第22話 薬物
高橋は、胸元から何かを取り出す。
薬である。
こんなときに、何をやっているのかと思った。
「待て。まさか……」
それは冒険者の間で取引きされている身体能力があがるという薬ではないだろうか。俺も噂だけ知っていた。しかし、目の前にするのは初めてだった。
「まさか、それを飲んで第四階層に潜っていたのか!」
高橋が一人でいた理由が分かった。薬を飲んで戦おうというのならば、仲間は連れてこれない。
「うるせぇ!」
高橋は、俺をつきとばした。
俺は背中から倒れたが、カメラだけは手放さなかった。今までは失禁した高橋を出来るだけ映さないようにしていたが、これからは違う。これは犯罪の証拠ビデオになりうるのだ。
「これさえあればA級冒険者の俺は、S級冒険者に認められるのは実力になれるんだ!ボスに殺されることもないかもしれない!!」
高橋は、叫んだ。
カメラが回っている今の状況で薬を飲むということは、自分の犯罪を世界中に発表するということにほかならない。それでも、高橋は薬を飲もうとした。
「待てよ!いくら、お前が強くなっても単独でボスに敵うわけないだろ!」
ボスと戦いには、複数人のA級冒険者が必要になる。そして、薬を飲んだ所で、高橋は一人で第四階層ミノタウロスにだって負けている。
浅黄が単騎でボスと戦えているのは、彼がS級冒険者だからだ。薬を飲んだ所で、その高みに高橋はたどり着けない。
「餌があれば、ボスの気をひけるだろ?」
高橋の歪んだ笑みに、俺はゾッとした。
高橋は、俺を囮に使う気であるのだ。
「はい、そこまで。いくら強さを求めるにしても薬物に頼るのは賛成できないな」
気がつけば、高橋の後ろには浅黄がいた。
高橋に向かって刃を向けており、薬に関わる犯罪行為は見逃さないとでも言いたげだ。それにしても、浅黄はいつの間に俺達の背後に回ったのだろうか。まったく気が付かなかった。
『浅黄って、いつの間にいたんだよ』
『高橋のやつは、どれだけヤバいだよ』
『脅し取った金は薬代に消えたんだろうな……』
『だれか警察に連絡しろー』
『第五階層にくる警察なんていないだろ』
コメントを聞きながら、浅黄は高橋に手を伸ばす。
「薬は、僕が預かるよ。ほら、ちょうだい」
高橋は、一瞬だけ嫌がるような態度を取った。
しかし、抵抗するのも無駄だと思ったようだ。
浅黄に、薬を大人しく渡す。
浅黄ならば、高橋程度の冒険者を倒すなんて簡単なことだ。だから、ここで暴れるなんて無駄だと高橋も思ったのであろう。
「こんな薬に頼るなんて……」
浅黄は、ため息をついた。
心底呆れているという顔である。
「まだ若いんだから、自分の身体を大切するべきだよ。三つ葉さんも、よく言っているよ」
その時であった。
浅黄の背後に、静かに蛇が這いずってきていた。蛇は大口を開けて、浅黄を後ろから飲み込もうとしていた。
「浅黄!」
俺の叫びより早く、浅黄は刀を抜く。そして、浅黄は大蛇の頭まで跳んだ。人間離れした跳躍である。
「これで終る」
大蛇の頭の上に飛び乗った浅黄は、そこの刀を突き刺す。大蛇は痛みから身体をくねらせるが、やがて力尽きて地面に伏した。
浅黄は大蛇から降りて、ついでと言わんばかりに蛇の身体と頭を刀で切り離す。
俺は死んだのかと思って、ボスのことを撮影していた。しかし、突然にボスの目が開かれた。
俺と高橋は、そろって情けない悲鳴をあげる。
首と胴体が離れた蛇はジタバタはしているが、俺たちに対して敵対行動はとっていない。最後の悪あがきと言ったところだ。
「蛇は生命力が強いからね。あんまり近づくと危ないよ」
浅黄は、ふぅと息を吐いた。
俺たちの身を守りながら戦いは、さすがに疲れたのだろう。
自分が蛇の血まみれになっていることに気がついて、浅黄は嫌な顔をした。俺は荷物の中からタオルを取り出す。浅黄のものは、高橋に貸したままだからだ。
「おつかれさま。ほら」
俺は、浅黄にタオルを差し出した。
浅黄は、それを喜んで受け取る。タオルが真っ赤になるほど身体を拭けば、人心地ついたようだった。
「ありがとう。助かったよ」
浅黄は、にっこりと笑った。
タオルの存在がよっぽど嬉しかったのだろう。
「さて、ボスを倒したご褒美に……」
浅黄は板チョコをとりだした。
今日だけで、見ている俺が胸焼けするほど浅黄はチョコを食べている。大丈夫なのかと心配になる量だ。
「おい!蛇の胴体が、奥に逃げていくぞ」
俺と浅黄は、高橋の声にはっとした。
大蛇の身体は、どこかに向かおうとしている。第五階層はワンフロアだけだから、すぐに行き止まりになるはずなのに。
「あれは……扉?」
フロアの奥に、あるはずもない扉が現れた。大蛇は、そこに向かって這っていく。
