗せ、ドラマチックに二人乗りしたかったからだ。


 コインロッカーにしまったお姉さんの大きなリュックを取り出すと、すぐさまバイクの駐輪場へ行き、清算を済ませて前輪に通したチェーンを外す。


 今朝駐輪した際、お姉さんの「チェーンがこう掛かっていたら、ホイールだけじゃなくて車体の方まで擦れる」という現実的なアドバイスのおかげで、いつ走っても大丈夫な、綺麗なボディだった。


 俺のリュックから女性用のプロテクターやヘルメット、モスグリーンのジャンパーを取り出し、お姉さんに着用してもらった。


 自分もひじやひざにプロテクターを着け、ヘルメットを構える。


「お姉さん。ところでバイクは初めてだよな。」


「はい。ところで、変なところに行くんじゃなく、本当にちゃんと送ってくれるんですよね。」


「もちろんだ。俺を信じてしっかりしがみついていてくれよ。それじゃ飛ばしまーす!」


 自分と会ってしまい、楽しい時間を過ごしたばかりに、お姉さんの日常が脅かされるのが、楽しい時間でお姉さんの明日が壊れるのが嫌だった。そんな思いを胸に



 ズカカカッ、ブゥウン!ガガガガガガガガ…



 アクセルひねり、二人乗せる「Ninja 250 SE」を発進させた。ライムグリーンの風を夜の街に吹かせ、お姉さんが新幹線で行く予定だった熱海へ向かう。


 背中から感じるお姉さんは、温かく、優しく、でもしっかりしていた。

 

 今日初めて会った、お姉さん。彼女がツッコむ雰囲気や、今の様子を例えるならこうだろう。


 碧くたくましい横須賀の軍港で、軍人たちを優しく癒しては力強く送り出し、また自分も思い悩んでは軍人たちから元気をもらう、愛すべき潮風。



 スー、スー。



 横浜の明るい街を出て、街灯がまちまちな住宅街に出たころ。背中でもう眠ってしまっていた。サイドミラーで彼女の寝顔を覗きたかったが、相変わらずCASIOを映すばかり。こんな無粋な真似をしないために、こいつのサイドミラーは後ろを映さないのだろう。


 左手の海を見るたび、ある疑問が浮かんでくる。それは「横須賀の出会いはこれでよかったのか」ということ。結局、回避すべきだった「人助け」をするような形で今回は終わりそうなのだ。


 おまけにSNS交換はまだしていない。熱海駅に着いた際にすればよいかもしれないが、その頃にもし俺を「恋人」として見てもらえなくなっていたら……。



 心を吐き出すようにアクセルを思いっきりひねり、駅へつながる通り中にエンジンを叫ばせた。


 すると、前から熱海駅のロータリーが迫ってきた。


「お姉さん。そろそろ着きそうだよ。」



 スー、スー。



 お姉さんは寝ているまま。


 心地よく幸せになっている彼女を後ろで感じていると、人助けやって悩んでることなど、くだらなくなく思えた。恋人になれるかなど、悩むまでもない。


 駅に近づいてゆくほど、だんだん減速させていった。


 エンジンの叫びも、先程よりは静かになる。


 ロータリーを曲がると、遂に着いた。熱海駅である。バイクの息がロータリーで響く。


「お姉さん。着いたよ。」


「ん……? ほんと?」


 静かな語りかけで、後ろの彼女を覚ます。


「本当にありがとうございました。わざわざ熱海まで送ってもらって。」


「ううん、ちょうどそっちの方に行こうと思ってたし。こちらこそ、今日楽しい時間を一緒に過ごさせてもらってありがとう。俺にはもったいないくらいだったよ。」


 そして首を後ろに回しつつ、あのことも聞く。


「ねえ、SNSの連絡先、交換しない?」


「いや、遠慮します。」


 二の返事で内心驚いてしまう。


「今日、思ったんです。赤の他人とこんなに楽しめたのは、とっても新鮮で、二度とないような経験だった。だからこそ、一期一会の出会いとして、思い出に強く残したいなぁって。」


 別にネガティブな意味ではなかったことに、ほっとし、思わず目頭が熱くなってくる。


「そういう訳で、連絡先の交換は一期一会ではなくなっちゃうので、しません。」


 街灯に照らされた笑顔は、とても元気がもらえた。


「なら、分かった。じゃあまた縁があると、いいな。」


「はい。」


 お姉さんは荷物を背負ったまま後ろから降り、駅の地面に立つ。


「お姉さん、じゃあな。」


 再び思いっきりアクセルをひねり、俺は去っていった。


 夜にこだまするその音は、高らかだった。

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