「あれは、なんなんだ。あんなものは見たことない……」
浅黄が呆然としているなかで、新たに現れた扉は開かれる。その扉の向こう側にいたのは、巨大なムカデのようなモンスターである。
蛇と同じぐらいの身体の大きさをしており、頭を失くした蛇の胴体を食べ始めた。
『なんだこりゃ!!』
『第五階層より、下の階層があるのかよ!!』
『だとしたら常識がひっくり返るぞ』
『ムカデ型のボスって聞いたことないぞ!』
『勉強不足だな。ムカデ型のボスがいるダンジョンは、近くにあるんだぞ』
『虫型のボスなんて生理的に無理!』
視聴者の意見が、すごい勢いでコメント欄に増えていく。それにともなって、人工音声で読み上げられる言葉も早くなっていく。
「君たちは、ここにいて。僕は、あのムカデをなんとかして……」
浅黄が駆けだそうとした瞬間に、俺たちの足元が光り輝きだした。それは、浅黄の足元も例外ではない。
「ボスを倒したから移動が始まったんだ!ムカデのボスは、まだ倒していないのに……」
俺と高橋。そして、浅黄の身体がうっすら透けていく。ボスを倒したのだから、この場には留まれないのだ。
「浅黄、せめてアイテムだけでも回収を!」
俺の言葉を聞いた浅黄は、部屋の真ん中に現れたアイテムを手に持った。中身は、大きな剣であった。それを浅黄が握ったとき、俺たちの意識が黒に染まった。
「お前ら、大丈夫か!」
ボスを倒したことで、俺たちはダンジョンの裏口に飛ばされていた。まだ意識はぼんやりしているが、高橋と浅黄は無事のようだ。
浅黄など、食べかけのチョコレートを誰かと奪い合っている。俺たちに「大丈夫か」と声をかけてくれた人だ。
「ずっと配信を見ていたけど、お前はチョコレートの食べ過ぎだ。一人でダンジョンを潜ってた時には、アレだけの量のチョコレートを食べていたのかよ。糖尿病になるぞ!」
そう言って、浅黄から食べかけのチョコレートを没収した。なお、没収したのは多智である。
スマホを片手に持っているので、俺たちの配信を見ていたのだろう。そして、裏口に先回りしてくれていたに違いない。ありがたい。
「多智さん、見ていてくれたんだ」
浅黄は、ちょっと嬉しそうである。
しかし、浅黄の視線は没収されているチョコレートに向いている。よっぽど食べたいらしい。
「まぁ、暇だったし。同じS級冒険者の戦い方は勉強になったりするからな」
多智は、浅黄の頭を撫でた。
「刀もスピードも前に比べて、より速くなったな。すごいぞ。もっと高みを目指せるそうだな」
浅黄の一言に、俺は啞然とした。
カメラにすら残像を残さない浅黄が、もっと早くなったらそれこそ人外であろう。
「それとこれだよな」
多智は、真顔でズボンを取り出した。
高橋は、それを無言でひったくる。
多智は、しっかりと配信を見てくれていたらしい。なによりも必要なものを届けてくれた。
「あと、お前は警察に連れて行くからな。逃げれるとは思うなよ」
多智は、高橋にしっかりと釘を刺す。
高橋は、多智を睨みつける。しかし、大人の多智は、それに対して怯えるようなことはなかった。
「配信を見ていたならば、最後のムカデみたいなモンスターを見た?あれって、たしか……別のダンジョンのボスだったよね」
浅黄の言葉に、多智は頷いた。
『そうだよな』
『ボスが共食いなんて初めてだよね』
コメントをカメラが読み上げる。多智はハンドサインで、カメラの実況を辞めるように俺に指示をした。
「はい、今日はここまで。変わらずにS級冒険者のことを応援してくれよな」
俺の終わりの挨拶に不満のコメントで溢れたが、すぐにカメラの電源を切った。
多智は、改めて話を続けた。ここから先は配信で流したくない話だったこだろう。
「ああ、俺も映像で確認した。間違いなく、あのムカデのモンスターは別のダンジョンのボスだ」
多智は、浅黄の言葉を力強く肯定する。その返事を聞いて、浅黄はふむと考え始めた。
ダンジョンに対して、ボスは一匹だけ。
その不文律は、どこでも守られていた。しかし、今日初めて新たな現象が確認されたのである。
「ダンジョンで二匹のボス現れたり、共食いをしたり……。始めての現象だ」
多智は顔を上げて、俺たちの方を見た。深く思案している浅黄はともかく、俺と高橋は多智の判断を待つしかなかった。
多智は、「よしっ」と一つの決心をする。浅黄の頭を撫でつつ、俺達を見て言った。
「緊急で話し合いをする必要があるな。アリサと三つ葉を呼ぶから、いつもの所で緊急会議だ」
高橋を警察に届けてからな、と多智は付け足した。
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